全国部落調査事件本格論戦が始まります

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By 宮部 龍彦

現在、全国部落調査事件の舞台は3つの裁判所に分かれており、出版禁止の仮処分が横浜地方裁判所、ウェブサイトの削除の仮処分が横浜地方裁判所相模原市分、そしれ本案訴訟が東京地方裁判所に係属中です。

8月3日付けで、東京地方裁判所に以下の準備書面と証拠書類を提出しました。

準備書面-H28-8-3.pdf

証拠説明書-H28-8-3.pdf

原告(解放同盟)側の書面と合わせてお読みください。

主な論点を挙げます。

解放同盟側が「被差別部落出身者」を自称している点

「被差別部落出身者という身分は法律上存在しない」と示現舎側が主張していることがメディアで報じられましたが、この問題はもっと複雑です。

法律上存在しない理由は、「解放令」で穢多非人等の身分が廃止されたからです。「解放令」は明治4年に太政官布告の形で出されましたが、大日本帝国憲法が出来た時に法律として維持され、判例はありませんが理屈の上では日本国憲法下でも有効な法律です。

「被差別部落出身者」をどうやって判別できるのかという問題もあります。「被差別部落出身者」が「穢多非人等」の子孫であるとすれば、それを証明する法律上の文書は残っておらず、過去帳などで分かるのもレアケースと考えられるからです。よく戸籍で分かると言われますが、明治初期の壬申戸籍にも旧身分が分かるような記載はほとんどなかったと言われており、さらに、現在では壬申戸籍は公式には公文書としての利用が廃止された状態、つまり非行政文書という扱いになっており、なおかつ閲覧が事実上禁止されています。

ということで、先祖を調べて判別するということは不可能なので、その代わりに出身地で判別できるかというと、これも単純ではありません。「出身地」という概念もよく考えると曖昧であることが分かります。戸籍には「出生地」がありますが、現在の戸籍の記載は市区町村までで、しかも病院で出生すれば、病院の住所が出生地となります。また大阪で生まれて鳥取で育った水木しげる、東京で生まれて大阪で育った橋下徹、「出身地」はどこかと言われれば、それぞれ鳥取と大阪と言われますが、最初に住民登録された場所は大阪と東京であるはずです。

さらに、どのような基準で「被差別部落」と言えるのかという問題もあります。全国部落調査には、既に消滅した部落や、後に同和地区指定されなかった部落、都市化してしまった部落、単なる貧民窟であって穢多非人等と無関係な部落も含まれています。また、一般的な集落の名前と行政区画上の地名が一致していないケースはざらにあります。例えばA集落の自治会に入っているが、郵便物の宛先や住民票や自宅の登記簿上の住所表記はB集落であるという人は珍しくないと思います。

そもそも、なぜ裁判で「被差別部落出身者」を称する必要があるのかという問題もあります。一国民の立場でなく「被差別部落出身者」と言った方が有利になるのでなければ「被差別部落出身者」だと言う必要はありません。「被差別部落出身者」と言えば裁判官が恐れるのか、同情するのか、何らかの特別な権利を認めてくれるのか、ということです。

他にも問題はありますので、この論点は今後さらに追求することになるでしょう。

他の「部落」や「同和地区」の特定する出版物との関係

今回は、「部落」や「同和地区」の地名が列挙された出版物14点を証拠として提出しています。それらは、解放同盟の関係団体、関係者によって作られたものもあります。全国部落調査から特定の府県のデータを抜き出したものもあります。

ごく最近でも、去年「愛知の部落史」という、愛知県内の部落の地名が掲載された書籍が解放出版社から出版されました。

ということは、解放同盟は部落の場所が公開されることを問題にしているのではなくて、自分たちの気に入らない方法で部落の場所を公開されたくない、部落問題に関する議論を自分たちの思い通りにしたい、ということではないかと思われます。

解放同盟の出版物は、単に部落の地名が出ているだけではなくて、そこの保護者会が天皇誕生日に天皇制反対の催しをやっただとか、狭山同盟休園(狭山事件の石川一雄有罪判決に抗議して保育園を休園すること)をやっただのといったことが自慢げに書いてあるので、もっと強烈です。

「差別されない権利」について

解放同盟側の弁護士は「差別されない権利」というものを主張していますが、率直なところ弁護士自身も理論を整理できているようには見えません。

訴状には「被告らは私人であるため、憲法の規定が直接に適用されることはない」と書かれているのですが、その一方で「差別されない権利」の根拠が憲法14条第1項であるという趣旨の書き方がされています。憲法以外の法律等を根拠として挙げない限り、憲法の規定を直接適用することと何も変わりがありません。

「憲法の規定が直接に適用されることはない」というのは1973年の三菱樹脂事件の最高裁判決に沿ったもので、弁護士にとっては教科書的な理論なわけです。しかし、三菱樹脂事件というのは「就職差別をやってもいいですよ」と最高裁がお墨付きを与えた事件なので、解放同盟側の弁護士であれば「菱樹脂事件判決は間違いだ!」くらいの事は言って欲しかったと思います。

他にも論点はありますが、詳しくは書面の内容をお読みください。

また、もう一つの見どころは、次の口頭弁論でも解放同盟側が意見書の読み上げのようなことをするのか、ということです。リバティ大阪にからむ裁判でも、解放同盟はわざわざ準備書面を傍聴人に読み聞かせるようなことをしていると聞きます。多くの民事訴訟では、わざわざ書面を読み上げることをしないのが通例です。また「作文大会」をやるのか、訴訟の進行も見ものですが、これは実際に口頭弁論に出ないと体感できないので、ぜひ傍聴に来てください。

また、先立って横浜地方裁判所に保全異議申立てをしています。これは、出版禁止の仮処分の取り消しを求めるものです。経験上、部落問題がからむと裁判所は「結論ありき」で審理してしまうのですが、一方で出版禁止にからむ仮処分に対する異議申立ては慎重に審理されることも通例です。

今後、どのように裁判所が保全異議の審理をすすめるのか、仮処分で説明されなかった「仮処分を行った理由」をどこまで裁判所が詳細に説明するのかが注目点です。

保全異議申立書-H28-7-14.pdf

今後の日程は次の通りです。

8月29日 11:00 横浜地方裁判所保全係 保全異議に係る審尋期日(おそらく非公開)
9月26日 11:00 東京地方裁判所103号法廷 第2回口頭弁論(公開)

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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全国部落調査事件本格論戦が始まります」への13件のフィードバック

  1. 徒然人

    鳥取ループさんの事は最近知りました。所感をお寄せ致します。
    仮処分の撤回要件は、被差別部落およびその構成員の定義と、当該情報が違法に構成員(認定されたとして)の権利を侵害しているか、また、そもそも当該情報の公開を処罰もしくは法的に制限すべきか、原告被告ともに主張相当の実態を有するか、と言ったところでしょうか。
    この時期に出るべくして現れたトピックですが、自民党・大企業への不安定賛意が大多数である国内現状では、法曹界はどう動くべきか、蜂の巣をつつかないための方策に苦慮していると思います。保守からすると小さな政府と潤沢な予算を両立する意図は当然であり、ややもすると階層主義的判決に流れそうな反面、人権擁護の最低ラインからは脱落したくないがための浅薄なこだわりが予期されます。
    却下の根拠となりそうな判例に無理やりこじつければ「整合性」「該然性」「継続性」と言った論理で、日本人は原理原則を論点にすることを嫌います。裁判所退職後の営利を企図すれば保身ですね。しかし、その一方で従来の杓子定規な規準を見直す判事や見識のある法曹も存在します。この混迷が、攻守共に作戦立案を困難にしています。
    権威に弱い国内司法ですから、米英の保守層から鳥取ループさんが支援されると、イヤがるでしょうね。「我が闘争」公式刊行と言う難問に果敢に挑戦したドイツ語圏の攻防を観ると、日本人の見識の低さが際立ちますから、こちらも鬼門。更に、日本の保守派が見下している途上国の識者から司法が批判されてはかないません。
    抽象的で申し訳ありませんが、どうもこのあたりが勘所と思われます。今回の流れを観察すると、延々意地の張り合いになりそうな予感がします。意味のある係争とするには、鳥取ループさんも解同も本気で原理原則を問い、司法の意識を高めることが大切だと考えます。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      「我が闘争」との比較は興味深いですね。外国ではユダヤ人の姓を解説した本も出版されています。それらと比べると、日本の同和問題はクローズ度合いが際立っています。

      21世紀になってから、司法は表現の自由を制限する方に動いています。特に知的財産や個人情報保護の分野が顕著です。

      著作物のフェアユースに関しては、商業主義のために基本的人権である表現の自由を制限することは著作権の濫用であると司法は判断できるのに、日本の司法の判断は全く逆です。むしろ、少しでも知的財産権を侵害する行為は表現の自由の濫用であるといった判断をしています。

      個人情報保護にしても、個人情報保護法は表現の自由を個人情報保護よりも上位に置いているのに、司法は勝手に「人格権」なるものを創りだして、それを表現の自由よりも上位に置いているのが実情です。これは国会の議決なしに、司法が法律を制定する行為に等しいと思うわけです。

      こういった現状は追求しなければなりません。

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      1. 徒然人

        本来「表現の自由」は、個人の文化的生活を阻害しない限りにおいて「プライバシー保護」の上位に置かれるべきですが、国内司法の大半が根拠のない「人格権」を最上階に置きたがる傾向は甚だしく、賛同致します。
        表現の自由を制限できるのは、非常に特殊は場合のみ。司法の上意下達ぶりは、与党の功利的思惑に甘く、市井の原則論に厳しい状況から、司法の独立を疑ってしまいます。時折画期的な判決がなされますが、これは極少数。悲しい現実に嘆息しそうです。権力や恫喝におもねる恣意的な法運用を許してはなりません。
        法は良識の最後の砦。司法は超国家的正義の府。正義と良識を失い人民の公平な自由度を圧迫しては、国を滅ぼしかねません。司法は「誠なれ」!

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      2. 徒然人

        訂正です。「特殊は」—>「特殊な」。

        なお、「我が闘争」ですが、「シオン・プロトコル」と言った偽史、旧ナチスシンパの実像、親ユダヤ派の現状とも併せて、学術の分野で歴史的情報は整備して行く必要性が高いと考えます。第一次史料を明確化しなくては、研究も議論も空論ですから。
        良質の情報を積極的に公開しなければ、人民に判断の土台を与えないことになり不公平です。「知らしむべからず、寄らしむべし」では、あまりに酷い。世論の熟成は、司法の責任でもあると言えます。国民の知性を煥発し、良識を希求するのが、第一等の文明国というものです。

        返信
  2. 匿名

    応援していますので頑張ってください。気がかりなのは、同和の前には正義は通用しない点です。これのせいで何名も自殺に追い込まれましたから。

    なお、9月26日は、十分に注意してください。選挙が終わっているので、しばき隊、男組などといった胡散臭い面々も裁判所に集まることが予想されます。

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    1. 斉藤ママ(部落在住なのに減免なし)

      匿名様

      最近はしばき隊や男組で暴力攻撃するのは沈静化していますね。
      デモはイベントのようなもので、全然怖くないそうです。
      最近は、家族解体の工作活動、スラップ訴訟、冤罪逮捕が流行りですね。
      行政が紹介する民間の相談員から、工作員に情報が洩れているので、気を付けましょう。

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    2. 鳥取ループ 投稿作成者

      出来る限りのことはやります。

      埼玉県加須市の選挙無効事件の例があるように、地裁では負ける可能性が高いですが。

      返信
  3. 斉藤ママ(部落在住なのに減免なし)

    同和問題で自殺する人よりも、裁判後の弁護士の不正で自殺する人の方がはるかに多いですよ。

    返信
  4. ジャパニーズオンリー

    最近はオリンピックばかりで他に報道することがないのかと思います
    オリンピックで日本が健闘している事はとてもうれしいですが少し報道が多過ぎでメダルを取ると現地で次々に放送局に出まくらないといけない選手が気の毒と思うくらい
    そういう報道をする時間があるならこの裁判のことをもっと多くのマスコミ、できることならばテレビが報道して世の中のこの裁判のことを知らない圧倒的大多数の国民に知ってもらいいまだの解放同盟の理不尽な裁判や行動を批判してもらうきっかけにしてもらいたい
    もっともそこまで解放同盟に敵対できるマスコミはないでしょうが誰かがしない限りは解放同盟の独裁を止めることはできません
    部落問題はまだ継続中のことということを知ってもらうにはぜったおにマスコミの力が必要
    そして少しでも鳥取さんの側の支援者が増えることになればと思います
    わたしは徒然さんのような理論的な文章を書ける能力はありませんが・・・・
    また最近は解放同盟側の暴力集団が活動していないというコメントもありましたがこういう時こそ細心の注意をしてください。

    返信
    1. 徒然人

      ジャパニーズオンリーさま
      ツレヅレビトです。

      確かに日本のマスコミは同調圧力に弱く、戦前から口先ばかり景気の良いセリフを好みます。日本人が自らの報道機関に、お軽い姿勢を求め、結果にも満足しているわけで、何だか情けない想いです。世界には、貧しく生活もままならない人々が、今日も命をつむいでいます。そのような国からも五輪に出ている事こそが日の目を見ても良いと思います。
      苦しい心に寄り添う大切さは,日本人も理解できるはず。かつて海外のお世話にどれだけ助けられて来たか。
      私は五輪が嫌いではありません。五輪でこそ輝く出場者もいることでしょう。しかし、耳に心地良い報道が余りにも多い。こんな馬鹿騒ぎは紛争国には見せられたものではありません。熊本では、今日も被災者の苦悩が迫ります。東北は,あきらめと希望のハザマにあります。
      厳しいようですが、マスコミは自重すべきです。
      同和問題にしても、金太郎アメのような浅い記事は知性と良心を疑ってしまいます。私たち日本人は,狂気の独裁者ヒトラーやナチスの著作を自由に読むことができます。その情報を公開しても罪に問われません。私が同和問題と「我が闘争」の抱える背景を比較するのは、こうした理由があります。類似点と、相違点。
      現代日本のタブー観をシッカリ見つめ直す時がやって来たように感じます。知性と良心に恥じない行為が何かを考えるのです。常に感性を豊かに保ち、健全な精神を目指すのです。私はあきらめません。日本の可能性を信じたい。パンドラの箱にも希望が残っていたのですから。

      返信
  5. 名前

    鳥取ループさん自身の文章ですが(2010年)、いま読み返すと面白いですね。「同和にああ言われたら、こう言い返せ!」。今回の訴訟でも存分に使えるのではないでしょうか。もし通用しないとしたら、この指南書自体が紛い物ということになります。

    >“ババァ”やフランス語話者であれば、それが誰なのかということは比較的はっきりしているが、同和地区住民となると、いろいろな意味でさらに曖昧だ。「同和地区住民」が同じような訴訟を起こすことさえ非常に考えにくいであろう。原告の住所は確かに同和地区か、原告は本当に部落民かということが裁判の争点になれば、さらにドツボにはまることになってしまうだろう。

    ttp://p.booklog.jp/book/17238/page/200227

    その「非常に考えにくい」ことが起きてしまった点に人生を感じます。人生、まさかということが起きるものですね。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      拙著をお読みいただきありがとうございます。おっしゃる通り普通はあり得ないことが本当に起こっていまいましたね。それが同和です。

      裁判所としては、どうせ「結論ありき」で判決を書くでしょうから、どういう屁理屈をこねるのか、そこに注目してください。

      返信
      1. 徒然人

        ご本はAmazonでも取り扱いあるのですね。ジャンルも多岐にわたり、興味をそそられます。いずれも現代日本の真相に迫る必読書です。購入することで、鳥取ループさんの支援にもつながります。

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