学術・研究:部落探訪(91) 神奈川県平塚市田村9丁目・大神

アバター By 鳥取ループ

平塚と言えば湘南。湘南と言えば海と砂浜、サーフィンをする若者といったところだが、平塚市には部落もある。1934年当時の世帯数は34、人口は155であったとされる。

この農協のガソリンスタンドが目印になるだろう。道路を挟んでクリーニング屋がある側が部落だ。

とは言っても、この部落は地元でもほとんど知られていないようだ。

この部落にも、関東の他の部落と同様に白山神社があるのだが、神権連の機関紙『人権のとも』2007年9月15日号には、周辺地域の老人やすぐ近くに住民さえ、白山神社の存在を知らなかったことが書かれている。

さきほどのガソリンスタンドの角から部落の中へ進む。これはいかにも混住が進んでいる雰囲気だ。

さらに進むと川…というよりも用水路がある。この水路が部落の東側の境界となる。

水路の先に斎場があるが、ここは部落外だ。

再び部落の中を進む。道が細く、どことなく路地の面影が残る。

しかし、言われなければ部落とは全くわからない。もはや解放された部落と言えるだろう。

神社についた。左側が白山神社で、右側は稲荷神社らしい。

『人権のとも』の写真にはイチョウらしき大木があるのだが、筆者が来たらなかった。残念ながら伐採されてしまったようだ。

白山神社も稲荷神社も神社名は書かれていない。

稲荷神社の内部を撮影。狐が置かれていることから稲荷神社と分かる。

そして、これが白山神社の内部。白山神社と一緒に御嶽みたけ神社も祀られていることが分かった。

『人権のとも』の写真と一致する。

石柱には。中川、大沢、永井といった名前が見られる。

さらに、部落内を歩く。古くからの農家と思われる家と、新しい家、アパートが入り混じっている。稲荷神を祀った家も見られる。

ここは徳川家康が鷹狩に来たことから鷹落橋と名付けられたらしい。しかし、橋も川もない。川は埋められてしまったのだろうか。

水路の脇には道があるが、道がある方が部落外となる。

やはり、見た目では部落と分からない。

西側の道路沿いには商店が並ぶ。

そして、この自動車修理業者の裏側に行くと…

墓地が現れた。白山神社の石柱にもあった中川姓が多く見られることから、ここが部落の墓と見て間違いないだろう。そして、宗派は日蓮宗。やはり、神奈川県内の部落は日蓮宗が多いようだ。稲荷神が祀られている家があることは、厚木の部落とも共通する。

部落の大部分は「田村9丁目」だが、さきほどの墓地から北は「大神おおかみ」となる。この写真の辺りが部落の北端だ。

大きな鳥居がある家。これも稲荷神だ。

学術・研究:部落探訪(91) 神奈川県平塚市田村9丁目・大神」への19件のフィードバック

  1. アバター田中 誠

    記事とは一切関係がないのですが、この記事をご覧の方々ならどなたかご存知ではないかと思い質問させて頂きます。
    同和地区wikiの都道府県別ページの最後に記載されている「関連事件」というのはその人物が同和関係者であるということでしょうか?

    返信
    1. アバターサブ太郎

      >田中 誠さん
      氏名まで太字の場合はその可能性が高いのではないかと思われます。
      住所のみ太字の場合は、その人物の居住地がかつて部落と呼ばれた地域と言うだけで、本人がそこに関連を持つ人かどうかは判断できないでしょう。

      返信
      1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

        そこは見落としていたかも知れません。ただ、誰かの家に設置された稲荷神社の1つのように見えますね。

        返信
        1. アバター宮番

          上から7番目の画像の藤井しんすけのポスターが見える藪の中にゼンリン地図だと墓がある

          返信
  2. アバター惣兵衛

    古い方の墓地は7番目の画像のそこです。
    中は倒壊してて、踏み込まないと確認は難しいです。

    現在の9丁目地区としての墓地は、
    (既に一般と混在してる様にも思えますが)田村9丁目10番地にあります。
    上の写真にある中川、脇、永井姓の墓もあります(大沢は無いです)が、
    SF、IF、FM、NO姓他、以前から本命と言われている家の墓もここです。

    写真の中川、杉山は、ちょっとよくわからないです。

    返信
    1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

      9丁目10番地の墓は、部落外だと思っていたので見落としていました。
      日蓮宗以外の宗派が混在しているかどうかも指標になると思いますがどうでしょう。

      返信
      1. アバター惣兵衛

        「田村(多牟良) 江戸より十五里(中略)、
        民戸188、敷外長吏18軒、非人2軒あり、長吏見捨地の内に、御嶽、白山両社を祀る、廣袤(広さ)各18町余、(以下略)」出典『新編相模国風土記稿 巻之四十三 村里部 大住郡巻之二』

        この「敷外」は、旧地名だと上町小字尾崎(現在の9丁目1~6番)に該当しますが、
        恐らく尾崎全部ではない気がします(1~4番辺りじゃないかと)。
        後述しますが、大正期には少なくとも小字単位で融和してるように思えます。
        又、墓地のある9丁目10番は小字上川原の辺りで、元々は開墾した農地です。

        小字尾崎の南側は小字改戸(カイト)と言い、
        南面に古い城郭があった事を示す地名”カイト”を擁する辺り、
        小机の根崎・池辺の星谷等との共通項を見出せます。

        ”厚木にも共通する~”とは鋭いですね。
        日蓮宗云々は別として、
        実はこの地の白山社は下古沢村の日蓮宗 常栄山 本照寺と深い関係があることが、
        残されている江戸期(明和~文久)の棟札で明らかになっています。
        詳細は『平塚市史 13巻』を参照して下さい。

        又、写真の角形の奉納塔は大正9年製で、
        地面に露出して上述の4姓+杉?姓が読み取れるのは塔左面に当たる部分です。
        (杉山であれば、馬入本町辺りの一般名主で多数姓です)
        埋もれて読めない塔正面には、横浜に分家が移転したらしい1姓が、
        塔右面には小字尾崎の住民の10姓程が刻まれてます。
        ただ、この10姓の中には、近隣の常勝寺(古義真言宗)の檀家であり、
        市史にも文献を提供している姓も含まれてます。
        並びの稲荷社の氏子と併せて刻まれてるのであれば、
        大正期には小字単位で融和していたのかも知れません。

        この角形の奉納塔と、稲荷社の前の手洗石(昭和6年製)についての詳細は、
        『平塚の石仏(改訂版)6巻 神田地区編』に詳細が記載されてます。
        いずれも一般的な地域史の本です。

        以前、田名村の場所を皆様に探し当てて頂く目的でリンク先を紹介した『相模国三浦郡神社明細帳』もそうですが、
        弾左衛門配下の地域について言えば役所みたいなものなんだから、
        所謂”部落本”なんか買い漁って妄想膨らませるより、
        図書館に行って、一般的な書物を通読した方が、はっきり判るんですけどね。
        『三浦郡神社明細帳』なんて、神奈川南部の大概の図書館に活字版が、
        ずっと昔から置いてありましたから。

        返信
        1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

          毎回、詳しい解説ありがとうございます。
          文献調査は私では太刀打ちできない賢人が多数いらっしゃいますと思いますので、お任せいたします。

          返信

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