全国各地に様々な人権団体があるが、神奈川県には「国連NGO横浜国際人権センター」という団体がある。名前の通り所在地は横浜だが、「語る・かたる・トーク」と言えば全国各地の人権施設でよく目にするので、人権関係の活動に関わった経験のある人はご存知かもしれない。
国連NGOとは言っても「国連グローバル・コミュニケーション局登録NGO」と呼ばれるもので、あくまで広報に協力する程度の位置づけである。
横浜国際人権センターの運営費用の大部分は日本の税金。そしてイベントの集客も自治体による動員という実態だ。
運営費用の 大部分は税金
「国連NGO横浜国際人権センター」については、以前、山梨県甲府市の施設に無償で入居していることを取り上げた。その記事で、どのような団体なのか説明しているのだが、忙しい方のために、AIによる要約を掲載しておこう。
横浜国際人権センターは、1989年に全日本同和会神奈川県連合会が設立した「神奈川県人権総合センター」を前身とし、1992年に現在の名称に改称された団体です。当初は全日本同和会が協賛する形で運営されていましたが、会長である杉藤旬亮氏が同和会活動から離れたことで独立しました。国連広報局登録NGO(DPI/NGO)として登録されており、国連の事務方との情報交換を行う立場にあります。活動内容としては、月間啓発誌「語る・かたる・トーク」の発行、講演会やパネル展の開催が挙げられます。横浜国際人権センターは、特に部落解放や人権啓発活動を目的として設立され、現在も関連する取り組みを続けています。
これは横浜国際人権センター自身が作成した、補助金一覧表である。清川村を除く、神奈川県下のほとんどの市町村が補助金を支出していることが分かる。人口の単位はおそらく〝万人〟だが、支出額が必ずしも人口に比例していない。例えば、秦野市が人口規模に比べて金額が大きいのは、神奈川県唯一の隣保館(旧同和地区施設)が存在し、神奈川県最大の部落があることと関係があるだろう。川崎市が多いのもお察しである。
筆者の独自調査によれば、横浜国際人権センター全体の収入は4000万円強。補助金と同規模かそれ以上の収入になっているのが「語る・かたる・トーク」の販売収益だ。これは全国各地の人権施設や人権部署に置かれているので、結局はこれも多くは税金が原資ということになる。
講演会は あからさまな動員
その活動内容は、「移動教室」という小中学校を対象とした講演。そして、「語る・かたる・人権トーク」という各地での講演である。
去る10月24日、相模原市民会館でそれが実施されるというので行ってみた。
目についたのがこれ。「一般受付」の他、「市職員」「公民館」「児童育成指導員」「公益法人等」「民生委員児童員」「神奈川県職員」「県立高校等」のための受付がある。これはそれぞれの部署に動員がかかっており、ちゃんと指示どおりに来ているかチェックしているというわけだ。
無論、筆者は「一般」である。受付で名前を書かされることはなく、最新の「語る・かたる・トーク」とスケジュールを渡された。
これが会場の様子。前方ではなく後方から席が埋まっていっているところから、来場者のやる気が見えてしまう。
これが講演内容。テーマは曲輪クエストでも取り上げたことのある「差別戒名」。講師の斎藤洋一氏は、スクリーンに写真や文献を写しながら、用意した原稿を読み続けていた。
なお、筆者は「差別戒名」について、それが本当に差別と言えるのか疑っている。講演を聞いても、それは払拭されなかった。また、「差別に使われるから」という理由で具体的な場所についての言及はなかった。いずれにしても、神奈川県内の話は1つも出なかった。
講演は午後3時30分までの予定だったが、時短されて3時に終わった。
さて、筆者が相模原市に情報公開請求して得た文書によれば、やはりあからさまに動員だった。例えば、これが民生委員への動員要請だ。
こちらは各課、機関への動員要請。「動員依頼数」は547人と書かれている。県から依頼があって、それに相模原市が応えていることが分かる。無論、こうでもしないと会場は埋まらないであろう。
研修の目的は「人権尊重思想の普及高揚」ということであるが、「差別戒名」という説について講演を聞くことでそうなるとは考えづらい。
脱税指南の裁判例に 会長の名前が
横浜国際人権センターの杉藤旬亮会長の名前で調べると、気になる過去が出てくる。判例サイトの「大判例」に掲載された、次の2つの判例である。
東京高等裁判所 平成5年(う)403号 判決 1995年7月12日
最高裁判所第二小法廷 平成7年(あ)763号 決定 1998年1月20日
これは、小畑という人物が藤井という夫妻に対して脱税指南をして、報酬と引き換えに相続税を逃れさせ、相続税法違反とされたものだ。杉藤氏の名前は税逃れのための相談先の1つである「同和関係者」として出てくるものの、結果的に杉藤氏の関与は〝未遂〟で終わった。
高裁の判決理由にはこう書かれている。
被告人は、章夫ら夫婦が自宅に来た際に、同和関係者を関与させて依頼に応えるという話をしておらず、専ら代議士の政治力を通じて努力するという話をしたと力説し、現にその前から代議士秘書に電話で税金が安くなる方法はないかと相談していたと主張し、また、章夫ら夫婦は、被告人宅に来る前に相談を持ち掛けた杉藤旬亮が同和関係者であったため話を打ち切ったことがあり、被告人から同和関係者を関与させる話をしたとすれば依頼を取り止めたはずであると主張して、章夫や谷の右検察官調書は信用性を争っている。
しかしながら、右代議士秘書は、同人の検察官調書中で、被告人の言うような相談を受けたことはない旨供述している。合法的な節税の相談事であったというなら嘘をついてまで隠す必要がないのであるから、その供述は信用することができ、被告人の原審公判廷における所論に沿った供述は信用することができない。また、章夫は前記検察官調書で、自分らが杉藤へ依頼するのを止めたのは、同人から税金を安くするには同和団体の会員にならなければならないと言われたり、その態度や風体から同人を信用できないと判断したためであると供述しており、同和関係者が相続税の減額問題に関与すること自体を嫌ったからであるとは述べていない。
これはどういうことかというと、小畑はあくまで政治家の政治力を通じて合法的に節税をするために努力したのであって、同和を利用して脱税をしたつもりはない、その証拠として夫婦は同和を嫌っていたと弁護人は主張した。しかし、夫婦はあくまで杉藤氏のやり方に反発したのであって、同和を利用すること自体は了承していたとして、裁判官は弁護人の主張を否定したということだ。
つまり、無罪である理由のキーポイントが夫妻は同和を嫌っていたということなのである。
弁護人による上告趣意書には、さらに生々しい記述が出てくる。
右調書には、芳江が「やだよ、私いくらなんでもカンポなんかに入るのやだよ」と言っていた旨の、また、章夫自身も「小さいころからカンポはこわいという意識を持っていた」との各供述記載があるのであって、これらの供述は藤井夫妻が同和に対し極度の嫌悪感を持っていたことを示すものである
これは民俗学的にも興味深い記述である。1990年代の、関東の高齢者は同和を「カンポ」と呼ぶことがあったのだ。これは「皮坊(カーボー)」の北関東における転訛ではないだろうか。
それはさておき、杉藤氏が同和を利用した税の削減の相談を受け、全日本同和会の会員になればよいという具体的な提案をしたことは事実であろう。
そして、これは皮肉なことではあるが、仮に藤井夫妻が杉藤氏の提案を受けていれば、立件されなかった可能性が高いのではないだろうか。事件は結果的に「同和対策新風会」というマイナーな同和団体の名前を使ったことで摘発されている。
仮に「全日本同和会」であれば、1986年に全国自由同和会が分裂してそちらが政府との交渉団体になっていたとはいえ、神奈川県の主流は全日本同和会である。なおかつ1991年の「みなとみらい糾弾事件」(「甲府市施設に 家賃&光熱費無償で 入居する 横浜国際人権センターとは何か?」を参照)では、まさに杉藤氏が会長である全日本同和会神奈川県連合会は神奈川県と横浜市当局を糾弾して存在感を示していた。そして、当時は同和団体に対する税務上の優遇が公然と行われていたのも事実だ(「国税庁・大阪国税局は 同和優遇の 取り決め文書を 保有していないと回答」参照)。
筆者は横浜国際人権センターにコメントを求め、担当者に「杉藤会長と話したいですか?」と言われ、「話したいです」と答えたものの、今に至るまで連絡がつかない状態である。
今回は「マリア・ルス号事件」の上映が無い分、30分早く終わったんですねぇ。
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