曲輪クエスト(93)中郡大磯町大磯裡道

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By 宮部 龍彦

神奈川県で同和地区が設定されていたのは秦野市、厚木市、横須賀市、伊勢原市、小田原市、湯河原町、山北町、そして今回訪れた大磯町である。大磯町の部落はほぼ町の中心部にあり、裡道りどうと呼ばれる。1934年の記録では31戸あったというが、現在は20戸に満たないと思われる。

部落はこの東海道沿いにある。

目についたのは、この「湘南発祥之地 大磯」の石碑。現在は、葉山町から小田原市にかけての相模湾沿いが湘南と言われているが、もとは大磯町の中でも高麗山こまやまの麓の海岸側のごく狭い地域が湘南と称されたのが始まりだという。それにしても、ここは部落のほぼ近く。以前、湘南にも部落があるという趣旨のことを書いたが、それどころか湘南の代表地点が部落と言っても過言ではないだろう。

南方向に西湘バイパスに続く国道1号線があり、高架の下に海がある。それが照ヶ崎海岸で、キス釣りの名所だ。すぐ東に大磯港があり、その東には日本初の海水浴場と言われる大磯海水浴場がある。いずれも歩いて行ける。

ここは鴫立庵しぎたつあんという古い俳諧道場。この中へ下ると…

鴫立沢という小さな川が流れており、ここから上流は暗渠になっていることが分かる。神権連の機関紙『人権のとも』(2007年8月15日)に大磯町での同和事業について「細い川を暗渠にしたことは以前から伺ったことがある」との記述がある。ただ、鴫立沢のことであれば戦前から東海道の下をくぐっているはずなので、同和事業で暗渠になったとすれば、もっと上流のことだろう。

ちなみに、鴫立庵の隣は葬儀場で、さらに隣には葬儀場に反対する幟と掲示物がある。

とりあえず、部落の中へと進む。

大きな家や、きれいなマンションがある。これはとても同和地区には見えない。

この裡道児童館は同和施設と考えられるが、湘南らしい洒落た外観である。

そしてその隣りにあるのが立派な白山神社。

中を覗くと、天皇陛下の即位10周年を祝う垂れ幕と、瓶子、太鼓等が確認できた。

鴫立沢交差点の近くには、このような石柱もある。日蓮宗の部落であることが分かる。

ただ、部落の範囲は非常に分かりにくい。戦後間もない頃の航空写真を見ても、既に都市化している。大磯と言えば東海道の宿場町なので、おそらく江戸時代から人の出入りは多かったと思われる。

白山神社の西側は道が細くなっており、路地の雰囲気が残る。

お金持ちそうな家も多い。いろいろな家が混ざっている。

一番古そうなのはこの家か。

井戸もあった。

ところで、『人権のとも』には「小頭の助左衛門」の子孫を訪ねたことが書かれている。要は、ここに穢多の小頭がおり、絶大な権力を持っていたということなのである。その穢多小頭は「大繩橋おおなわはし」と名乗っていたということである。

白山神社からさらに西、大磯小学校のさらに西側の、もはやここは部落ではないのではないだろうかと思われる場所を歩いていると、まさにそのまんまの表札が掲げられた家を見つけた。

訪ねてみると、何と助左衛門の子孫と名乗る方が出てきた。「俺は歴史になんて興味ないし、よく分からないんだけどよぉ」と気さくに話してくれた。

大学教授、歴史家、秦野の神権連、解放同盟系の東日本部落解放研究所と、部落にからむいろんな人が訪ねてくるそうだ。見せていただいたのは大名から贈られたお椀と、通行手形。箱根の関所も助左衛門の許可がないと通れなかったという。

『人権のとも』に写真が出ていた十手はなくしてしまったので「探しとくからまた来てみて」とのこと。とにかく、穢多だの部落だのといったことには無関心で、先祖ゆかりの品の多くは捨てててしまうか売り払ってしまったそうだ。古文書も、今は主に神奈川県立川崎図書館にあるらしい。もちろん、解放運動には興味はなく、部落の由来や白山神社との関係も知らないという。部落は白山神社の近くなのに、小頭の家がそこから離れている理由も分からないそうだ。

最後に、石柱に書かれていた日蓮宗のお寺を訪れた。この寺も、部落から離れた、線路の北側にある。寺の周辺の道は細く、大きな車で入ると抜けて出られなくなるので注意。線路の南側から歩いて行くことをおすすめする。

※2022年頃、白山神社はなくなりました。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(93)中郡大磯町大磯裡道」への24件のフィードバック

  1. .

    草彅剛「今日もブラクタモリの時間がやってまいりました」
    林田アナ「タモリさん、今日のお題は『大磯の部落は白山神社の近くなのに、なぜ小頭の家はそこから離れているのか』ですよ。道案内をしてくださるのは、部落研究家の宮部龍彦さんです」
    宮部「どうもこんにちは。宮部です」
    タモリ「あなたがあの有名な鳥取ループさん?」

    返信
      1. 鳥取ループ 投稿作成者

        録画しておけばよかったと後悔しています。再放送は録画します。

        返信
  2. 名前無し

    江戸時代からの家柄が確認できる貴重な例ですね。部落イコール皮革というステレオタイプが成り立たないことも分かりますし。大縄橋の由来が気になりますね。静岡東部の大縄橋さん( https://name-power.net/fn/大縄橋.html )や平塚の渋田川にかかる大縄橋とは何か関係があるんですかね。

    返信
  3. 〜〜

    助左衛門の屋敷は宿場絵図によると当時は海岸、鴫立沢の河口にありました。明治になって大磯が保養地になると小頭屋敷は樺山資紀の別荘になりましたので、小頭家は移転したはずです。それが現在のお宅なのでは?
    樺山邸は現在マンションになっています。
    ということで元々、裡道と小頭屋敷は離れた所にありました。また大磯の部落じたいは小さいのですが薬種屋をやっていた家があり、かなりの分限者で浅草新町役所にも多額の寄進をしています。助左衛門家は新興小頭ですが小田原太郎左衛門と張り合うほどの権勢へと出世します。権力の源泉が何であったかは不明です。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      詳しい解説ありがとうございます。今の家は移転後なのですね。
      鴫立沢の河口であれば、裡道とはそんなに離れていないように思います、

      返信
  4. .

    ライオンズマンション大磯(神奈川県中郡大磯町大磯1314−1)のことであれば、裡道児童館からはせいぜい100メートル程度の距離ですね。

    返信
  5. .

    >神奈川県で同和地区が設定されていたのは秦野市、厚木市、横須賀市、山北町、そして今回訪れた大磯町

    『十五年の歩み』(神奈川県部落解放運動連合会)63頁によると、伊勢原市(上粕屋)、小田原市(山王、酒匂)、湯河原町(吉浜)も地区指定されていたそうです。

    返信
  6. 宮番

    大宗寺ならば部落引っ越しの原因を作り弾左衛門とも大いに交流がある松本順の墓がある。
    大縄橋さんには親戚の藤林さんのことは聞いたの?

    返信
  7. 玄田牛一

    浄土宗の海前寺の廃寺と助左衛門の部落が移転は関係あるな
    佐幕派の資金源だったか薬と砂利でな

    返信
  8. 惣兵衛

    妙昌寺の六百遠忌記念宝塔(明治14年)を見れば、
    小組頭八郎右衛門末裔、藤林弥之助の財力が当時の大磯戸長に並ぶ程だったことが判ったはず。
    高来神社の敷石義捐題名碑(明治15年)も参考になる。
    又、大正6年の大磯町海水浴場道路費寄付者にも、藤林幸次郎(台町売薬業)として名を連ねている。

    八郎右衛門の売薬事業の成功は、東海道隆盛による経済効果の賜物だが、
    それを財源とした場日の売買・買占めが、親類であり小頭の助左衛門の地位を盤石にしたはずだ。

    昭和40年代後半までは裡道入口(今の鳥料理 杉本の場所)に地所の一部を残していたが、
    昭和50年代後半にはそれも売り払っている。

    返信
  9. たこやき

    既存のマスコミが決して触れることのないタブーに切り込んだ記事の内容、楽しませていただいてます

    神奈川県小田原市早川の河川敷にある朝鮮部落の取材の予定はありませんか

    昔からの部落ではないですが、戦後に河川敷を在日朝鮮人に不法占拠され続けてる土地です

    これからも解同などに屈せずに報道し続けてください
    応援してます

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      同和部落が主なターゲットで、探訪予定にはないですが…
      もしかして、西湘バイパスから見える韓国人会館があるところでしょうか?
      何であんなところに韓国人会館があるのか不思議に思っていました。
      時々通るところなので、機会があれば行ってみます。

      返信
      1. たこやき

        そうです、西湘バイパスから見える韓国人会館の所です。

        バラックが立ち並び、行政もほぼ放置してる感じです

        返信
  10. 現在、こちらの神社は撤去されて更地になっています。神社を撤去するとかあるんだ、と驚きました。
    妙大寺には作家の福田恆存や、大戦中にユダヤ人をナチスから逃がしたり、大戦末期に千島列島へ侵略してきたソ連軍と戦った日本陸軍の樋口季一郎の墓もあったりします。
    #cde96c39f828ea41b61013ff0fd3a8b1

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