曲輪クエスト(168)大和郡山市小泉町出屋敷

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By 宮部 龍彦

今回は大和郡山市の少戸数部落を訪れた。1935年の記録では12戸、部落名は小泉西方とある。これは現在の大和郡山市小泉町の一部に該当する。

大和郡山市小泉町には、確かに西方という自治会があるが、明らかに世帯数が12よりもはるかに多く、部落とは考えにくい。その代わりに、目をつけたのが小泉町の一番西の端にある、出屋敷という地域である。現地に来てみると、やや殺風景な場所である。

現地には集合住宅が多く、よそから多くの人が移り住んできているのが見て取れる。本当にこんなところに部落があるのだろうか。

ここはコミュニティーセンター。ただの公民館で、掲示物から見るに同和施設ではないようだ。

むしろ、こちらが同和施設である。ただ、すでに看板が外されている。

ここは隣保館だった施設だが、使われているのかどうか分からない。

こちらは小泉出屋敷集会所。教育集会所と考えられる。

そして、こちらは出屋敷憩いの家。

この一角に同和施設が集積されていたようだが、戸数に比べると不釣り合いに規模が大きいように見え、なおかつ今では既に役割を終えているようだ。

付近には規模は小さいが、古い公営住宅がある。

それ以外は集合住宅と建売住宅と、ごく普通の住宅が立ち並び、部落や同和地区という雰囲気は全く無い。

このような光景が、ここが農村であったことを偲ばせる。

広い運動場のような施設があり、地域住民に利用されているようだ。

さらに進むと、周囲とは雰囲気の異なる一角がある。

通りがかりの住民に聞いてみると、ここは「新山田」と呼ばれる地域。「新」とは言っても明治初期から存在している地域で、古いが大きな家が立ち並んでいるのは、皆地主だからだそうだ。ここは小泉町ではなく、隣の山田町に属する地域で、もちろん部落ではない。

小泉出屋敷について聞いてみると、あそこは山田町とも小泉町とも違う地域で、「出屋敷」と言われるのは、西田中町から出てきた人々による村だったからだそうだ。

つまり小泉出屋敷が部落と言われたのは、西田中の部落から派生した地域だからだろう。そのように、大規模な部落から派生した小規模部落としては平群町の椿井南垣内が思い出される。

椿井南垣内は同和地区指定されずに、ほぼ忘れられた部落だが、小泉出屋敷は同和地区指定されたわけである。しかし、小泉出屋敷は椿井南垣内よりも条件の良い場所にあり、現に多くの住民がよそから移り住んでいることを見ると、ここも同和地区指定は本来不要であったと考えざるを得ない。

県道にかかる歩道橋の辺りが、古くから村があった場所と考えられるが…

気になったのは、古くからの家は新山田と同じく比較的大きいことだ。

表札の名字は、おそらく地名に由来する「出原」ばかりだ。

やはり、もともと同和事業を必要とするような実態はなかったのではないだろうか。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(168)大和郡山市小泉町出屋敷」への6件のフィードバック

  1. 音野

    やはりここは野崎の人が移住してきた地区やったんですね。
    昔、小泉に住んでる友人が言っていました。

    返信
  2. t

    この前いったのですが、大宇陀高校の周りが異様な光景と雰囲気を残していましたので
    探訪おねがいします!
    菟田野町という地域だったと思います!

    返信
  3. 酒匂太郎右衛門

    板戸まで行って、何故に白山が合祀された八雲神社に行かないのでしょうか?
    稲荷神社なんか関係無いですよ。
    一般も混じってますが、奉納者の姓を見れば、
    分散も何も土着の分布が分かるでしょうに。

    酒匂からの退転も流入している様にも見える。

    返信
  4. 探訪リクエストは部落以外の記事のコメント欄でやれよ。
    部落記事では当該部落にだけコメントしてくれ。

    返信
  5. 1900年前後の今昔マップで一目瞭然。池の南側にひっそりと立つ十件ほどが元々の出屋敷です。芦川づたいの西田中町の枝郷でしょう。1960代までの小泉町は、近世の小泉藩の城下町。東の富雄川と西の芦川が総堀の役目で、出屋敷とは芦川でハッキリ区分されていました。古地図では、唯一陣屋町から川向こうの墓所への芦川に掛かる橋の道は、小泉城南西端の不浄門から不浄道と記載されてあります。今もお墓参ルートです。1970以降、県道が通り住民が増え今日に至ります。

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