同和行政の監視・チェックは長年、共産党の独壇場で保守系は後手に回ってきた。しかし広島県福山市の石岡久彌市議は自ら福山維新の会を結成し、保守系議員ながら市の同和事業を厳しく追及している。福山市といえば広島県内でも同和事業が最も盛んな地域だ。なぜあえて「同和政治の撤廃」という困難な公約を掲げ、福山市政に身を投じたのか? 石岡市議を直撃した。
――SNS上や同和マニアの間で石岡先生は話題になっていますよ。「さようなら同和行政ってなんだ」って驚いています。ぜひその活動や理念をお聞きしていきたいのですが、まずは自己紹介からお願いできますか。
関心を持って頂いてありがとうございます。「福山維新の会」の名前はかなり浸透してきましてね。「石岡は知らないけど、福山維新の会は知っている」という人は結構多いですよ。それでちょっと自己紹介させて頂くと、私は防衛大学校を卒業して陸上自衛官になりました。いわゆる「ゼネラルスタッフ」(指揮官・幕僚・参謀等)で約2年ごとに全国各地(海外勤務含む)を赴任して様々な経験を積むんですよ。そして一番、勤務が長かったのは陸・海・空自の統合・総合職(合計して約10年間)。最も大変だったのは「統合幕僚会議事務局」の勤務でした。
自衛隊のことをあまりご存じない人のために説明しておくと今、自衛隊の日報問題が持ち上がっていますよね。あの日報を管理していているのは、今は統合幕僚監部(統合幕僚会議事務局の後継)です。陸海空全ての運用や指揮をここで執ります。あとは外務省に出向してフィンランド日本国大使館に武官(防衛駐在官)で赴任したこともありました。自衛隊暮らしが長いからとにかく礼儀は大事にしています。議場に行っても大きな声で挨拶します。挨拶は人の基本。ところがこんな大事なことを忘れている議員・市職員が多いですよ。それからいつも元気で活動的です。私は大型並びに大型特殊免許も持っていて、戦車だって操縦できますが、市議会まで自転車で一時間くらいかけて通っています。
――とてもエネルギッシュで力がみなぎっています。ところが退官されて本来は悠々自適のはずなのになぜ議員になったんですか? しかも福山で同和を追求するのは並大抵ではありませんよね。
ええ。話し出したらキリがありません。福山の同和とおっしゃったけども、アナタは福山市のシンボルマークって何か知ってますか?
――すみません、存じ上げません。
福山というのは薔薇でPRしています。他方で薔薇には荊(とげ)がついているんだけど・・。
――ああ。荊冠旗ということですか。
そう。いまだに福山市は同和事業を続けています。正確に言えば一般対策に紛れた同和対策なんだけどね。私はね、あの薔薇のマークは荊冠旗の“裏メッセージ”に思えてならないんですよ。話がそれたけども、自衛隊を退職して福山市に戻ってきて何か地域に役立つことがしたいと思っていました。その時に市民オンブズマンの人たちと交流したんだけど、彼らが一様に問題視したのは「同和事業」でした。私も全国各地を回っていたから同和についてある程度の話は聞いていたけど、まさか福山市がそんなひどいなんて知らなかった。そこで「さようなら同和行政」「STOP同和行政」というスローガンを立てて議員を目指したんです。そして2016年に初当選することができました。
――どんなことで苦労されましたか? 圧力があったとか?
苦労したことはたくさんあります。初めて福山維新を作った時に40人ぐらいの人が集まってくれたんです。ところがみなさん心の中では同和に対する問題意識があるのに、実際に取り組もうとすると怖がってしまう。どんどん抜けていきました。私についていると危害が及ぶと考えているのです。それから選挙カーも大変でした。福山市には貸してくれる会社が20社ぐらいありますが、どの会社にも断られました。時には社長さんに直接かけあったけどダメ。要するに流行りの「忖度」ですよ。私に貸したら大変なことになると思ったんでしょう。ところが面白いもので、隣の府中市のタクシー会社が貸してくれました。この辺りの地域事情はまた後でお話しましょう。
それから部落解放同盟広島県連合会が私を糾弾するという話もありました。というのも福山市議会には40名の議員がいますが、そのうち2人が解放同盟出身者です。私が市議会定例会・委員会で必ず質問に立って同和行政の撤廃等を訴えているからそのことが気にいらなかったんでしょう。ただ怯むことはありません。いつも大きな声でヤジがあってもヤジり倒し堂々とやっていますよ。一人会派だけど負けていません。
――市議会に組織内市議が2人も。地方議会ということを考えると多いですよね。
そうでしょ。ちょっと話がそれますが小森龍邦(元衆院議員・広島県部落解放同盟元委員長)って知ってるでしょ? 隣の府中市は小森の地元ですよ。その息子(小森龍太郎氏)が市会議員をやっていましたが、すでに落選しています。備後地区というのは府中が解放運動の原点で、水平社も府中にありました。ところがそんな府中で組織候補が落選して、しかも早くから同和行政も終了させました。それは広島県の左翼や解放運動をなんとかしようということで亀井静香(元金融担当相)さんたちが動いて旧建設省の官僚だった伊藤吉和(前市長)を府中市の助役にしました。それから伊藤さんは2002年に市長選に当選して、府中市の同和事業をバッサリと切ったんです。
――では福山市の枝廣直幹市長の市政はいかがですか?
全くダメですね。彼は高校(誠之館高校)の後輩なんですよ。財務省主計局出身で近畿財務局長をも務めた経歴があります。
――ああ、森友学園の?
学園敷地の売却交渉当時の支局長ですよ。今まで市長は森友学園のことで度々、マスコミの取材を受けて来ました。まあそれはさておいて羽田皓前市長の路線を継承するということで2016年に当選しました。後輩だから最初は随分、期待したものですが、これがどっこい頼りない。私が昨年の市議会で同和行政について質問したところ「10年前に終了している」というのです。これはごまかし答弁ですよ。終了したというのはハコモノ事業やインフラ整備のことでしょう。今の問題はそういうハード事業ではありません。私は「人権標語の看板」「市民憲章」「広報誌」「住民学習会」の4つの廃止を訴えています。人権標語に何の意味があるんですか。市民憲章の「人権を尊重し 差別のない人間関係をつくりましょう」もそう。人権標語も市民憲章のこの文言も人権団体に配慮してやったものでしょう。広報誌にもインターネットへの差別書き込み禁止とか身元調査禁止だとかね。解放同盟の主張をそのまま載せているじゃないですか。「住民学習会」あるいは「ふくやま人権大学」もそう。人権大学のコースを見ると同和問題入門「私のこころを育てよう!~共に歩むために~」というのがあります。結局、役所における「人権」というのは「同和」のことですよ。これを廃止させるよう取り組んでいます。
――確かに私どもも取材してきて地元の解放同盟員の要求で人権看板が建ったということはありました。そういうものを無くそうというのが「さようなら同和行政」ということですね。
その通りです。そして私はこれらの事業を無くせば市民がもっと市政に参画できると考えています。それは投票率の低さにも表れています。例えば市長選の投票率は24%(約6年前)そこそこ。これはチラシにも書いているけど、周辺の自治体はこの3倍はあります。市民は相変わらず同和が怖いんですよ。ズルズルと同和事業をやっているから市民が怖がって市政から離れると考えたのです。そこで福山市は38万人の有権者がいますが、15万枚のチラシをポスティングして有権者への理解を進めています。同和は怖くない、たいしたことないんだと勇気づけないといけませんよ。アナタたちも「同和なんて怖くないぞ」「たいしたことないんだ」という風に勇気や希望を持たせるような記事を書いてほしいですよ。
――耳が痛い話です(笑)。ぜひそのアドバイスを活かしたいと思います。
取材を終えて。とにかくエネルギー溢れる石岡市議。同和行政を追求するのは故郷、福山市への思いが原点だった。この熱意とパワーできっと福山市政を変えるに違いない。
福山は石岡議員のご活躍で人権施策が変わりつつありますが、お隣の岡山県笠岡市は広報誌に連載で人権のページを設けたり、人権に関する催しを度々開いたりと、人権施策が年々エスカレートしています。笠岡の実態についても調べていってほしいです。
ありがとうございます。最近、同和が盛んではなかった地域で事業が拡大している傾向があります。笠岡もそうかもしれませんね。後日、調査させて頂きます。
少しずつ東に行くと更にいろいろと見えてきます。
比較的公になることが多かった関西方面とはまた別なドス黒い実態が見えてくると思います。
見えるところだけ荊を抜いて美しい花を装うのには最適な地です。
ありがとうございます。福山の場合は人権平和資料館も見てきたのでまた後日でもレポートします。
同和事業とは関係ないことですが、笠岡市やその周辺では人口減少対策として国から補助を得るために、市域を分割した地区ごとに、「まちづくり協議会」を結成させ、「地域おこし協力隊」を配置する動きが活発です。笠岡の隣、井原市では市長選立候補予定の元市職員が職員時代に小学校存続のために娘親子を帰郷させ、娘を市営住宅に住まわせ、更に地域おこし協力隊として就労させるということが起きており、まちづくり協議会や地域おこし協力隊事業は、一般地域でかつての同和事業のような集落地への我田引水ができる事業となっていますので、そのあたりも注目されたほうがよいと思います。
広島の部落解放同盟は陰険陰湿で、悪賢い。悪知恵の固まりである。貶められないよう、非常に注意して活動してください。
「街宣車でもって卒業式をひねり潰すぞ」だもんね。非常に怖い。今まで、どれだけ多くの学校関係者が自殺に追い込まれてきたことか。
塩村元都議の父でもある備掃社、塩村一氏の汚泥事件や市長恫喝も同和と関係があるのでしょうか?
その話をすっかり忘れていました。すみません。再チャレンジ致します。
『それから部落解放同盟広島県連合会が私を糾弾するという話もありました。というのも福山市議会には40名の議員がいますが、そのうち2人が解放同盟出身者です。私が市議会定例会・委員会で必ず質問に立って同和行政の撤廃等を訴えているからそのことが気にいらなかったんでしょう。』
これが本質ですね。差別を糾弾するのではなく自分たちの意に反する人を弾圧していたことを自白しているのですね。
並の議員ならすぐに白旗でしょうが、なにしろ石岡議員は腹の座り方が違います。
若い議員さんも続いてくれたら。
石岡議員さん頑張っ下さい。
広島に住んでいましたらかなり応援しています。
石岡さん応援しています。
同和に怯えることのない福山市になるよう願っております。
確かに45年前にそんな教育を受けてました。未だに何だったのだろう?と思います。そうゆうこと本当に最近知りました。子供にそんな教育するなよと思いました。
おはなし拝見しました。善意にみせかけた横暴です。あなたは もっと同和を勉強されるべきです。
もちろんこの問題は一生勉強しなければなりません。人権問題は専門家ヅラするのが一番よくない。
貴方の姿を街中で見かけたころから興味がありました、
同和行政に対する姿勢を応援しています、ちなみに昨日の選挙で一票を入れさせてもらいました、頑張って下さい。
孤軍奮闘は大変でしょう、仲間を多く持ってください。
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