「名も知らぬ 遠き島より流れ寄る 椰子の実一つ」とは島崎藤村作詞の唱歌『椰子の実』。海岸に流れ着いた椰子に望郷の念を重ね合わせた名曲だ。ところが現代ニッポンの海岸事情は、もはや“カオス”状態。椰子の実どころか中国、韓国から流れてくるプラスティック製品、医療廃棄物、ペットボトル、釣り具など「漂着ごみ」の陳列場と化す。各自治体は回収、清掃作業を続けているが、現状は、ごみが片づけては押し寄せる“いたちごっこ”。対応に苦慮している。中国語、韓国語が印字された漂着ごみの山は“環境テロ”と疑ってしまうほどだ。
環境省水・大気環境局の調査によれば平成25年度の全国の漂着ごみ量は31~58万tと推定されている。ポリタンクなどのプラスティックの他、ペットボトルが多いという。平成22~26年度の5年間の調査では、6~9割がプラスティック類という結果もあり、漂流ゴミイコールプラスティック類と言ってもいいだろう。
さらに危険なごみが注射器などの医療廃棄物。砂浜に注射器が打ち上げられることもあれば、ごみ袋にまとまって流れ着く場合もある。環境省が発表した平成26年度医療系廃棄物漂着状況からも“中韓産”医療廃棄物の割合の高さがよく分かる。言語が確認できた廃棄物154個のうち韓国語が67個、中国語が49個。年度によって異なるがこの2国のごみが圧倒的に多い。
その他、釣り具なども少なくない。平成25年度の特定漁具(浮子)漂着個表によると総数58208個のうち中国語表記が29974個、韓国語表記が1439個。なお日本語表記のものが104個ということを考えるといかに中国・韓国ごみが多いかよく分かるだろう。
こうした漂着ごみに対して環境省、各自治体は対応を迫られているが、いまだに有効な対策は講じられておらず、清掃・回収を繰り返す“いたちごっこ”の状態だ。しかも各自治体を尋ねてみるとどうも後手に回っている印象は否めない。漂着ごみの資料提供を求めたところ妙な反応が続いた。
「個人情報が書かれている可能性もあるから、取扱いに注意してほしい」(新潟市)という回答には特に驚いたが、ごみにまで“配慮”とは日本らしい。また医療廃棄物については「匿名」を条件に提供してくれた九州地方の自治体はこう話す。
「ごみが打ち上げられた海岸は観光地としても人気スポット。浜に医療廃棄物があるとなったら海水浴客が来なくなる恐れがあります」
気持ちは分かるが、なんとももどかしい対応だ。
そんな中で漂着ごみ問題の深刻さが如実に表れたのが長崎県対馬市。写真提供を求めると「記録をしていない」という。まさか“配慮”のためか? そう思い理由を尋ねると苦笑いでこう回答した。
「海に行けば(中国語や韓国語の)ごみは、いくらでもあるし記録をしていたらキリがないのです」
我が対馬! とのたまう韓国人が多いが、この実態を彼らはどう思うだろうか。異国から流れ着いた椰子の実がポツリと浜に打ち上げられている。そんな情緒あふれる日本の海岸は戻ってくるのだろうか。
恐ろしいですね。外国怖い。
日本海側に中国や韓国からの医療廃棄物が大量に漂着しているのは、何十年も前からなのですが、未だに解決しないのは地元自治体が風評被害を恐れて、あまり大きな問題にしたくないというのがあるのかも知れません。環境問題に国境はないので、本来は政府が中国や韓国に対策を要請すべきではないかと思います。
対外トラブル、政府は交渉していて、お金をもらって黙る、
の繰り返しだから何一つ解決しないのでしょう。
英国人の写真家が日本人の官僚は、外人相手に商売しかしない、
というような事を書いていました。古い本ですけど踏襲されているかも。
部落でない記事ではあまり投稿がないですね。申し訳ないですが部落のことを書かせてもらいます。お許しください。
何度考えても今回の裁判は納得できない、悔しい、憤りの気持ちがいっぱいです。
奴らは安倍政権の安保法成立を憲法違反と言って攻撃しています。自分たちに都合のいい時には民主主義を破壊する憲法違反だ、と言って憲法擁護の姿勢を取っています。
地名総鑑発行を発行することも憲法で保障されている思想出版表現の自由で認められた権利です。特定の個人名を出して「・・・は部落出身」と記しているのならば差し止めを提訴してもまだわかりますがそういう個人攻撃は一切ないです。なのにどうしてこういう矛盾した攻撃をするのでしょう。
地名総鑑発行は解同に取り確かに不利かもしれません。でも発行は憲法で保障された権利です。憲法は解同のためにあるわけではありません。自分たちに有利になることもあれば不利になることもあります。
安保法を憲法違反といい憲法順守を主張し地名総鑑弾圧は憲法で許されるという憲法無視というのは調子が良すぎる憲法解釈です。
解放同盟のHPでは40年前の地名総監を悪名高い事件として社会から「断罪」されている、となっている。
でも本当か?きっとほとんどの一般の人はそんな事件知らなかったのではないか。奴らが勝手に決めているだけではないのか。
また出版の自由や表現の自由の範疇を逸脱していると今回の地名総鑑のことを批判しているが奴らの勝手な解釈ではないだろうか。当然世の中にはそういう立場の人もいるかもしれない。
でも多くの人はそういう書物であっても出版や表現の自由が憲法で保障されているのだから憲法が優先されるのだ、という意見が多いはずだ。解同が自分たちに都合のあるい書籍を発行禁止にできたのならばほかの団体も同じようなことを請求する。そしてやがて出版や表現の自由は崩壊する。一度でもそういう悪い前例を作ることは絶対許されない。解同が何を主張しようがどんな理由があろうが絶対に発行禁止を認めてはいけない。一度くらい認めてもいいだろう、という考えが2度3度となりやがて民主主義の崩壊に進む。
解同がこの記事に気が付いたのは奴らのHPでは2月と言っている。あまりに遅い。もうその時には必要な人はいつHPが奴らに削除されてもいいように手を打っている。のんきな行動だ。
40年前ならが印刷機器がどの程度普及していたかは知らないがそこまでは普及していなかった泥う。普及していても高額で地名総監一冊、というには金がかかるので手写しくらいしかなかっただろう。気が付くのが遅くても本体からの拡散はそれほど問題になることではなかったのだろう。
でも今回は違う。いつでもすぐ手を打ってしまえる。ありがたい時代になったものだ。
例え今回発行禁止とかにしてももういくらでも出回っている。現実には解同のやることは無駄。
発行することには意味はある。でもこういう書物がきちんと発行されて国民の多くが目を通すことができる社会にしていくことが必要。
また一団体がこういうものを独占している今の現状を打破することも必要。
こんなことに力を注ぐくらいならが解同は九州に行って来い。地震の支援しろ。
裁判になったことで判決が出るまでは部落に関する記事は投稿されなくなってしまうのですか、心配です。
私は鳥取さんの力になってあげることは何もできません。せめて私一人でもここにコメントをすることで解同に対して鳥取さん信者、鳥取さんサイドの人間がいるというメッセージを送ることしかできません。
ので私はできる限り書き続けようと思います。この裁判でやつらの思い通りの結果が出ると「同和はタブー」神話を打ち破れません。もっとオープンに議論できるようにしないといけません。そうすればこれまでの解同の悪行も世間に明らかになり奴らが糾弾されるでしょう。きっと数えきれない不正、悪行、利権、暴力、事件がまだ闇に隠れています。
人権あるところに利権あり、ですね
鳥取県の西部地方在住ですが、毎年公費をかけて、入札しています。
みなさんの税金で処理されています。
やっぱりそうなりますよね。
鳥取砂丘で春と秋に行われている砂丘清掃に参加したことがありますが、季節風が吹いた後の春のゴミは凄まじかった記憶があります。
注射器、浣腸、怪しげな粉の入ったアンプル、あとは塩酸の入ったボトルを拾ったことがありました。