部落差別解消推進・部落探訪(76)
大阪府羽曳野市向野2,3丁目

By 鳥取ループ

部落と言えば肉屋というのは偏見だが、羽曳野市向野むかいのと言えば肉屋というのは事実である。特に、食肉事業に絡んで、贈賄、詐欺を行ったハンナンの浅田満の出身地として知られる。良きにつけ悪しきにつけ様々な伝説を残す向野を探訪してみた。

1935年の『全国部落調査』には全国の部落の主業、副業が記載されているが、食肉に関する職業が記載された部落は意外に少ない。しかし、向野については主業が「肉行商」であるとはっきり書かれており、向野の食肉業が昔から顕著なものであったことを示している。当時の世帯数は307,人口は1386とされる。

1958年の『大阪の同和事業と解放運動』によれば世帯数は599,人口は2,628と、部落の規模はほぼ倍増した。これにも、主な産業は「食肉(トサツ業)」とはっきりと書かれている。

向野全体が部落というわけではなく、概ね2,3丁目が部落にあたる。1丁目は一般地区である。元部落解放同盟大阪府連合会副委員長の塩谷幸子さんによれば、2,3丁目は近隣では「悪い方の向野」と言われていたという。

大阪の同和地区と言えば、路駐し放題のところが多いが、向野はその中でも例外で、全般的に道路が狭くて路駐に適した場所が少ない。近隣住民の迷惑にならないように、コインパーキングに駐車して探訪を始めた。

噂通り、そこらじゅうに食肉業者がある。まさに食肉こそがこの部落の基幹産業である。

地図を見ても、そのことが分かる。

食肉業者の経営者によるものと思われる豪邸もあれば、古い家もあり、公営住宅もある。貧富の差が大きいように感じる。

ただ、同和だ部落だと主張するようなものはあまり目立たない。大事なのはイデオロギーよりも商売ということか。

しかし、人権文化センター(隣保館)を見ると、やはりここは同和地区だと感じてしまう。

広大な空き地を見つけた。これはもったいない。有効活用できないものか?

大阪の同和地区には必ずある保育所。

そして、部落の共同浴場である「ひかり湯」。名前の由来は水平社宣言の熱と光であることは想像に難くない。

共同浴場に駐車場はなく、前の道路も路駐禁止だが、風呂目当てで来た方は、この診療所の駐車場を使ってよいそうだ。

夕方に来たので、「ひかり湯」に入ってきた。元スラムの部落の浴場ではいかにもくたびれた老人が多いが、向野の場合はそれとは違って肉体労働者系のガタイのいいおっちゃんが多いように感じだ。筆者はよく分からないが、食肉業はそんなに筋力がいるものなのだろうか? それとも、毎日上質の肉を食べているためか?

肉屋が多い以外は、大阪の普通の住宅地とそんなに変わりがない。

…と思ったら、住宅密集地が現れた。

細い路地に空き地と廃墟が見受けられる。

かつての部落解放同盟委員長、衆議院議員であった上田卓三の後援会の札が掲げられた家もある。

この保育園は閉鎖されていた。少子化により、どの同和地区でも余剰の同和保育所は閉鎖されていることが多い。

向野の住宅密集地は意外に大きい。大阪府内でもかなり規模が大きな部類に入るのではないだろうか。

住宅密集地を抜けると川が現れた。これが東除川ひがしよけがわで、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで1975年1月24日のカラー写真を見ると川の水が赤く染まっているように見えることが5ちゃんねる等で話題となった。説明するまでもないだろうが、これは屠場の排水に含まれる血液によるものだった。もちろん、有機物を多量に含む排水を川に流すことは違法であるし、今は昔ほどいい加減ではないので、もうそのようなことはない。

川沿いを歩くと、何やら孤立感のある家が。

やはり共産党だった。

これは「わじま文化会館」。羽曳野における共産党の拠点である。事実上解放同盟を窓口とした、同和行政に異を唱えるこのような存在は貴重だ。

診療所と老人憩の家。

お寺を見つけた。関西の部落に多い浄土真宗本願寺派というだけでなく、「差別の世 問うていきたい 聖人に」という一句から部落の寺だということがすぐに分かる。

さらに住宅地をぶらぶらしていると…

向野に数ある豪邸の中でも際立った豪邸。もしやと思って調べてみると、この家こそあの浅田満の御殿だそうだ。かつては浅田満の別名である「浅田満利」の表札が掲げられていたそうだが、今はなぜか表札が外されていた。

とても大きな建物、これは羽曳野市立青少年児童センター。向野のは大きな部落ではあるが、それにしてもこの施設は大きすぎる気がする。向野以外からの利用はどれだけあるのだろうか。

ドクターヘリの離着陸場もあるという。

この山上九郎左衛門宗近は、地元の水利に貢献した人らしい。

どこからどこまでも、肉屋づくしの向野。

そんな向野でもやはり大阪、維新の会が存在感を示していた。

部落差別解消推進・部落探訪(76)
大阪府羽曳野市向野2,3丁目
」への12件のフィードバック

  1. .

    姓の分布からして、伊賀や恵我之荘などは向野からの「滲み出し」で形成された部落と見るべきでしょうか?

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      過去の航空写真と比べると、ほとんどの同和施設は周囲の田畑をつぶすか池を埋め立てて作られています。
      向野部落は非常に狭い範囲に住宅が密集していたので、改善するにあたって周囲に広がることは不可避だったでしょう。

      返信
  2. .

    山上九郎左衛門宗近は、向野村本村(向野1丁目)の庄屋さんですね。

    向野はウィキペディアの記事にもありますね。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%91%E9%87%8E_(%E7%BE%BD%E6%9B%B3%E9%87%8E%E5%B8%82)

    向野村と更池村は関西の食肉生産の発祥の地であり、日本の食肉産業の源流でもある。
    1858年(安政5年)には、向野村枝郷皮多村と更池村枝郷皮多村は、「屠者村」と称され、
    畿内の皮革産業の中心地である摂津役人村の皮多仲間からも

    “河内国向野村・更池村は屠畜を専らとする「屠者村」で、皮多村のなかでも希な下々の格下村である”

    などの侮辱を受けている。同年の別の史料でも、「向野殺生方」と呼ばれていた。

    今では食肉産業の方が儲かりますが、江戸時代は皮革>>>>>>>>>>食肉だったようです。
    殺生を生業とする食肉業者は、皮革業者から見下されていたとのことです。

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      珍しくウィキペディアが直球ですね。向野と更池は皮革加工をしていたのではなくて、屠殺専門で、加工前の皮を皮革加工業者に売っていたということなのでしょうか。

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  3. 音野

    ついに向野が紹介されてうれしいです。
    ほかの同和地区に比べて住宅の密集具合がすごいですよね。
    あと北方と南方で貧富の差がありますね。
    基本北のほうが豪邸が多い。南は廃墟とか古い家が多い。
    あと1丁目はほかの地区からの移住者も多いですし、ムラから越してきた人も多いです。
    羽曳が丘の浅田御殿にはいかれましたか?万代の向かい側にあります。
    老人憩いの家の近くのあばら家においてある牛の置物もインパクトがあるので紹介してほしかった。

    赤い川は河川改修する前の東除川ですね。
    お墓の近くとかは今でも旧河川の名残が残ってます。

    同じ食肉系でも皿池に比べるとにおいは全然ないですね。
    向こうは膠を扱う工場があるんでかなりくさいです。
    昔よりましになったみたいですけど、未だに改善はされてないですね。
    松原市があまり動いてくれないみたいです。

    また中・南河内のほうに来られることがあればかすうどん食べて帰ってください。

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      羽曳が丘の浅田御殿の方には行きませんでした。牛の置物は見落としていました。見たかったです。

      できましたら、探訪にあたってこれが見どころというスポットをご存知であれば、情報提供して頂けると次回探訪時に目標に加えます。
      かすうどんは食べませんでしたが、向野についてはもう1つの名物についての特集を近々やる予定です。

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      とりあえず住所でポンには出てきません。
      また和歌山を探訪する機会があれば、鯨御殿に行ってみます。

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  4. さくらさく

    祖母が記事にご紹介ありました水利をされた庄屋さんと同じ名字のうまれで、その実家は1丁目と2丁目の境目あたりの古い大きな家でした。
    祖母の親戚縁者とも仲が良いのでいろいろ話すこともあるのですが、古くからの土地柄の割には、祖母の一統だけでなくこの地域での有名なご一族やそのほか代々の住民というのが、お互いに疎遠というか大阪の普通の住宅地程度の希薄な関係になっている印象を持っております。そのあたりは都市近郊ということなのでしょうか。

    ちなみに、掲載されている東除川の写真2枚目真ん中左側に写ってる放水口、例の赤い色が流れ出してたところだと思います。

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      地元をよくご存知の方、コメントありがとうございます。まさか、あの排水の放出源が写っているとは思いもしませんでした。
      …ただ、あの放水口は地区外にありますし、放水口の上の建物はプラスチック製品の工場のようです。
      あらためて1975年の写真を見ると、わじま文化会館前の橋の近くの、向野側の放出口から出ているように見えます。

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  5. 被害者

    鯨御殿の主を検索中たどり着き、コメントさせていただきます。
    長きに渡り鯨御殿の主の私服を肥やす為に迷惑を被り、辛い日々を過ごしておりましたが、どうもこの世から居なくなっているようです。身内の口から聞きました。
    ただネットでは全く出てこないので、残された遺族が未だ鯨御殿の主の名前で得られる利益があるため公にしていないのかも知れません。

    鯨御殿は憶測ですが、ドルフィンリゾートと言うものに変わったのでは?
    さらに経営も別のところに変わってるようです。

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      ドルフィンリゾートって太地町森浦703−15のことですか?

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