部落差別解消推進・部落探訪(61)
三重県伊勢市朝熊町“北部”(前編)

By 鳥取ループ

三重県と言えば同和利権の権化のように言われることがある。確かに、1969年から1993年度の決算実績によれば、県では1.5%、市町村では5.6%を同和事業が占めていて、この比率は中部・東海地方で最も大きい。

しかし、隣の和歌山県ははるかにそれを凌いでいて、県では3.9%、市町村ではなんと15.3%が同和事業であった。特に市町村の同和事業決算比率は全国一位だ。他の近畿各県と比べても、三重県の同和事業の規模は大きなものではなかった。…というよりも、近畿各県があまりにも桁違い過ぎたのかも知れない。

そのような三重県であるが、部落差別の歴史を象徴する事件がいくつか起こっている。その1つが1927年の朝熊あさま闘争である。

このパネルは三重県人権センターに展示されているものだという。90年も昔のことだが「現在まで、北部の住民は、朝熊闘争を引きついで、環境改善や就労・教育問題など努力を重ねています」ということなので、穏やかではない。90年の怨念はどのようなものなのだろうか?

ということで、はるばる朝熊町までやってきた。人権センターに展示されているというパネルの写真と同じアングルで現在の場所を撮影してみた。家の形など、昔の姿をそのまま引き継いでいるようにも見える。

「北部」とある通り、朝熊町はこの朝熊川を境に北部と南部にはっきりと分かれている。行政区はどちらも朝熊町だが、町内会は別々である。北部が部落であり、南部が「一般」であることは言うまでもない。

南部では「朝熊町自治会」、北部では「朝熊町委員会」となるらしい。

部落の中を歩くと、臭突がある家が多い。道路は区画整理され、整備されているように見える。

1934年の記録では114世帯、1961年には163戸あった。

北部から南部の住宅地を見る。北部と南部の経済格差は非常に大きかったという。

朝熊闘争は戦前から戦後間もない頃に各地の部落で行われた、いわゆる山林解放闘争の1つである。朝熊町内にある山林を含む様々な財産の多くが南部住民のものであったことから、それは部落差別だと闘争になったわけである。

結局、10町歩(約10ヘクタール)と現金1000円(現在の価値で500万円)を南部から北部に引き渡すということになった。しかし、それでも北部の住民は納得せず、火種はくすぶり続けるのだが、北部の住民の意志は必ずしも一致せず、闘争に参加した共産主義者に対する政府の弾圧もあって、あまり大きな成果は挙げられなかったようだ。朝熊闘争による逮捕者には植木等の父親である植木徹誠もいる。ただし、植木徹誠は朝熊町の住民ではなく、彼のように他の部落から朝熊闘争を支援する人物が多くいた。

ただ、筆者としては部落の山林解放闘争は果たして部落差別への抵抗と言えるのか? と思うことがある。当時は山林から得られる薪などの資源は今よりもはるかに重要なものだったので、山林の権利は生活に直結するものだった。どんな理由であれ、そのような重要なものを簡単には渡したくないわけで、山林の権利に絡むトラブルは部落に限らず全国各地であったはずである。高尚なイデオロギーを持ち出そうと、要は資源の奪い合いであることには変わりがない。

そして、昔ほど山林の権利が重要ではなくなった今、過去の闘争を持ち出すことにどれだけの意味があるだろうか。

共産党の看板は、南部でも北部でも見受けられる。この地域には、共産党員が多いようだ。一方で、かつては三重県部落解放運動連合会伊勢地区協議会があり、解放同盟と共産党が同居していた。北部住民がまとまらなかったのは、このこともあるかも知れない。

ここは隣保館である朝熊市民館。「市民館」という名前の付け方に共産党っぽさがある。解放同盟の掲示物はない。

公明党のポスターもある。

住宅地の北側に斜面があり、ここから部落を見下ろすことができる。さらに北の方は昔は山林だったのだが、今は公営住宅群になっており、ここも北部の町内会に属しているというので行ってみた。

ここは「大久保」という小字で、文字通り丘に囲まれた大きな窪地のような場所だ。市営住宅駐車場という看板がある空き地には市営住宅には似つかわしくない車が…

白・黒のセンチュリーが。同和住宅にベンツやレクサス等の高級車が停めてある光景はよく見たが、センチュリーというのは斬新だ。

しかし、地元の事情通に聞いてみると、すぐ近くに自動車の修理工場があり、修理待ちの車ではないかということだった。確かに、地図で調べると近くに自動車の塗装業者がある。ここに昔ニコイチ住宅が建てられていて、それが解体された跡が広い空き地になっており、工場の車置き場になっているようである。

しかし、この街宣車はどうだろう。市営住宅の庭に予備の拡声器らしきものがあり、これは間違いなく市営住宅の住民のものだ。共産党も右翼もあるということか。確かに、この部落には様々なイデオロギーが混在しているようである。

※街宣車が工場に入っていくのを見たので、街宣車も修理している車ではという情報がありました。
(次回に続く)

部落差別解消推進・部落探訪(61)
三重県伊勢市朝熊町“北部”(前編)
」への10件のフィードバック

  1. 匿名

    朝熊と書いて〝あさま〟と読むのですね。わたしなんかは朝熊とあれば〝あさくま〟と読んでしまいます。
    【ステーキのあさくま】本店の近くには、日本料理の【朝熊(あさくま)】がありますし。

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      私も最初、あさくまと読んでしまっていました。地元の人に言われて間違いに気づいた次第です。

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    2. 日本中世史愛好家

      「朝熊」の漢字は当て字で、読みも元はおそらく「あさくま」からの転訛と思っていましたが、やはり
      それが正解の様です。wikiの「朝熊山」に載っておりました。元の意味を漢字にすると「浅隈」が
      有力とか。

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      1. 鳥取ループ 投稿作成者

        NHKの日本人のおなまえっ!でも言ってましたね。熊というのは、ほとんどの場合隈に熊の字を当てたものだそうです。

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  2. 名無しさん

    共産党、解同、街宣右翼とバラエティ豊かな所は珍しいのでしょうか。特に共産党と解放同盟が過去に混雑って・・・。街宣右翼は、住人に極道な職業の方がいるのかもしれませんね

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      共産党と解放同盟が同居している部落は割りとあります。同和会が右翼とかぶっているという話も聞きます。九州の辺りですが。

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  3. a

    書籍「ルポ 現代の被差別部落」でも触れられているとおり、山林にリゾート地等の開発が行われる際に、入会権を有しているかどうかで受益者となれるかが問題になることがあったみたいなので、そういった経済闘争となっていったのかもしれませんね。

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      実は朝熊町でもリゾート開発っぽいものはありました。それはまた次回で。

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  4. さしすせそ

    朝熊懐かしいです
    伊勢市内にそこそこあるのですよね、松阪は更に上ですが

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  5. 日本中世史愛好家

    政治結社皇心会を調べましたところ、本部は奈良市東九条町の様です。
    また会計責任者の方は同一人物かは不明ですが(あまりある氏名では
    ないのですが)高知県在住の方か?総務省・政治資金収支報告書より

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