前回に引き続いて地元の部落に詳しい方に案内して頂き、奈良の部落を探訪した。今回やってきたのは安堵町の部落である。
案内人によれば安堵町と言えば奈良県の中でも「ガラが悪い」と言われる地域の代表格であり、安堵と言えば街全体が部落だと思っている人もいるということである。なぜそのように言われてしまうのか。
やはり、目についてしまうのが廃墟と空き地である。案内人によれば奈良の田舎ではこのような風景は部落でなくても普通に見られるというが…
しかし、このような豪邸とニコイチが一緒にあるというのは、同和地区特有のものと言わざるを得ないという。今回の探訪では、なるべく公平性を期するために、部落でない地域とも注意深く見比べた。
例えば上の2つの写真は奈良市紀寺町の風景。細い路地が入り組んでいて、自動車を停められるような場所はほとんどない。しかし、ここは部落ではない。奈良ではこのような集落は普通に見られる。むしろ同和事業の対象となった部落の方が道が広々としており、必ず自動車を停められる場所がある。
こちらは、ふれあい人権センター。中に入ると、ミナミの帝王のような雰囲気の職員が黒いソファーにふんぞり返っていた。
人権センターの近くには、軽ワンボックスカーが停められており、タイヤが潰れて周囲が苔むしていた。ストリートビューで確認すると、2013年10月の時点で存在するので、その頃からずっと置かれているということになる。
ニコイチの改良住宅にセルシオが停まっていた。
壁が黒ずんだ、団地形式の公営住宅。
そして、広大な空き地。案内人によれば、このような境界のはっきりしない空き地は部落でなければあまり見られないのではないかということだ。
部落を後にして、しばらく自動車で走っていると、案内人が「あっ」と気づいたように声をあげた。
「あそこに廃墟があったのになくなっている…」
実は案内人はしばらく奈良を離れており、最近になって戻ったばかりだった。よく見ると、昔はあちこちにあった廃墟や空き地がなくなっているという。つまり、部落だけが取り残されているというのだ。
今は農村も都市化している。もしボロボロの家や空き地があれば、工務店や銀行が一緒になって持ち主に「融資するのでリフォームしませんか」「アパートを建てませんか」と持ちかけてくる。繰り返しそう言われればその気になって、外観がくすんだ家の壁は塗り直され、廃墟は撤去され、空き地にはアパートが建つ。
「自分が工務店や銀行の営業だったら部落には行きたくないかも」
案内人はそう語る。確かに、筆者もその気持は分かる。「もうボロボロですし、綺麗にしませんか?」そんな事を言おうものなら、来週の解放新聞に「○○工務店従業員が差別発言 『部落の家は汚い』と」のような見出しの記事が載りかねないと思ってしまう。
しかし、こんな話がある。靴を売っているビジネスマンが未開の地を訪れたところ、その土地の住人は靴を履く習慣がなかった。そこでビジネスマンはここでは靴は売れないと思い、その地を離れた。ところが、その地を訪れた別のビジネスマンは住人が靴を履いていないのを見て、本社に次のように連絡した。
「すぐ靴を5万足送れ。ここでは靴の需要が無尽蔵」
部落で廃墟や空き地を目にしたビジネスマンは、ぜひこのように考えるべきだろう。
おっしゃる通りです。
土建屋がすごく儲かるのに、なぜか手をつけていないですね。
私の知っている地域だけですが、東〇・〇東〇託・大〇ハ〇スなんかのアパートは、所謂認定地区にはあまり建たないですね、空き地が多いのに変です。建築不動産会社は地名総監を持っているかのごとく、避けています。
トラブルが多そうで避けているですかね?
一方で、レオパレスやエイブルはよく見かける気がします。
意図的に避けているかどうかは分からないですが、意識はしているでしょうね。
一般地区ではあり得ないことが、同和地区では起こる場合があるのは事実ですから。
黒いソファにふんぞり返っていたミナミの帝王のような雰囲気のふれあい人権センター職員というのが気になりますね…
古市のポルシェさんみたいな感じの人でしょうか?
まあ、そんな感じでしたね。人を見た目で判断するのはよくないかも知れませんが。
昔の風間(かぜの)ですか
『嘉元記』によると14世紀ごろ、法隆寺らへんで断頭役を担うカセヒ野の細工らいたそうで、彼らが起源と考えられてるみたいですね
中世の非人や河原ものが、近世の穢多などに繋がってるケースが多いと思います
上から四枚目の豪邸は有名な元暴力団組長の自宅ですよね?
反社の世界では、安堵町=○○と、そういう人物らしいですが。
そうなんですか? それは知りませんでした。
>安堵と言えば街全体が部落だと思っている人もいるということである。
そう思っている人とその年齢は比例するって感じです。
あくまでも私見ですがかなり以前は東安堵北方・南方と行政地名でBと非B識別できましたが、いつの頃か地名変更で東安堵に統一。
この結果、いわゆる味噌も糞もごっちゃになりました。
安堵は面積狭いですから、ごっちゃになったのなら面倒臭い、もう街全部がBでいいやんって感じに
なったのでは?と推察致しております。
地理的にはJR法隆寺・大和小泉駅、近鉄平端駅、西名阪法隆寺ICにほど近く、Bの巣窟的でなければ
ベッドタウンとしてそれなりに発展した事は間違いないでしょう。
現状では国勢調査の結果発表されるたびに人口減る一方ですわ。
>そう思っている人とその年齢は比例するって感じです。
過去の地名変遷を知らない若い人ほどそう思うということでしょうか。
部落にも古来から人が住んでおり、戦後に人口が増えた部落はいくらでもあるので、
人口減少の原因は部落だけでは説明がつきません。他にも要因があるのでしょう。
斑鳩町との合併が破談になった原因は、やっぱり同和対策ですよね。
西和地区あるある
その1
初対面の人に「どこに住んでいるの?」と聞かれて「斑鳩の方」とか「法隆寺の方」と答える
安堵民が多い。
その2
うち(自分の住んでいる町の事)もアレだけど安堵よりマシやんと言う人が多い
西安堵に住んでますが(法隆寺の方)(斑鳩の方)と言った言い方をするのは安堵自体あまり知られてないので、毎回毎回安堵って何処ってなるのが面倒くさいからそのような言い方を私は、するようになりました。
安堵と行って分かってくれる方は大体斑鳩の方や安堵の近くの郡山の方だけの印象が強いです。
長文失礼しました。
まさに!私も安堵町がどこなのか毎回説明するのが面倒なので、法隆寺の近くだと説明するようになりました。
1980年頃、国鉄関西本線に乗って王寺から奈良へ行く途中、法隆寺駅と大和小泉駅の間の車窓から右手に見えた劣悪な住宅がここでした。 昔、風根と呼ばれた所です。 岐阜県の飛騨古川の和ろうそく見学したとき、和ろうそくの芯がここで作られていて、仕入れていると聞き、驚きました。
そのタイヤ潰れた軽自動車、2005年頃から在りましたよ。
たしかにあのエリアは評判悪いし実際柄悪いですね。
いかにもな単車や原付バイクはだいたいこの辺りから湧いてきます。
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ストリートビューで見ると2013年の時点であるのは知って言っていましたが、もう20年近く経過しているとは
もう撤去しようという発想がないのでしょうか
この上の方にある昔からの放置車両、いい加減撤去すればいいのにね。行政も動いて闇の勢力に圧力をかけて動きを封じたほうが、周辺の街作りの再開発にも役立つのにね。
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何となく、空気感として、同和地区には車両が放置されるのが常識みたいになっているようです