学術・研究:部落探訪(113) 大阪府東大阪市長瀬町“北蛇草”

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

北蛇草きたはぐさと言えば、同和地区の呼称として使われ、部落解放同盟蛇草支部があること等から、今となっては部落の地名のように思われている。

1935年の記録でも、302戸の部落が北蛇草という地名で掲載されている。部落解放研究所が出版した『大阪の同和事業と解放運動』でも、 1958年に 北蛇草430戸と記載されている。

今回も記事と合わせて探訪動画を見て頂ければ、より啓発されることであろう。

実は、北蛇草は本来部落の地名ではない。明治期の地図と現在の地図を重ねると、北蛇草は現在の東大阪市寿町辺りとなる。

ここが、浄土真宗本願寺派、本照寺。この辺りが北蛇草の中心となる。

周辺には細い道、廃墟がある。しかし、ここは部落ではない。アイキャッチ画像は言わば釣り画像であって、申し訳ないが部落とは無関係の写真ということになる。

ここは「南蛇草」の中心部の寺。

JR長瀬駅と近鉄長瀬駅の間の辺りが部落であり同和地区である。ここは長瀬青少年センター。大阪市では各同和地区の解放会館が解体されたが、ここ東大阪市では同和行政の巨大な箱物施設が未だ現役だ。

これは同和浴場の「わかば温泉」。この施設の規模も別格で、泡風呂、電気風呂、サウナがあり、公衆浴場というよりもスーパー銭湯と言ってもいいくらいの規模だ。

しかし、入浴料は250円と格安だ。

ちなみに、脱衣場には「まもろう人権、なくそう差別」と大きく掲げてあった。周辺地域からも入浴者が訪れるため、周辺の民間の風呂屋の経営にも大きな影響を及ぼしてきたという。

もとは「ひがししょう」という村で、北蛇草の枝郷であった。今では巨大な団地が立ち並び、それは村があった場所だけでなく、周囲の田畑であった場所にも広がっている。戦後以降の移住者がかなり多いはずで、在日コリアンも多いと言われている。

この民団の支部はそれを裏付けるものかも知れないが、場所的には部落ではない北蛇草本村近くにある。

比較的古い団地のベランダには物置のようなものが見えるが、これは後で付け足した浴室だという。昔は公衆浴場に行くことが前提で、団地に風呂はなかった。

浄土真宗大谷派の寺が東ノ庄の中心部となる。この周囲が古くから部落があった場所で、今でも持ち家が見られる。

これは波牟許曽はむこそ神社 。蛇草という地名の由来になったとも言われる。「はむ」は古語で蛇を意味するという。

しかし、昔から「はむくさ」という地名があり、それが神社の名前になったという説もあり、「蛇草」という名前の由来ははっきりしない。

『大阪の同和事業と解放運動』には、この部落の地場産業としてブラシがあることが記されている。それを裏付けるように、今でもいくつかのブラシ工場があった。

この近鉄長瀬駅の近くには「杉」という名物店がある。部落を探訪した後は、ここに行くのがおすすめだ。

ホルモンと冷麺を美味しく頂いた。冷麺は自分で酢と醤油を注いで味付けするスタイルである。ちなみに、店の場所は部落外だ。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(113) 大阪府東大阪市長瀬町“北蛇草”」への13件のフィードバック

  1. 佐藤哲郎

    >>アイキャッチ画像は言わば釣り画像であって、申し訳ないが部落とは無関係の写真ということになる。
    最近は耐性がついてなんとなく分かるようになってきました。
    でも世間一般の人が見れば「部落」だと思うのでしょうね。(かつては自分もそうでした)そういう意識を根付かせたのが今も続く「同和教育」なんだと感じています。
    この記事のように、現在の真実の姿こそ、もっと知られるべきだと思います。

    返信
  2. 兼近

    いつも興味深く拝見しています。
    是非、北関東の群馬や栃木について掘り下げてもらいたいです。

    返信
  3. ややや

    地区と無関係な廃屋のアイキャッチ画像の掲載は、よろしくないと思います。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      ごめんなさい。北蛇草で見つけた廃屋が文字通りキャッチーだったもので。

      返信
  4. 音野

    JR長瀬駅から北に上がって、線路沿いにある市営住宅。
    現在の大阪の同和地区では珍しいアパート型の住宅があるのですが、
    そのうちのひとつに松〇晃の家があります。
    でその姪っ子のオセロの白いほうは、昔駅前のでっかい改良住宅に住んどったって噂があった。

    蛇草もまだきれいになったほうやと思う。
    現在駅前のロータリーがある場所、城東貨物やったころは線路沿いが草ぼーぼーの空き地で東大阪やのに殺風景やったな。
    貨物が走ってた頃は、路駐とか不法投棄された車がものすごい多かった。

    東の庄の地名は地元の人でもほぼ知らんと思う。
    角川地名辞典とか、東大阪市史とかにはちょこっとだけ出てくるだけで、東の庄に賤民が住んでたとかそういった史料は読んだことなかった。北蛇草の名前は出てくるが、、、
    確かに明示・大正期の地図を見ると北蛇草は寿町のあたりにある。
    ただ地元の50代くらいまでの人は北蛇草も南蛇草合わせて蛇草=部落=団地群といった認識でいてるね。
    長瀬町にでかい墓地があるから、町の一部がものすごい線香臭いときがあって、蛇草=暗いってイメージを持ってる人もいる。
    ちなみにあの墓地河内七墓っていう行基が造った伝承がある。で、東大阪の隣の八尾の晒ってとこにも河内七墓のひとつがあり、そこは同和指定を受けてない未指定地区。

    コリアンについてですが、東大阪自体在日2世3世が多いので珍しいことではないけど、家賃とか安いからどんどん入ってきたんかな。ちなみに長瀬町に住んでるうちのお寺の檀家さんに話を聞いたら、市営住宅の又貸しが結構多く、出稼ぎにきた中国人とかに貸してるらしい。

    返信
    1. 放浪流民

      だんじりは「長瀬」の名前で曳いていますね。
      「北蛇草」が寿町あたりのことを指しています。
      いうなれば、「東蛇草」という呼称がしっくりくるのかと。

      返信
  5. てんてん

    近くの者ですが、『東ノ庄』と言う名前は初めて聞きました。北蛇草の枝郷の名前なんですね。
    『蛇草』と言えば有名ですが、細かく言うと『北蛇草』自体は寿町と言う認識で同和地域ではなく、『南蛇草』も柏田の方で、『東蛇草』=長瀬町がその認識です。

    恐らくですが、北蛇草は、『蛇草』と言う名前が有名すぎて、新しく寿町にしたのではないでしょうか。そして地元では『北蛇草』の一部であると言う認識を避けるべく『東蛇草』とも俗に呼ばれいた地域が、『蛇草』を廃すべく名前を変えて、元々もっと大きな地域名の『長瀬』を付けたと。

    旧長瀬村地域には横沼・衣摺・北蛇草・大蓮・柏田等々の集落が有り、明治の神社合祀で各神社が長瀬神社にまとめられました。現長瀬町地域も一旦は合祀されたらしいですが、地域柄色々有ったのでしょう、再び合祀から抜けて、自分の村に再建されたと聞いています。前述の横沼・衣摺・北蛇草・大蓮・柏田はだんじりが有り長瀬神社にお参りします。長瀬町のだんじりは波牟許曽神社にお参りします、ちょっとややこしいです。

    返信
  6. てんてん

    焼肉「杉」は、長瀬町から近鉄長瀬駅を挟んで反対側で、地名で言うと『近江堂(おうみどう)』ですね。
    隣の弥刀駅と長瀬駅の間ぐらい、弥刀(みと)神社の氏地です。
    ちなみに大和川の付け替えで長瀬川がまだ川幅が広く、剣先船が行き交っていた頃、この辺りに
    大きい船着き場が有った事から水戸⇒弥刀、大水戸⇒近江堂となったとか。

    返信

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