特撮の原点とファンの間で語り継がれる映画『大仏廻国』(1939年)。前回の資料編に続いて今回は、映画のモデルとなった愛知県東海市「しあわせ村聚楽園大仏」など舞台となった“聖地”をめぐってみた。
本作で愛知県内を闊歩した大仏は、愛知県東海市の聚楽園大仏という。戦前、「守口漬け」(守口大根の粕漬け)で財を成した実業家、山田才吉が聚楽園という料亭、庭園を造ったことにちなむ。現在は、市の所有となっており聚楽園公園、保健福祉センター、健康ふれあい交流館からなる「しあわせ村」として運営されている。大仏は聚楽園公園の中にある。鉄筋コンクリート製で、像高は18・79メートル。台座には国家鎮護のため、一切経の写経石が埋められている。またユニークなのが眉間に電灯を施し、名古屋港に出入りする船の灯台の機能も有していた。さすがに特撮映画の原点! 超ハイテク大仏というわけだ。
こうしたコンクリート造の大仏は、全国各地に存在するが聚楽園大仏の歴史は最も古い。1927年(昭和2年)、先述した実業家、山田才吉が昭和天皇の御成婚を記念して造った。しかし1938年に競売に出され、民間企業の手に渡り、戦後は解体の危機もあったが1983年、普済寺(東海市)が中心となって再建された。現在は宗教法人「大仏寺」として管理され、公園のランドマークになっている。
参拝だけではなく園内にはウォーキングコースが整備されているので高齢者も目立つ。だから大仏廻国について何か情報が得られそうなもの。ところが出会った中で最も高齢だった女性ですら、「亡くなったおじいさんから映画の話を聞かされた」という程度。「大仏廻国を見た」「撮影当時を知っている」こんな人に出会うのはもはや不可能に思えてきた。
アンパンをもらって撮影に参加
ひょっとしたら普済寺に聞けば大仏廻国に関する何らかの手がかりが得られるかもしれない。そこで大仏の管理者である普済寺・伊藤道宣住職に話を伺ってみた。しかし――。
「映画のことを聞いてこられたのは初めてですよ。せっかく来てもらったけど、それ聞かれても全然分かりません(笑)」
伊藤住職はこう続ける。
「一応、映画が製作されたという話は随分、前に聞いたことがあるんですよ。うちの寺に出入りしていた人から聞いた話なんだけどね。子供の頃、大仏様が歩く映画を作るからエキストラで撮影に参加したんだって。ロケの時にアンパンをもらって走り回ったとかね。映画について知っているのはせいぜいこれぐらいですよ。その人を紹介してほしい? いやもうとっくに亡くなった方ですよ」
僅かながら貴重な証言を得た。アンパンでエキストラ参加というのもどこか微笑ましい話だ。ただ周辺の高齢者から話を聞いても、これ以上のエピソードを入手することはできなかった。そこでとりあえず映画を見たという当事者探しは継続するとして、巡礼の続き。次に向かったのは当時の映画評の記述「寺津四十八尺の大仏と対面」にある大仏探しだ。
この大仏は、愛知県西尾市の常福寺が所有する大仏。地元では通称「刈宿の大仏」と呼ばれている。刈宿の大仏の像高は7メートル、基壇を含めると14メートルだから、聚楽園大仏に比べれば小さいが立派な大仏だ。参拝客もいる。大仏を管理する常福寺の住職にも一応、映画について聞いてみたのだが「昭和9年の映画? 私の父親も生まれていません」ということだった。残念ながら『大仏廻国』に登場した二大大仏の聖地を巡礼してみたが、当時を知る人には出会えなかった。しかしここまで来たらもう意地である。次回は『大仏廻国』が上映された映画館「世界館」があった名古屋市中区大須を調べてみるとしよう。
39年だと聚楽園のあたりは一面ミカン畑。愛知製鋼の知多工場が稼働したのが43年で駅から海側は埋め立て干拓地でしたから。人はあまり住んでなかったでしょうね。
海が一望できたそうで、この大仏も灯台代わりだったそうです。
聚楽園大仏は、江戸川乱歩、長谷川伸らの同人「耽綺社」で南方の秘宝 (春陽文庫)という小説に取り上げられていますよ。タイトルの南方は名古屋の南という意味。時代は昭和の初め頃かな。
貴重な情報ありがとうございます。読んでみます。
ちなみに地元の人から
筒井康隆さんがコラムで大仏と映画のことを書いているという
話を聞きました。どのコラムのことを言っているのか
探しているところです。
ご存知ないでしょうか。