「毛子埠虐殺事件」をご存じだろうか? 日中戦争の最中、中国山東省の集落で発生した旧日本軍による虐殺事件、なのだとか。毛子埠事件が戦後問題として運動化したのは2000年代に入ってからのこと。2007年に「毛子埠記念館」が建設され、同館館長の丁春源氏ら日中の活動家が日本政府に調査・謝罪を求めてきた。さて9月8日、丁館長ら中国の関係者、日本の支援者らが東京八王子市内で「日中友好書画展覧会」を開催し、事件の理解普及と文化交流を行った。どんなものかと実際に話を聞いてみると、なんともグダグダ感が漂ってくるのだ。
青島から北に約60kmに位置する即墨市の毛子埠。事件は、1938年5月、この地の住民、趙家と李家、両家の土地争いがきっかけだという。李家が日本軍を利用し襲撃したことに対し、趙家が日本軍に反撃したことから虐殺事件に発展した――。
これが大方のあらましだ。この時点で、「日本軍を利用した中国人!?」とツッコミたくもなるが、さておき、中国国内では「虐殺事件」と喧伝されてきた。虐殺と言えば「南京事件」ならば多くの日本人が知るところだろう。南京事件についてはいわば国策で教育・啓発が行われているのに対し、毛子埠虐殺事件は、丁館長が私費を投じて建設したもの。これに日本では、日中友好協会などが中心となり運動を開始。シンポジウムや学習会の開催や署名活動を始め、今年7月、安倍首相宛に署名1028名分を送付し、事実認定、謝罪を要請した。要請文は以下の通り。
1、日本政府は、毛子埠虐殺事件を自ら調査し確認すること。
2、事実に基づいて幸存者(幸いにも難を逃れた者)及び遺族をはじめとする村民に謝罪し、道義的責任を果たすこと。
3、毛子埠虐殺事件を公文書に記し、教育等を通じて後世への記憶とすること。
だから「日中友好書画展覧会」もさぞや、怨念に満ちた書や、あるいは陰惨な虐殺風景の絵画がズラリと展示される。そんな光景を予想していたのだが、丁館長の作品もその他作品も至って普通である。例えれば自治体主催の生涯学習の発表会といった様相だ。というのも今回の展覧会は「平和は絆、書画は友情」をモットーに「平和賛歌」がテーマ。中国陣営も「運動家」というよりも、書道家の集まりだ。このため抗議活動というよりも純粋な文化交流の色が強い。
にしても丁館長がわざわざ来日している以上、何らかの政治的成果が必要なはず。果たして政府への要請はどんな反応があったのか? 通訳の洪小珍《しょうちん》さんや日本人の協力者を通じて、丁館長を直撃した。
――日本政府からはどのような回答がありましたか?
「回答はまだありません」
――道義的責任とは何を意味しますか? 例えば補償を求めるとか?
「そういうことではなく事件を日本人に知ってほしい」
――例えば証言者、被害者や遺族はいますか? 丁館長は被害者遺族?
「私は被害者の遺族ではない。証言者はいません」
話を聞く限り物証や客観的な資料が乏しいような気もするが、生存者、証言者がいない上、そもそも館長自身が遺族ですらない、この点も説得力に欠ける。
それ以前に、そもそも事件を知ったきっかけは?
「抗日戦争勝利五十周年記念の特集番組を見ていた時に、事件を知って記念館を建設しました」
TVで知った!? それは日本で言うところの「にわか」とすら思えてしまう。なにしろ日本軍の蛮行とくれば朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、NHKあたりならば“大好物”に違いない。しかしブルドーザーの如く強引に日本叩きに押し切るあの一味もこれだけの情報だけでは取り扱い難いかもしれない。
日本政府お得意の“謝罪と補償”をもってしても、さすがにこの内容では政府の首も垂れにくいというものだ。
虐殺事件という衝撃度を利用しただけの、あやかり展覧会という感じがしました。人が来てくれればイイというか・・・
あやかり展覧会ですかあ。なるほど。その視点はなかったです。今考えると、むしろ事件で釣って書画を見せたのかもしれないですねえ。