曲輪クエスト(423)桶川市 若宮2丁目

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By 宮部 龍彦

菊池山哉は『長吏と特殊部落』に次の通り記している。

○町谷は畦吉から、桶川宿へ通ずる道筋で、下村は、桶川宿南方中仙道筋に位置する。此処は一町内でも、別々の曲輪である。本来二ケ所となすべきものである。

○両村とも白山神。

○農家が多い。町谷二十戸、下村十戸。

町谷村は、昔は独立して居った村である。字名に上宿中宿とあるから、中世市によって開かれた町である事が推想される。曲輪は其のとき設けられたもので、夫が江戸開府と共に、中仙道の開通となり、桶川宿の建てられると、共に下村の分れとなり、今日に至ったものであらう。

○従って下村の方が、白山神は立派であり、町谷の方は、哀れな姿となって、宅内祠の観がある。下村の白山神を尋ねたときには.折柄祭りで(四月二日)菰の上で十人許り,焚火で燗をして、神酒をやって居った。

神木は百年許りのものである。町谷の人は、農業に精進して、既に曲輪であった昔時を忘れた趣が見える。下村が設けられたときに、手を洗ふべきものであったらう。

今回はその「町谷」を訪れた。明治期の地図であれば「大谷領町谷」との記載がある。

その付近に「ユニティ」という市の施設がある。

管轄が教育委員会であることから、教育集会所であることが分かる。

もとは施設名に「町谷」を冠していた。名前を変えたのは、もはや町谷という地名がなくなっているし、実際の町谷はここから少し離れていることもあるだろう。

人の気配はないが、なぜか自動ドアが開いた。

中には部落や人権と書かれた掲示物、

そして、保守派向けのアリバイ作りとしてしばしば掲示される北朝鮮拉致問題の啓発ポスターもあった。これはもう鉄壁の同和施設であろう。

それにしても、これほどオープンだと泥棒に入られてしまわないか不安になる。日本の治安のよさゆえのフリーダムな管理方法か。

ここから少し南の、過去の地図で町谷と記載されている辺りに来てみた。

ここは桶川駅が近い。表通りには人権尊重都市の看板がある。

気づいたのは「野本」という表札の家が多いこと。

しかも豪邸か、あるいは広い庭のある昔は農家であったであろう家が多い。

この若宮西公園が古村の中心部となる。

古くからの家の間に、新しい住宅も建っている。

まず分かっているのは、ここには全国水平社の桶川支部があり、支部長が野本武一という人物だったことだ。野本武一は後に部落解放同盟埼玉県連合会委員長になっている。

そしてもう1つ気になっていたのは白山神社。菊池山哉は「町谷の方は、哀れな姿となって、宅内祠の観がある」と記している。本田豊も『白山神社と被差別部落』で野本武一の生まれた部落の白山神社について「今は個人の氏神様になってしまっている」と記している。

結論から言えば、それを見つけることが出来た。これである。

もともと田畑の間にあったのが、ここに移されて屋敷神になったという。

その時期がはっきりと分かるものが傍らにある。昭和12年7月8日、願主、当村、辻本澤太郎。辻本とは近所の人だそうだ。

同時期に桶川水平社に辻本磯吉という人物がいたことが文献で分かっている。すると、古村の名字は野本と辻本ということになるのだが、菊池山哉が記した20戸よりはかなり多いように見える。

もうそろそろ片付けるかも知れないということだが、その前に桶川市教育委員会が記録を残しておくべきだろう。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(423)桶川市 若宮2丁目」への1件のフィードバック

  1. .

    植松安太郎『人間解放をめざして』(デジコレで読める)の部落民座談会のp.216では埼玉県の部落民の川島さんが

    「何を間違ったか市役所のお役人様は部落民はほとんど坂本だ松本だ、藤本、野本、橋本ってみんな本がつくと思っていたんだなあ」

    と発言していますね。野本武一や松本治一郎の影響でしょう。
    #9d3ad9e00f464e78be5486e112d3005a

    返信