曲輪クエスト(90) 兵庫県朝来市澤(前編)

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By 宮部 龍彦

現代の同和・部落史を語る上で欠かせない事件と言えば、1974年11月22日に起こった八鹿高校事件である。この事件は現代史・報道といった観点では未だにタブー視され、表立って語られることはないが、兵庫県およびその周辺では伝説のように語り継がれている。

事件の内容については、ここで多くを説明するよりも、以下の映画を見ていただくのがよいだろう。

今回訪れたさわ部落は、八鹿高校事件の加害者側の首謀者とされる、当時の解放同盟澤支部長の丸尾良昭が住んでいる部落である。

朝来市は地味な田舎であるが、最近は「天空の城」として竹田城跡が有名になったことで、少しは知られることになった。澤部落は、姫路からその竹田城跡へと向かう道である国道312号線沿いにある。

ここには以前から噂になっているものがあるので、早速それを見るために、チェーン装着場に車を停めて、グーグルマップを頼りに現地へ向かった。

この橋の先にあるのだが、フェンスの付け方が何かおかしい。まるで入って欲しくないようだ。

そして、出てきたのがこの堂々とそびえ立つ「八鹿闘争勝利記念碑」。何を持って「勝利」と言えるのかは難しいところだが、「同和」の恐怖を全国に知らしめ、暴力団や右翼に並ぶビジネスのネタにしたことには成功したかも知れない

落書きされているとか、荒れ果てているとかいろいろと前評判があったが、そんなことはなく、草刈りがされている。ただ、池と思しきところは水が枯れており、水道の蛇口を捻っても水は出ない。

何かが外された跡があるように見える。

これはやはり、現地に来た気分を楽しんで頂くために、パノラマ撮影した。

石碑の周辺を一巡り。

入ったところから反対側に抜けると、これもまた立派な神社が現れた。

これは立派な神社。石碑によると、2002年に部落事業として大工事を行ったという。総費用は3257万円。

寄付者には「澤支部」の名前も。何の支部なのかは想像がつく。

部落内は非常によく整備されている。空き地・廃墟・ニコイチはこの部落ではほとんど見られない。

浄土真宗本願寺の寺。これも立派な寺だ。近々盆踊りがあるということで、櫓が準備されていた。

澤は1935年の記録では153世帯、774人という大規模な部落である。かつての生活程度は下だったというが、今ではむしろ財力を感じさせる。

寺の周辺はこのように広々としている。

こちらは澤公民館。これはただの公民館で、隣保館はなく、同和を感じさせるものはない。

歩いている人に聞いてみた。

「神社の近くにあるあの石碑は誰が作ったんでしょうか?」

「さあ、私はよそからここに来たので、よく分からないんです」

立ち話をしている老婦人に同じ質問をしてみると、小声でボソボソと「え、あれ? 確か丸尾さんのだよね」と話し合った後

「私ら、よそから来たんでよく分からないのよ。その辺、歩いている人に聞いたら誰か知ってるんじゃない?」

と、またもや同じような答えだった。いや、さっき「丸尾さん」と言っているのがもろに聞こえたような気がするのだが、逆にこの部落であの石碑がどのような扱いをされているのか察しがついた。

「よそから来た」というのが本当なら、この部落は意外に融和しているのだろうか。あの石碑のインパクトの割には、あまり隔絶感がない。

3人目に聞いてみたら、ようやく「丸尾良昭」の名を口にした。ただ、「あそこの大きな家の人」と言うだけで、あまり関わりたくない様子だった。

丸尾良昭に会ってみようかとも思ったが、上原善広氏が既に上の本で触れているし、今さら聞くこともないし他の部落も探訪したかったのでやめておいた。

(続く)

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(90) 兵庫県朝来市澤(前編)」への19件のフィードバック

    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      ほぼそうではないかと思います。少なくとも澤部落として建立したものではないです。

      返信
  1. さくぞう

    鳥取ループ様。
    今回も貴重な資料ありがとうございます。八鹿高校事件、一部の利権ゲバの為に全国に部落は怖いというイメージを浸透させた根源の事件ですね。八鹿でなく京阪神の巨大部落で起こっていたらと思うとぞっとします。今後も興味の尽きない部落探訪心より応援しております。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      応援ありがとうございます。八鹿高校事件関係ではもう1箇所探訪しております。機会があれば、さらにもっと探訪しようと思います。

      返信
  2. サブ太郎

    被差別部落問題とは無関係だと思いますが、天理市の村九分事件について興味ありませんか?

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      興味はあります。あれを村八分と言うなら、同和事業の時の属地属人主義も村八分ですよね…

      返信
  3. .

    『人事極秘 部落地名総鑑』の売り込みの文句は

    「八鹿高校問題の様に暴力事件、リンチ事件が発生して社会的な問題となっている」

    というものでしたが、部落民は何かがあると集団で押しかけてきて暴力を振るう、というイメージはもっと古くからあったものですね。たとえば狭山事件(1963年)の公判でも「部落民に何をされるかわからないから」という理由で、石川一雄に不利な証言を躊躇していた関係者がいました(内田幸吉)。内田が怖がっていたのは水平社の「糺弾」の影響でしょう。

    世良田村事件のきっかけとなった室田忠五郎へのリンチ事件(1925年)にしても、高崎区裁襲撃事件(1923年)にしても、烏淵村役場襲撃事件(1923年)にしても、けっきょく八鹿高校事件と似たり寄ったりの内容です。集団で押しかけて取り囲む、罵声を浴びせる、脅迫する、暴力を振るう、無理やり「謝罪文」を書かせる、場合によってはカネを取る、といった行為は水平社の十八番であったことが『新聞記事からみた水平社運動』や、当時の公判記録から窺えます。

    返信
    1. 名前無し

      「糺弾」という行動様式の源流は、西光万吉氏による水平社設立時まで遡ることができ、水平社宣言は、糺弾を正当化する理屈として使われてきたと見ていいですか?

      返信
      1. .

        水平社運動は公平に見てテロリズムであり、集団の威勢を借りた鬱憤晴らしであり、差別意識をなくす効果などなく、逆に部落への恐怖と嫌悪感を助長しただけであって、おそらく西光万吉としても若気の至りだったのでしょう。

        昔は不敬罪があったので、皇室に不敬な発言があれば憲兵に連行され、徹底的にいじめられ、反省文を書かされました。多分それを見た当時の部落の跳ねっ返りが「俺たちも見下されたら同じことができるんじゃねえか? だって身分解放は明治天皇のありがたい聖旨によるものなんだから、俺たちを見下すということは、天皇陛下に逆らうのと同じことじゃん。陛下の威光を利用して、仕返しできるじゃん」という発想で始めたのが「糺弾」ですよ。

        だから水平社が被糾弾者に書かせた反省文を見ると「畏れ多くも天皇陛下のご意向に逆らって申し訳ありません」といった内容のものが多いです。それが戦後になるとあっさり反天皇制に転じるあたり、水平運動家のご都合主義性が露骨にあらわれています。部落差別に反対する根拠が、敗戦以後は天皇の権威から憲法の権威に替わったので、天皇主義に便乗していた過去を清算しないまま、何事もなかったかのように宗旨変えしたわけですね。「糺弾(糾弾)は正義である」という結論を最初に決めたうえで、それを正当化するために利用できるものは何でもかんでも利用するという態度。それが水平社=部落解放全国委員会=部落解放同盟の根本にあります。

        永六輔が晩年の西光万吉に逢っていますが、水平社の話題を持ち出されると、ただ困惑した様子だったそうです。万吉にとっては黒歴史だったのでしょう。

        返信
        1. 鳥取ループ 投稿作成者

          部落問題・水平運動資料集成等から水平社の歴史を調べると、水平社に対するイメージが変わりますね。
          最近は、水平社自体が近現代の部落問題の諸悪の根源ではないかとさえ思うようになりました。

          返信
          1. .

            融和運動に対する反撥から水平運動が生まれたと聞いていますが、そもそも融和運動にどのような問題があったのでしょうか。糺弾を排し、相互理解を促し、部落民の生き方に賭博や暴力癖など改めるべき点があれば改めて更生を図る、そのような穏健路線を地道に守っていけば部落問題はここまでこじれることはなかったと考えられます。

            「同情されるなんて屈辱だ」という単なる僻みや「俺たちはエタ族であり、そのことを誇るのだ」といった非科学的な擬似民族主義から水平運動が起きたのであれば乱暴な話です。

            今日、水平社の「戦士」らを英雄視する向きもありますが、長い目で評価するならば、むしろ血気にはやって部落問題を解決から遠ざけた愚か者ともいえるのではないかと思います。部落問題を病気にたとえると、漢方薬を飲んで安静にしていれば徐々に快方に向かっていったものを、短気を起こして劇薬を服用し、副作用を起こして苦しんでいるようなものです。

          2. 鳥取ループ 投稿作成者

            おそらく、融和運動がなくても水平運動は生まれたと思います。むしろ、水平運動への対抗から国策による融和運動、同和運動が活発化したのではないかと思います。
            融和運動以前に部落改善運動がありましたが、改善運動で十分だったはずです。
            実際、全国部落調査の中には改善運動により貧困と差別が解消され、同和地区指定されなかった部落がいくつもあるのではないでしょうか。
            水平運動や融和運動は部落問題が政治と結びつくことで、より問題の解決を困難にした面があると思います。

  4. クズにつける薬はない

    お前らって、解同の味方なのか敵なのか全くわからないよね。
    要するに、己に都合の良いことばかり並べて正義ぶってる鬼畜ってことで。

    返信
    1. .

      「味方なのか敵なのか」で割り切れるほど物事は単純じゃないということです。

      是々非々という言葉があります。何かを研究する上での基本です。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という態度は理性的ではありません。

      返信
      1. クズって自己防衛の言い訳大好きだよね

        「是々非々」
        これほど都合の良い言葉もなかなかないよね。

        返信
  5. クリーム

    西光さんとしては、水平者宣言起草者としての自負はあったと思いますが、共産入党・投獄・転向から戦後の生い立ちと解同との距離から話したくなかったのではないでしょうか。

    返信
  6. 名前無し

    部落探訪を読むと、解同が神社に寄付していたり、部落の寺社が立派だったり、祭りに積極的なケースが多いですが、解同にも信心深い人が多いということですか?広島の世羅高校では「君が代歌うな!」と言って校長を自殺に追い込んだわけだし、日本の歴史や伝統文化に対してネガティブな意見をもつ人ばかりだと思っていたのですが。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      伝統文化に対してネガティブな意見と言っても、多くの人は本心からそう思っているわけではなくて、単にいちゃもんつけるための口実ですから。
      実際の同盟員は古い因習に縛られている人が多いです。

      返信