高校無償化・大阪朝鮮学園が敗訴 理由を検証する

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By 宮部 龍彦

既に報道されている通り、9月27日、大阪高裁は国が朝鮮学校をいわゆる高校無償化の対象としなかったことについて、適法との判決をした。一審で大阪地裁は国に対して朝鮮学校を高校無償化の対象とするように義務付ける判断をしたが、それとは180度異なる判断だ。筆者は大阪高裁で、その判決書を見てきた。

オウム真理教の学校にも補助金を出すのか?

民主党政権下で朝鮮学校も高校無償化の対象とすることが検討された当時、安倍晋三は「例えばオウム真理教が学校を作り、教義のために人を殺すことを肯定した場合、国は補助金を出していいか。だめに決まっている」と言ったとされる。それはあまりにも極論と見る向きもあったが、2010年11月23日の北朝鮮による延坪島砲撃事件で世論は一変。朝鮮学校の無償化は頓挫した。

結局、今回の判決もかつて安倍晋三が述べたのと同様の理屈が肝である。要は教育内容と朝鮮学校の背後にある組織が主な理由となった。

例えば、今回の判決では、事実認定に「教科書に金日成・金正日の功績が記載され、その回数が尋常ではない」とわざわざ追記された。裁判所が、現在は共産主義国でさえほぼ廃れている政治指導者への個人崇拝を異常な教育として問題視したことが分かる。

当然、朝鮮総聯との関係も問題とされた。補助金が何らかの形で朝鮮総聯に流れるのではという従来からの懸念も指摘されたが、もっと根本的なこととして、朝鮮総聯は北朝鮮の政治的組織の一部であり、学校がその影響下にあることは日本の法制度になじまないと判決は述べている。どういうことかと言うと、日本国内の政治的組織が学校を運営し、そのイデオロギーに沿うような教育を行えば、教育基本法に違反していると非難されることは免れないはずで、それが外国の組織でも許されるはずがないということである。

他に問題視されたのは朝鮮学校の教科書を出版している学友書房と、生徒による組織である在日本朝鮮青年同盟(朝青)である。判決は、それらも朝鮮総聯の傘下団体であると認定された。

一審では私立学校が別の団体の影響下にあるのはよくあることであるし、朝青は生徒会のようなものとして、あまり重視しなかった。しかし、二審ではそれらが強い政治色を持っていることが問題視されたわけだ。

コリア国際学園等との違いは?

以上が今回の判決の主な理由だが、他にもいくつか争点がある。その中でも特に気になったのは、朝鮮学校と同じ各種学校であるにも関わらず、高校無償化の対象となった学校があるが、それと比較しての公平性だ。具体的にはコリア国際学園と、ホライゾンジャパンインターナショナルスクールのことである。

コリア国際学園等については、外形的な審査だけで補助金支給の決定をしたが、朝鮮学園に対してはその授業内容にまで踏み込んで調査がされた。朝鮮学園はそのことが不公平であると主張して、一審では認められた。しかし、二審では「そもそもコリア国際学園等については、朝鮮学校のように授業内容が問題になっていなかったではないか」という理屈で退けられた。

朝鮮学園は国が審査の決定をなかなか出さなかったのは行政手続法に反すると主張したが、判決では延坪島砲撃事件により平穏が乱されて審査に支障が出たためで、決定が遅れたのは止む終えないし、国はいたずらに結論を引き伸ばしたわけではないとした。

なお、国連人種差別撤廃委員会が高校無償化から朝鮮学校を除外したことが差別であるという趣旨の勧告を出したことについては、同委員会は日本の法制度や朝鮮学校の教育内容まで踏み込んだ調査していないとして一蹴した。

一審は全体として、補助金の不支給は政治的判断によるものとしたが、二審は政治的判断によるものではなく、朝鮮学園の教育内容が法律の反することが理由であるとした。

政治的判断ではないとは言うものの…

朝鮮学校と朝鮮総聯の関係が裁判で問題とされたことは今回が初めてではない。例えば、神奈川県の朝鮮学校に対する補助金について、2010年から2011年にかけて、支出は不当なものだと住民訴訟で争われた例がある。ただ、この時は北朝鮮や朝鮮総聯と朝鮮学校との関係については抽象的なもので「本件各補助金の交付が公益又は公序良俗に反し違法であるとまで到底いうことはできない」と判断された。しかし、今回、裁判所が朝鮮学校の教育内容にまで踏み込んだことについて、政治的な影響はあっただろう。

そもそも、公金を支出している時点で、政治的な影響を排除することは不可能だ。支出の是非を判断する最終的な権限が政治家にある以上、いくら教育の政治的中立性を唱えても絵空事に過ぎない。だからこそ憲法89条で「公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し」公金を支出してはならないことになっているのだが、憲法のこの定めはなし崩し的に空文化されている。先述の神奈川県の裁判でも憲法89条は争点とされたが、朝鮮学校にも法的規制が及ぶことを理由に憲法89条には違反しないとされた。しかし、その論でいけば、もはや憲法89条は意味をなさない。給料等を除けば、今時、何の制約もなしに公金が支出されることはあり得ないし、法的規制があるから公の支配下にあると言うのであれば、日本国内に住んでいる人なら、いつでも誰でも民法刑法その他の法的規制を受けている。

自民党政権下でも実施されてきた私学助成も長らく憲法89条に絡む問題を抱えており、民主党政権下で実施された高校無償化は、さらに問題を拡大させた。司法が憲法89条違反に踏み込まないのであれば、私立学校が公金の支出を前提に運営される傾向が強まれば強まるほど、学校の運営に対する政治的な影響を避けられなくなることは当然の理だ。判決はそのことを示していると言える。

一方で、判決では文部科学大臣の権限は限られており、簡単には補助金不支給とすることは出来ないことも認めている。そうだとしても、朝鮮学校の教育内容はあんまりだということだ。

今回の判決は、朝鮮学校の教育内容にまで踏み込んだ。特に政治的指導者に対する個人崇拝だ。日本も国家元首が世襲制であるという点はある意味北朝鮮と共通してはいるが、天皇は政治的指導者ではないし、学校で天皇陛下が神格化されたり、忠誠を求められたりすることはない。

朝鮮学校の補助金不支給は「差別」「人権問題」と言われるが、では、そう考える人は、日本の学校で安倍晋三首相の業績を称える教育が行われたら、許すことが出来るだろうか。実際、森友学園ではそれに近いことが行われていたが、メディア等のそれに対する反応はどうだっただろう。森友学園はさんざん政争の具にされて潰されたようなものだが、朝鮮学校を政争の具にするのは人権侵害だと言うのであればあまりに虫が良すぎる。

また、「朝鮮学校では反日教育がされている」といった敵・味方論ではなく、それらを抜きにしたとしても朝鮮学校で行われている教育は民主主義や人権といった普遍的な概念に適ったものだろうか。

上の動画は朝鮮学校の運動会で行われた“グースステップ”。主にナチス・ドイツや旧ソ連等の独裁国家の軍隊で行われた行進方法だ。教育は自由であるべきとしても、公金を支出して支援するには「あまりにもあんまり」というのは普通の感覚であるように思う。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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高校無償化・大阪朝鮮学園が敗訴 理由を検証する」への2件のフィードバック

  1. Ⓜ︎stylo

    森友学園はさんざん政争の具にされて潰されたようなものだが、朝鮮学校を政争の具にするのは人権侵害だと言うのであればあまりに虫が良すぎる

    ほんこれ

    返信