学術・研究:部落探訪(255)滋賀県 東近江市 御園町

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

今回訪れたのは御園町。かつては薗畑という名前で、例のデータだと昭和初期には103戸の部落だった。近世は横井村と呼ばれ、明治初期の記録では156戸とあるから、明治以降から昭和初期にかけて世帯数が減った珍しい部落である。

さらに特筆すべきことは、戦後にこの部落は同和行政を巡って非常に特殊な経過を辿った。この歴史は忘れられようとしていたところであるが、同和行政の研究上、極めて重要な記録なので、分かっていること出来る限り詳細に記述することにする。

1960年に同和対策審議会が設置され、1965年が8月11日に同和対策審議会答申が出され、同和対策事業の必要性が叫ばれていた時代のことである。誤解されがちであるが、1969年7月10日の同和対策事業特別措置法施行により、初めて国の同和対策事業の予算が支出されたわけではない。

1953年から現在に至るまで、隣保館整備事業のために国から予算が支出されており、これは事実上の同和対策予算である。1963年から、その隣保館整備事業として隣保館である御園会館が建設され、1965年4月に開館した。当初から非常勤の館長と1人の常勤職員による運営であった。

改善事業は隣保館だけではない。1962年から1963年にかけて排水路が建設された。

1969年から御園町の推進委員により環境改善長期計画の作成が進められ、10ヵ年計画が推進された。1969年に同和対策事業として農業用共同作業所が建設され、1970年に道路整備が行われた。当然、1969年以降は同和対策事業特別措置法による事業であり、御園町は同和地区指定を受けていたのである。

しかし1971年5月、御園町住民239名の連名で「同和対策事業辞退申請書」が当時の八日市市長に提出された。その内容は、次のようなものであったという。

御園町住民の総意により、自今当町に対する同和対策事業はすべて停止願うと共に、同和行政対象地区から一切除去されることを要請いたします。

当町においても、市の指示により長期計画を策定し、これを遂行することが(同和対策事業特別措置)法の目的とする完全解放への方途であると信じ、それなりの努力をしてきた。しかし過去2年間、事業の進行に伴い現行法による事業を推進することへの疑問が次第に住民の間に生じてきた。

対象となる者の立場からすれば、この法の適用を受けることは、自ら「同和地区」であることを認めることであり、事業を進めるに従ってその意識は自他共に深められるのではないかというおそれがあること。

私たちはいかなる立場にあっても差別されることのない基本的人権を憲法により保障された日本国民であり、歴史過程の究明や地域に対する社会観念の是正も勿論必要であるが、最も必要なことは私達自身が真に憲法の理念を認識することによって自ら「同和地区」であることを否定しなければならないと思考する。

このような認識があるいは独善でありあるいは逃避でないかと真剣に討議し学習したが当町ではこの否定が正当であるとの結論に到達した。

敢えてこの決意を行うのは、このことによる住民の精神的自立と一般行政における施策に期待するところある為である。

1971年6月、この文書は市長から滋賀県知事に送られ、1971年7月、滋賀県から市に対して「今後同和行政対象地区外として取り扱うこととした」と通知された。これをもって、御園町は同和地区ではなくなった。

しかし、当地には写真のような市営住宅がある。これは昭和50年代の様式で、同和地区でなくてもこのような団地が多いが、やはりこれは同和地区でよく見られる形式のものである。

1976年6月、17名で部落解放同盟御園支部が結成され、1977年3月に部落解放同盟滋賀県連から正式に承認された。そして、1977年8月に、部落解放同盟御園支部から市長に対して「同和対策事業復活申請書」なるものが提出された。その内容は次のようなものだった。

私達は地域指定辞退の取り消しを宣言し、同和対策事業の復活を要求する。

1971年5月を以て長期計画に基づく事業遂行途上において、自らの力によって解放すべきだとの住民の意志によって同和対策事業の辞退を致した次第ですが、過去6年間何の進展もなく御園町と他部落との差は益々大きくなるばかりで、私達は大きな誤算をしていることに気付きました。おれは同和対策事業を返上することによりこの苦しい部落差別から逃れられるという考えでしたが現実はそんな単純なものではありませんでした。

御園支部を結成し、解放運動の戦列に加わり歩を進めることになり、町住民の運動や施策の必要性を理解させるべく努力しているところですが、ほとんどの人が耳をかたむけない状態でありこのまま進むと残り少ない法のもとで解放への開けない状況であり、私達は少数ではあるが低位な実態に直面しており、その解消に努力しなければならないと考えた。

これに対して、市長は扱いに困ったものと想像できる。この文書も県に送られたが、属地主義としての同和事業の復活は認められないが、申請者に対しては個人施策のみを県と市の予算で行うこととなった。

言ってみれば玉虫色の決着である。国の予算は入れられないという意味では、同和地区指定の復活はなかったのだが、県と市は個人施策についてのみ同和地区としての扱いをするということなのである。

こうして出来たのが、さきほどの高屋団地と高屋集会所だ。これらはそれぞれ同和住宅と同和対策集会所に準じた扱いとなった。住宅が建設されたのは1985年だという。内訳は分譲住宅13戸、公営住宅8戸である。高屋集会所はそれより後の1991年に建設された。

隣は草木に覆われた廃墟があり、ひと目見ただけでは民家のように見えるが、掲示板が集会所であった名残を留めている。これは名目上は公民館の扱いであった。一応、現在も市の所有になっているが、2014年からは使われておらず、譲渡等の処分が検討されている。

こちらは東団地。1978年に分譲住宅8戸、公営住宅8戸が建設された。こちらの方が高屋団地よりも古く、まさに解放同盟御園支部による同和対策復活申請の直後に作られた。

ここは高屋八幡神社。高屋団地や高屋集会所の名前はここから来ているのだろう。

神社がどれだけ立派なものかは、その村のパワーを反映している。そう考えると、御園町は決して貧しい農村ではなかったのではないかと思う。

これは蛇塚と言うそうで、『滋賀の部落』に記述がある。祭神は八大龍王で、中世からあるものではないかという。

その横にある楡の木は「よのみの木」と呼ばれ、雷に打たれたために中がえぐられている。

横井村は八風街道の近くにあり、皮革産業の役目があり、土地を与えられなかったという。しかし、少なくとも今ではそれなりに大きな家も多く、他の農村のあまり変わりないように見える。

墓地を訪れた。はやり浄土真宗。名字は様々である。

気になったのは墓地の横のこの建物。煙突のようなものがあったので、火葬施設かと思ったのだが…

井戸のようなものがあるし、地下深くなっているし、火葬場の構造とは明らかに違う。たまたま墓地にあるだけで、農業用の地下水を汲み出す施設のようである。

最後に、お寺へと向かった。

宗派は真宗大谷派。関西の部落は西本願寺が圧倒的に多いのだが、滋賀は東と西が混在しており、ここは東本願寺というわけだ。

寺の立派さも村のパワーである。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(255)滋賀県 東近江市 御園町」への14件のフィードバック

  1. 松本亙章

    ◎LOS ANGELES辺りでは日系移民と朝鮮系のそれとでは後者が優勢で、議会などで多数決で決められると後者が優勢となり、場合によっては差別を受けます。成り行きとしてリトル・トウキョウやオルベラ・ストリート(メキシコ系)を初めとして、各国同系人種がまとまり、いわゆる部落・町を形成し、生活を営みます。それにより誰も迷惑は被らず、それはそれで良いのです。合衆国とは、よく言ったものです。
    ◎露骨な差別が行われず、公平な生活が保障されるなら、同和地区だの、かつての被差別部落だなど、そんな区分はどうでもいいように思います。とにかく利権を生まない行政の政策が確立されればいいことです。まあ、それも少なからず困難を伴うので、せめて示現舎には、エセを告発していく立場に立ち続けて欲しいです。アタシもサポーター続けますから…。

    返信
  2. …ものすごい反応。おそらく一人がたくさんポストしているのでしょうが。
    この反応がいかに「彼ら」にとって不味い記事であるかという証拠。

    昔の人はきちんと物事を理解して自分らの土地や生活を向上させていこうという気持ち強かったんだなと思った記事でした。

    返信
    1. 教えて

      >この反応がいかに「彼ら」にとって不味い記事であるかという証拠。

      彼ら?
      全ての部落民を指すのか?一部を指すのか不明。

      返信
    2. 匿名

      矛盾してるよ、

      「ものすごい反応」と
      「一人でポストしてるのでしょうか」

      支離滅裂

      返信
  3. 匿名

    同和利権で稼いでいる団体や人を撲滅するのと

    部落観光するのとの違いがよくわからない

    返信

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