部落差別解消推進・部落探訪(97)
奈良県生駒郡平群町椿井“椿井南方”

By 鳥取ループ

全国部落調査には多数の未指定地区が掲載されている。いや、未指定と言うよりも、既に「解放」されていると考えられる部落も多い。もし部落差別を解消したいというのであれば、差別が解消された部落こそ研究され、手本とされるべきだが、現実にはそれはほとんどされて来なかったように思う。

今回訪れた平群町へぐりちょう椿井つばいの部落もおそらくそのような部落の1つ。1935年の記録では17戸96名の部落とされる。生活程度は「上」とあるので、少なくとも極端に貧しくはなかったらしい。

なお、1957年の資料では19戸100名とある。

部落は山の斜面の際にある。


公道上ではないが、壊れた車が放置されている。スクラップ業者のものだろうか?

道路は車がギリギリ入れるかどうか。あまり改善された様子はない。

古い家もあるが、見た目は周囲の村々と大差はない。各家に臭突があることから、下水道は整備されていないと考えられる。

これは浄土真宗西本願寺派のお寺。現在は檀家が13戸くらいだという。

これが集会所。同和対策ではなくて、自治会の施設のように見える。

住民に「椿井南方が部落だったと文献にあるんですが」と聞いてみると、「平群だと若井が有名やけど、ここは部落って言うても消えてるんじゃない? 道とかも昔から変わってへんよ」という返事だった。やはり同和事業は行われていないし、少なくとも今の住民からはもはや部落と認識されていないようだ。

奈良の部落というと、どうしても負のオーラを感じることが多いが、奈良にもここのような部落があることは、知っておくべきだろう。部落差別の原因は何かと言うと、やはりそれは「経済格差」に尽きると思う。社会的・政治的な要因があるとすれば、その最大のものは戦後の同和事業であって、それがなければ経済格差のない地域を人々は部落と見なすだろうか?

何があぶないのかよく分からない看板があった。

部落差別解消推進・部落探訪(97)
奈良県生駒郡平群町椿井“椿井南方”
」への13件のフィードバック

  1. .

    さらっと書いておられますが、「もし部落差別を解消したいというのであれば、差別が解消された部落こそ研究され、手本とされるべきだが、現実にはそれはほとんどされて来なかったように思う」というのは極めて重要な指摘ですね。

    現実には「部落差別は今なお深刻である」という結論を先に決めた上で、その結論に都合のいい事例を血まなこで集めてきたのが解放同盟です(その一端が『全国のあいつぐ差別事件』ですが、よく読むと「寒風台小学校事件」など、差別にこじつけるには苦しい案件が多数含まれています)。なぜかといえば、そうしないと行政や企業などからカネが貰えないからです。差別が解消された部落をいくら研究しても儲けになりません。

    その意味で示現舎の活動は画期的だと思います。この「部落探訪」シリーズが解放同盟に敵視されているのも、かれらにとって不都合な真実を暴いているからです。

    今後も真の部落解放のために闘ってください。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      不都合な真実と言えば、部落差別の政治起源説が否定されるようになってから久しいですが、そもそも部落差別が近世以前の賎民に由来するという説も違うのではないかと思っています。
      穢多は実は利権を持っていたので江戸時代は豊かだったのが、明治維新で利権を失って困窮したと言われますが、いちばん利権を失ったのは武士階級だと思いますし、今、差別されている安定した職につけないと訴えている人々がとても穢多の血統にある人々とは思えません。差別されたから困窮したのではなくて、単に他国でも見られるような貧困の階層化が続いているだけではないかと思います。

      返信
      1. .

        穢多から取り上げた権利を困窮していた下級武士の次男三男に充がったのでは?
        近代皮革産業の発展には西村勝三、陸奥宗光、丸山芳介ら士族出身者が大きく関わっています。

        弾左衛門の皮革会社が倒産する一方で大塚製靴の創業者のように士族出身の製靴業者が台頭してきます。
        明治政府が困窮士族に仕事を充がうために弾左衛門ら穢多の皮革業者を潰しにかかったのではないかとも。

        http://blog.livedoor.jp/ahonokouji/archives/51878908.html

         西村勝三は上級武士の出身であった。祖父と父は、槍の師範で、父は、佐倉藩の分家の佐野藩の家老であった。26歳のときに商人となる。伊勢勝銃砲店を開き、銃砲ばかりでなく、ピストルの革袋も扱った。大村益次郎から軍靴の注文を受け、明治3年(1870)3月15日、東京の築地入船町(現在の中央区築地1丁目1番地)に日本最初の洋式製靴工場「伊勢勝造靴場」を開いた。しかし、洋式皮革加工法がなく、靴の材料の革は外国から買っていた。勝三は明治3年10月に製革工場をたて、明治5年になってようやく、軍靴用の甲革の製造に成功した。

         最後の佐倉藩主である堀田正倫は資金を出して、下級武士の子弟に職を与えるための「相済社」という組織をつくらせ、藩校成徳書院の隣りの「演武場」をつくりかえて工場にし、武士の子弟に靴づくりを教えることにした。勝三は、伊勢勝造靴場から3人の指導者を送った。靴工はおよそ50人で、1年間で1万3千5百足を作ったといわれている。この中の1人が、後に日本人としてはじめて明治天皇の靴をつくり、宮内省御用達の看板をかかげた大塚製靴の創始者大塚岩次郎である。

         明治22年には、靴の材料の革をすべて日本で作ることに成功した。日清戦争で大量の軍靴が必要になり、勝三は大きな利益をあげた。そして明治31年には「合資会社桜組」をつくる。35年には、桜組などの5つの靴メーカーが合同して「日本製靴株式会社」を、翌年の4月1日には「日本皮革株式会社」を発足させた。

         勝三は、さまざまな事業に手をだしたが、特に、製靴業、製革業、耐火煉瓦の製造という3つの事業で大成功をおさめ、日本の近代産業の祖といわれている。

        http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/ContentViewServlet?METAID=00060058&TYPE=HTML_FILE&TRUE_TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

        陸奥伯の警抜な意見に同意するものは少くなかった、何分当時、和歌山藩は他藩に率先して徴兵制度を施行し独逸兵式を採用する位に進んで居ったものであるから、直に之を行うことになった、陸奥宗光氏は早速、独逸人ケンベル氏等を連れて来て和歌山市本町一丁目に「鞣革靴練習所」を設けて、之を教えしめた。製革事業といえば賤しい仕事のように思わるるが其の当時の有様は全く正反対である之れを習ったのは藩の次男三男所謂部屋住の連中で軈て来るべき「刀より算盤へ」の移り行く時代の準備として之れを習ったのである当時面白いのは製革練習所の入口に藩士の刀掛袴掛がズーッと設けられて居た事で「身共」ナンテ挨拶の厳めしい連中が、殆んど賤業視した製革事業を熱心に学び、そして帰りには、又両刀を帯して帰るような有様であった。目下和歌山市の製革界に名ある九鬼千代治氏の如き実に第二期生であったのである。其際には、彼の西村勝三氏なども和歌山へ来て学ばれたのである、当時の勢いを以てすれば、和歌山の製革事業は甚だ盛んであらねばならぬのであった。然るに夫れ等の人々は大阪、東京へと出て行った。

        返信
  2. .

    解放同盟がやっていることを人にたとえて言えば、とっくに回復した病人が傷病手当金の不正受給を狙って「いや、俺はまだまだ病気で働けないんだ。こんなに辛いんだ」と仮病を使っているようなものです。

    解放同盟奈良県連の「ポルシェ中川」さんがまさにその通りのことをやっていましたが、解放同盟員の行為の中はほんの氷山の一角でしょう。

    返信
  3. 奈良の人

    地元民です。
    椿井に関しては私も未指定じゃないかと思ってました。住民の方々も昔から住んでいる方が多いのでそういう意味では「純粋」だと思います。
    平群は他の大字でも新興住宅地以外は大体こんな風景ですよ。
    若井だけが異常です。あそこだけは本当にガラが悪いと思います。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      実は若井も探訪しました。少し先にはなりますが、レポートいたします。

      返信
  4. とある隣保館職員

     他の方も言及されていますが「もし部落差別を解消したいというのであれば、差別が解消された部落こそ研究され、手本とされるべきだが、現実にはそれはほとんどされて来なかったように思う。」という文章は正鵠を射ていると思います。
     我々が先進地視察に行くところといえば、全国的に珍しい事業をしているところや隣保館を新しく立て直したところ、リバティおおさかや水平社博物館といった定番の施設等です。解放を求めると言いながら、実際に解放されたところに行くことはありません。
     示現舎におかれましては、もっともっと解放された地区をレポートしていただいて多くの人たちの目を覚まさせて欲しいものです。

    返信
  5. 近江兄弟

    すみませんが、寒風台小学校事件とはどのような事件だったのでしょう?
    Googleのサジェストにも寒風台小学校と打つと「差別」と出ますがそれらしい記事がなかったので…

    返信
    1. .

      平たく言うと、千葉県の公立小学校で解放同盟員が講演をしようとしたら、校長から「うちは部落解放運動をするわけではないので、学校の教師と生徒に関する話をしてほしい」と注文をつけられ、反撥した同盟員が無理やり部落問題に関する講演を強行した上、解放同盟に言いつけて校長を吊し上げた事件です。

      解放同盟の立場からの説明は、これです。

      https://web.archive.org/web/20040220130436/http://members.at.infoseek.co.jp:80/trotzdem/20.htm

      返信
  6. .

    解放同盟が強引に差別だと言い張っている事件で「本庄自衛隊差別事件」というのもあります。

    https://ja.yourpedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%BA%84%E8%87%AA%E8%A1%9B%E9%9A%8A%E5%B7%AE%E5%88%A5%E4%BA%8B%E4%BB%B6

    なお、この事件で有罪判決を受けた男性は確か母親が部落出身というだけで、当人の父親も、当人の出身地も、事件当時の住所も部落ではありませんでした。ですから、部落差別に基づく事件だという主張はますます無理があるわけです。

    返信
  7. ドラおじさん

    高校(浄土真宗系)時代のクラスメイトが平群町若井の寺の息子でした。当時は特に気にはしてませんでしたが今思えば穢多寺だったのかと思います。普通の子でしたが金回りがよく学校(西本願寺のすぐ隣)まで座席指定の近鉄特急で通学していました。

    返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です