学術・研究:部落探訪(237) 長野県 佐久市 平賀北口

By 鳥取ループ

佐久市3箇所目の探訪は平賀北口という部落である。ここは長野県水平社の高橋末次郎の出身地区であるという。1933年の戸数は31であった。

その立地は下仁田街道の裏手で、かつての航空写真では住宅が密集している。おそらく街道の斃牛馬の処理を行っていたと想像できる。

まずは「北口区集会場」という建物に着いた。駐車場はあるのだが、関係者以外駐車禁止となっている。どうもここは、道路を挟んだ向かいの床屋の駐車場になっているようだ。

集会所は素朴な建物で、昭和末期の木造か鉄骨の自治会館によくありそうな作り。しかし、これはれっきとした佐久市の施設で正式名称は「北口同和対策集会所」、地元北口区の自治会が指定管理者となっている。

南の方を見ると、下仁田街道の交差点がある。街道から北に100mほど進んだこの辺りが部落である。

気になっているだろうが、隣に「黄金湯」という建物がある。同和対策の共同浴場であろう。これも、今は使われていない。

黄金湯の隣にも市の施設らしき建物がある。

この建物の少し先くらいまでが部落なのだが、新しい家も見える。

一旦下仁田街道まで行き、そこから白山神社を目指してみた。

かつて街道沿いには商店が並んでいたはずだ。そこから少し住宅地に入ると古くからのものと思われる大きな家がある。

三角形に土が盛られたこれは富士講ではないかと推定されるが、断定は出来ない。単に土地の境界の目印かも知れないし、古墳の可能性も。

さらに進むと、少し周囲の様相が変わってきた。表札を見ていると、どこも「高橋」だ。

防火設備の表記からここが北口区であることが分かる。

公園のよこにあったこの建物、コンクリート製で丈夫なはずなのだが、風雨のためか窓が全てなくなっており、中が荒れ果てていた。

道が狭く、古い家が多く、かつての路地を偲ばせる。

これは日蓮宗に関係するものだろうか?

この家は古いが存在感がある。

そしてついに、白山神社に到達した。

左右には三峯神社と大山石尊権現がある。

白山神社の周辺は草の生い茂る空き地と廃墟で囲まれている。

この石碑は、堤防の改築をした篤志家を称えるもので、特に融和事業に関するものではないようだ。

学術・研究:部落探訪(237) 長野県 佐久市 平賀北口」への3件のフィードバック

  1. 歩けおろじー

    >>富士講ではないかと推定されるが、・・・古墳の可能性も。
    平賀には富士塚がある様ですので、それで間違いないと思います。富士塚は古墳の
    マウンドを利用しているケースもあるので、古墳であっても問題ありません。
    ただし平賀に古墳が見当たらないので、これは最初から富士塚として作られたかと。

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  2. 歩けおろじー②

    >>単に土地の境界の目印かも知れないし
    個々の宅地での境界でこんな大仰なものを築く事はあり得ないと思います。
    江戸時代の村の境界で石柱を立てたりはしますが。それもあやふやになりやすい
    山の中や、非耕作地ですが。

    返信

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