山口県で最大の部落は周東町上久原にあり、「久原」と言えば当然岩国市でも最も有名な部落なのだが、具体的にどこが部落なのかということになると、市民の意識は釈然としない。下久原全体が部落だと思っている人もいた。
しかし、具体的に周東町下久原緑町と答えられる人はいなかった。研究者によれば、江戸時代の文献から緑町に穢多村があったことが分かるが、歴史家でなければ地元の人間でも知る人はほとんどいないだろうということだ。
この高森天満宮の裏手が緑町である。1935年の記録では世帯数は60。
ここは農業が主産業で、生活程度は悪くなかった。見た目は周囲の他の農村と変わらない。戦後間もない頃の航空写真を見ても、住宅が密集しているということもなく、ごく普通の農村にしか見えない。
ここが集会所。普通の自治会館で、同和対策のものではない。この地域は、同和事業が行われなかったと考えられる。
古くからの集落の周辺には、新しい住宅がいくつも建っている。数百メートルのところには岩徳線周防高森駅があることから、交通の便はよい。
建っている家は、田舎では普通の大きな家が多い。あからさまな御殿が建っているということもない。
それでも部落らしい風景がないか探してみるが、どこも至って普通だ。
道が狭い場所もあるが、下水道が通っている。
小さな水路に鯉がいた。
集会所の裏側に立てかけられた看板には、下水道は昭和63年に簡易保険、郵便年金積立金からの融資で建設されたと書かれている。つまり、同和事業ではないということだろう。
ああいった細い里道敷のような道でも汚水管が整備されてることは同和地区でなくても割とありますよ。
土地改良区では農業排水のマンホールもあります。
ただやはり地方はどこも雨水管や合流管で雨水を流してるのでなく、側溝や暗渠、大きな水路が道路の脇にあり、そこで流してるとこが多いですね。
地方の同和地区で道路の両脇に側溝がなくて、L型側溝や雨水マンホールがあればその地区に下水道整備の予算がつぎ込まれてるのかもしれないですね。
同和地区で該当する人はみんなで別の場所に移転させられることもあると聞いているので、
地区に現在も居住しているかどうかはわからないと思われます。
URLは地区外ですが付近にある公営住宅です。
https://goo.gl/maps/YhiFBiQHKBiw1tgG7