1935年の記録によれば西会津町下條原町に13戸の部落がある。草履や革製品を作っていたとされる。しかし、様々な文献や地図や航空写真を見ても手がかりがない。
ともかく、現地にやってきた。ここには「よりっせ」という道の駅がある。
道の駅に掲げられた地図によれば、ここは宿場町だったらしい。航空写真を見ると、街道沿いに細長い土地が並んでいるので、町の造りがいかにも宿場町だ。
北に向かって少し歩くと旧街道に出る。ごく普通の田舎町の雰囲気。どこが部落なのか分かる気がしない。
ただ、少し裏手に入ると、このような廃墟や空き地が多い一角が。もしかするとここなのだろうか?
とりあえず、適当な店でソースカツ丼を食べた。馬刺しといい、こういったところが長野県と食文化が共通しているように感じる。
ダメ元で、店員にこの近くに差別された部落がなかったか聞いてみた。
「え、野沢は差別されてたの? アハハハ」
といった反応。では、革を扱うような店がないか聞いてみると、靴屋があるとのこと。しかし。地図で調べるとかなり離れている。
今はともかく、昔はどうかと聞いてみると、「ゲネいうのがあった」と年配の女性。その途端に、「そう、ゲネだ」と思い出したように、比較的若い店員も思い出したように革職人のことを話し始めた。
しかし、十数年前に「皆死んずまった」ので、現役のゲネは残念ながらもういないそうだ。ただ、ゲネだった家は残っていて、やれあそこの娘がそうだとか、そういう話をし始める。そして、どうも「ゲネの墓」というのがあるらしい。
ゲネというのが革職人のことで、ウサギなどの小動物の革から靴などを作っていたという。この地では牛や馬などの大きな動物は扱わず、会津名物の馬肉とも関係ないらしい。古い文献では会津若松市の祝町にもゲネがいたとされ、漢字では外苗あるいは外内と書く。
ただ、地元の方にとっては知る人ぞ知る存在で、子供の頃に実際に靴を作ってもらったという。
そして、ここがゲネの墓と言われる場所。後ろにある大きな桜の木は「おばけ桜」と言われ、地元の名所となっている。
墓の近くの畑に年配の男性がいたので聞いてみると、何でそんなことを知っているんだというそぶりで、話しにくそうに話し始めた。確かにここはゲネの墓だそうだ。平成に入ってしばらくの間まで、ゲネは現役で仕事をしていた。
「この辺りはもう別世界だった」
と男性は語る。確かに、ゲネというのは特別な存在と見られていたそうだ。ただ、差別されているのかということについては、今となっては若い人はそもそも知らないし、言われたところで実感はないだろうということだ。
宗派は浄土宗ということだが、墓に刻まれた文字を見ると、浄土真宗のように見える。おそらく、古くは浄土真宗で、後に浄土宗に変わったのかも知れない。
墓を見ると「小野崎」という名字が多いが、地図をみると該当する名字は墓の周囲の下條だけでなく、原町にも分布している。ここに部落があるというよりも、下條・原町の中にゲネと呼ばれる人々が住んでいたと考えるべきだろう。
会津若松市の一般地区に小野崎姓の靴屋さんがいます。商機を求めて移住したのかもしれませんね。
YouTubeに書かれていた太鼓屋さんの地名は全国調査に載っているからあそこなんだろう
似非同和行為を糾弾する。
東京都連合相談役小宮に私が
示現舎の仲間だと名誉毀損を受けた。
差別落書きや風説の流布について
調査を依頼している。
損害賠償を請求する。
ゆうちょ銀行15120-06699491
ミカミシズヤに損害賠償を支払え
1995年のことを全国にバラしたぞ。
お前たちのやってることはバレてるぞ!!!!差別者!!!!!!!!
部落差別を糾弾する!
長野県でもそういうところがあるようですが、一か所に集住しているわけではないのですね。
集落の中に、モザイク状に被差別の家々が点在しているのというのが、知る限り奈良や大阪や京都では存じ上げないので、どういう成り立ちなのか不思議に思っています。
群馬と長野は地理的にも近く交流もあったようですが、点在しているのはこのあたりの特徴なのでしょうか。
長野については、奈良のような大規模な部落が少ないだけで、農村部についてはモザイク状ではなく比較的まとまっているように思います。
さらなる研究が必要とは思いますが。
今更ですが、動画を拝見しても部落の中には行っていないのでは?きっともう1本中の方ですよね?
赤い破線が歩いたところ。元は出入口が1箇所しかない袋小路…
検証ありがとうございます
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