前回の拝島に続いて、昭島市内のもう1つの部落を訪れることにする。昭和初期の資料では部落名は上組、戸数は21とある。明治~大正時代の地図だと「原」という小さな村として記載されている。1930年から1944年のごく短い期間には、五日市鉄道の駅が設置されていたが今は跡形もない。
また、関東の部落の例に漏れず白山神社があったが、現在は近くの諏訪神社に合祀されている。
部落に行く前に、まずは諏訪神社を訪れた。鳥居の前が参拝者のための駐車場になっている。
この神社は室町時代前期からの歴史があるという。
境内の奥に進むと、合祀された神社がそれぞれ社殿と鳥居が用意され、丁寧に祀ってあった。これは期待が持てそうだ。
合祀された白山神社もそれと分かるように存在している。由緒書きにはこうある。
白山神社の由来
御祭神は白山比咩命です。
御本社は加賀の国の一ノ宮として名高い石川県白山市に鎮座する白山比咩神社と伝えられています。
当社は以前、宮沢町二丁目一番十四号に奉祭されていましたが、昭和四十三年十月四日諏訪神社に合祀され現在地に鎮座しました。
白山神社の跡地は、諏訪神社の御旅所として使用しています。平成一八年四月三日
諏訪神社
その、宮沢町二丁目一番十四号に行ってみる。
ここが諏訪神社の御旅所である。この周辺がかつての部落に該当する。
しかし、もはやここが部落であった面影は殆どない。ごく普通の多摩地域の住宅地である。
諏訪神社近くのこの墓地、いつごろからあったかは分からないが、比較的新しく整備されたように見える。阿弥陀寺という真言宗のお寺の墓地であり、部落の墓地というわけではないようだ。
…と思ったら、墓地の中に、周辺の家の表札によく見られる名字の墓が多い一角があった。多摩地区の部落は例外なく時宗と言われるが、「南無大師遍照金剛」とあるので、少なくとも今は真言宗であろう。しかし、墓石をよく見ると、「阿」という文字が入った時宗の法名と思われるものが見られる。
おそらく、もとは時宗であったのが、白山神社が諏訪神社に合祀された時期に真言宗に宗旨替えしたものと判断するかどうだろう?
かつて農村だったことを伺わせる風景も、ごく僅かだが残っている。
しかし、全般にはよそから移住してきた人の家と昔から住む人の家が混在しており、その違いはほとんどわからない。むしろ、墓地にある名字の家は豪邸が多いように見えた。
ここは完全に融和し、解放された部落と言えよう。白山神社が合祀されたことで、近世以前を由来とする伝統的なコミュニティもほぼなくなっていると考えられる。
冒頭部「八日市鉄道」は「五日市鉄道」の間違いではないでしょうか?
すみません、確かに間違いでした
修正しておきました