小林初枝『こんな差別が』には次の記述がある。
私の友人の弟で岩上姓なる青年が、部落外の娘と恋仲になりましたが、娘の親戚から、「せめてもう少し離れた土地の岩上なら、世間さまへいいわけもきくが、児玉で岩上といやあ、だれでもいわずと部落が知れてしまうので、いいわけも、いいのがれもきかない」という理由で、ふたりの仲が割かれたと聞いています。この岩上姓ですが、これもよく考えてみると、その一族に、戦前戦後を通して、部落解放運動にとびまわった人がおります。その人は戦前は農民運動で牢獄の飯を味わい、戦後は社会党から出馬して埼玉県会議員として活躍したほどの業績を持っています。これらの状況が、岩上イコール被差別部落というイメージを、町民や近在の人びとに与えているようです。
その岩上という名字が集中しているのが児玉町吉田林である。
『こんな差別が』では、そこも下町の一部であるかのように書かれていたが、おそらく下町自治会には含まれていない。ただ、山王に隣接しているので、下町と一体と見られた可能性はある。地図をよく見ると意外に近かったので、山王からそのまま徒歩で向かった。
グーグルマップには、舗装されていない道を案内されたがそのまま進んだ。
途中に農機具保管庫が。「吉田林農機具利用組合」とあるので、ここが吉田林で間違いないだろう。昭和60年度に作られたということは、これは同和対策によるものである可能性が高い。
地名の由来は、北にある木の多い場所だから北林。それに好字である吉を当てて、吉田林となったのだろう。
途中に神社の鳥居が見えた。
この神社の夫婦猿というのが有名らしい。
これは立派な神社だ。ここが仮に部落の神社だとしても、部落だけの神社ではないだろう。
集会所があり、境内には八幡神社がある。
確かにこれは吉田林の鎮守だが、石碑には「岩上」以外の名字も刻まれている。吉田林全体が部落というわけではなく、この神社は一般の氏子も含めた神社であろう。この建設委員を見たところ、融和しているようだ。
さらに進むと、大きな馬頭観音が現れた。ここは昔から三叉路になっていて、ここが部落の中心である。
馬頭観音の石碑の裏側には「岩上講中」とある。岩上というのは、名字だけではなく、講の名前でもあったようだ。
その歴史ある場所に建つ建物は、児玉教育会館。埼玉教職員組合(日教組埼玉)の建物である。
ここには解放同盟埼玉県連児玉郡市協が入居していたはずだが、今はその様子はない。
周辺は、いかにも古くからの農村だった場所なので、余計に日教組の建物が目立っている。
部落は馬頭観音を中心に南北に存在する。戦前の記録では17戸だが、それよりも規模が大きく、40戸くらいはあるように見える。
北側は、さびれた農村のような佇まいがあるが、新しい家も入り混じっている。
県道沿いに墓地を見つけた。これが部落の墓地ではないだろうか?
やはりそうだった。宗派は真言宗。しかも立派な墓が多い。
六地蔵建設の寄附者も圧倒的に岩上姓なので、ここが部落の墓地で間違いないだろう。
せっかくなので、馬頭観音の南側にも行ってみた。
こちらには、事業所が多いように見える。
ここが日枝神社の参道。
石碑は風化が激しく、文字を読み取ることができなかった。
南側はなぜかお洒落なお店も多い。農村だが、近年移住者が増えているようで、活気がある証であろう。
児童公園を見つけた。公園の雰囲気が、下町にあった公園と同じである。とすると、この公園も、同時期に同じ目的で作られたことは間違いない。
本田豊さんの家の写真も掲載されているね!
ループ氏「さすがに廃墟にはなっていないけど・・・」
本田さん、怒っていいですよ!(笑)
酷いよな。
墓地でも本田姓の墓は無視。
周辺が岩上姓だらけにポツンと本田家だが岩上家は18軒くらいで戦前の調査とだいたい合っている。
ひえだ神社ではなく、ひえ神社ですな。
>石碑は風化が激しく、文字を読み取ることができなかった。
農業用の溜池だった藤池についての石碑。池の名前の由来等が書かれてある1814年の建立だそうです。
宮部氏の出身が○○なら同じ〇〇についてそれこそ仲間同士ですし、記事にしても問題ない気がします。
知らないうちにTwitterのネトウヨみたいな人達に荒らされてますね。
LOOPさんのサイトを見始めてから12年になります。実名のDMが送られてきた時はちょっとビビりました。同時にこの人は大丈夫とも思いました。今後も探訪を続けて下さい。 中馬馨
ああ、本当にね。