【愛知県・名古屋市】あいトリ負担金 請求訴訟で 河村市長は 何を語ったか?

三品純 By 三品純

愛知県の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」(昨年8~10月)の負担金約3400万円の支払いを求めて県が名古屋市を提訴した第一回口頭弁論が8月5日、名古屋地裁で開かれた。『中日新聞』(8月5日)によると名古屋市は昨年4月、芸術祭の負担金1億7102万4千円を実行委に交付すると決定し、同年7月までに1億3722万2千円を支払ったが、河村市長は不自由展の展示内容や実行委の運営に問題があったとして、残り3380万2千円の支出を拒んだという。名古屋市からは河村たかし市長が意見陳述に立ち、実行委員会の会長でもある大村秀章知事の対応や展示物を批判。「ハラスメントというべき政治的に偏った展示」として県側と争う構えだ。市長の意見陳述は約1時間に及び展示内容から当時のマスコミ報道についても批判。また法廷には現在、大村知事リコール運動を進める高須クリニック・高須克弥院長の姿も。高須氏は閉廷後、記者会見に応じ開口一番、「あんなに迫力ある冒頭陳述は初めてです」と述べた。

開催後、数日のうちに非公開になった不自由展。

コロナウイルス感染予防のため現在は各地の裁判所でも密を避けるために傍聴制限をしており、本裁判も抽選が行われた。あいトレと言えばいわゆる「表現の不自由展・その後」をめぐり「日本人の心を傷つけた」「日本人へのヘイト」などの批判が起こった。このため展示内容を問題視した河村市長が負担金支払いを拒否したところ大村県知事がこれを不当として提訴。名古屋地裁入り口には抽選の整理券を求めざっと50人が並んだ。

当初、不自由展を支持する左派団体の動員を予想したが、どちらかと言えばあいトリ批判派で大村知事リコール運動関係者の方が多かったようだ。運よく抽選に当たり入廷すると、弁護人を伴い河村市長が入ってきた。意見陳述をするという。おおかた双方の準備書面の確認で終わる場合も多いのに、市長の意見が聞けるとは貴重だ。

また冒頭の2分間、マスコミの撮影時間いわゆる「あたまどり」が行われた。注目される裁判の場合、法廷内のニュース映像や写真を報じるのを目にしたことがあるはずだ。開催から一年が経つが今なお関心が高い問題なのだと実感する。裁判官が提出された書面の確認をした後、河村市長の意見陳述が始まった。本来ならば著者のメモで記事化すべきだが、すでに書面が公開されたので便宜上、またより正確に伝わるので転載する。陳述書。

名古屋市長

本裁判の冒頭で,本裁判に関する本質的な問題について,すなわち,この裁判で根本的・実質的に問われている社会問題について,名古屋市長である私の見解を,申し述べさせていただきたいと思います。

第1 はじめに ― 本裁判で問われるべきもの ―

この裁判の直接の原因は,申すまでもありませんが,「あいちトリエンナーレ」という,愛知県と名古屋市とが共催者として,3年ごと開催してきた昨年度の国際芸術祭について,名古屋市が一旦は支出を決定した事業費1億7102万4000円の負担金を一部カットすること,つまり,その負担金の一部を支払わないという決定を,私が,名古屋市長としての責任において,最終判断したことにあります。その理由については,この裁判でも,正確かつ明確に説明する予定ですが,遺憾ながら,名古屋市の負担金不払いの理由について,これをまったく顧みることなく,名古屋市をこの裁判の被告として訴えることを決断したのは,ほかならぬ原告あいちトリエンナーレ実行委員会の会長である大村秀章・愛知県知事です。つまり,この裁判の当事者は,実質的には,ともに日本全国でも有数の地方自治団体である「愛知県」と「名古屋市」との対決,といった前代未聞の様相を呈しております。既に「あいちトリエンナーレ」では,「表現の不自由展・その後」(以下「不自由展」と申します。)をめぐって,私・名古屋市長と,大村・愛知県知事との対立関係を軸として,大きく報道がなされてきております。したがって,この裁判につきましても,実質的には「愛知県」対「名古屋市」の対決,あるいは大村・愛知県知事,対,河村・名古屋市長との対立といった「対立構造」を軸として,大きく報道される可能性があるものと承知しております。

この意味で,私は,「名古屋市の名誉」,あるいは,「名古屋市民の名誉」にかけて,私があいちトリエンナーレの事業費に関する「負担金(=市民税)」の支払いを一部拒否した理由の正当性をこの裁判で主張し,審理経過・判決内容も含めて,名古屋市民に向けて,この新型コロナウイルスの問題で大変な時期に,不本意ながら,大村・愛知県知事から起こされた,実質的にみて,地方自治体どおしの裁判について,これを受けて立たざるを得ないことに至った理由について,十分に説明すべき責任があり,それに対する評価を甘んじて受けるべき立場にあるものと考えております。結論から申しますと,私は,この裁判で問われている一番の重要事項は,不自由展で展示されていた多くの作品,特に鑑賞者である愛知県民,名古屋市民を含む,「日本国民が激しい不快感・嫌悪感を抱くような描写・映像とともに,政治的主張を含む作品」について,これを愛知県民や名古屋市民が負担した税金を使って,しかも,公共施設である愛知芸術文化センターの美術館を使って展示させることが,はたして地方公共団体が主催する公共事業として適正なものであるのか,ということだと考えております。

私は,不自由展の開始早々,不穏な情報を耳にしましたので,原告事務局とも相談の上,直ちに展示会場にかけつけ,展示物の概要を視察し,昭和天皇の肖像画がバーナーで燃やされ,その灰が靴で踏みつけられるなどといったおぞましい映像を含む作品や,いわゆる従軍慰安婦像の実物,さらには,日本国のために命を捧げた旧日本軍兵士を侮辱するように見受けられる作品等を目の当たりにして,非常に驚きました。そして,直ちに大村・愛知県知事,この裁判では,原告・あいちトリエンナーレ実行委員会の会長ですが,この大村知事に対し,抗議の申し入れをしました。

この抗議文書は,この裁判でも証拠として提出されておりますが,短い文ですので,その一部を読み上げますと,「『表現の不自由展・その後』は,表現の自由という領域ではなく,日本国民の心を踏みにじる行為であり許されない。行政の立場を超えた展示が行われていることに厳重に抗議するとともに,即時,天皇陛下や慰安婦問題に関する展示の中止を含めた適切な対応を求める。」(乙1・87頁)と明確に書いてあります。

原告の実行委員会会長である大村知事に宛てた,この抗議文書でも言及されておりますが,私は,不自由展での展示問題の本質は,日本国憲法が保障する「表現の自由」の問題だとは,まったく考えておりません(この理由については,後で申し述べます)。不自由展で,私がもっとも問題視し,この裁判でも争点となるべき本質的・中核的な問題は,「愛知県民が親しみやすい祝祭的な」芸術祭・美術展を見に来た日本国民・名古屋市民にとって,その心を傷つけるような作品の展示が,公共事業として適正なものなのか?,そのような「ハラスメント」とも言うべき政治的に偏った作品の展示について,愛知県や名古屋市といった地方公共団体が主催し,「公金を使っていいのか?」という問題です。

ところが,その後,不自由展は一時中止となり,マスコミ各社が,この問題について,大きく報道しましたが,遺憾ながら事実関係が著しく歪曲されておりまして,正確な報道がなされませんでした。しかも,不自由展問題の本質的な論点がすり替えられてしまっていました。もっとも大きな報道上の問題は,第1に,私が最も問題視した「公金の使い途」の問題が,法律的にいいますと,財政民主主義の問題が,憲法上の「表現の自由」の問題にすり替えられてしまったということです。そして,第2に,不自由展の展示作品の問題対象について,天皇陛下の肖像写真をバーナーで燃やして,その灰を靴で踏みつける映像を含む,あの忌まわしい,天皇陛下をめぐる「ハラスメント」の問題について,どの新聞社,どのテレビ局も一切報道せずに,もっぱら,「いわゆる従軍慰安婦像の方だけ」を前面にだして,問題の対象を限定し,もって問題の本質をすり替えた上で,愛知県民・名古屋市民の方々に,あたかも私・名古屋市長の河村が,その政治的主張を「検閲」し,表現活動を公権力の立場から弾圧しているかのような印象を与える報道(印象操作)がなされた,ということです。このように,事実関係を歪曲して伝えるといった報道の病理は,「社会の公器」であるマスコミ報道のあり方として,非常に疑問があり,この裁判との関係でも,「報道の自由」の濫用問題は,日本国憲法が保障する「公開裁判の原則」の趣旨とも抵触する事態に直結することが懸念されます。それゆえにこそ,本裁判で問われるべき最も本質的に重要な問題について,私の意見を述べさせていただきたいと思う次第です。すなわち,この裁判で問題とされている「負担金」の問題は,あくまでも名古屋市民が負担する「税金の使い途」の問題でありまして,「不自由展の公共事業としての適否」こそが,本件裁判における本質的な問題であることを,裁判所に対し,冒頭で重ねて強調しておきたいと思います。

第2 不自由展の実情

不自由展を含む国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の主催者につきましては,実行委員会会長が大村・愛知県知事であり,事務局も愛知県庁におかれており,要職はすべて愛知県職員に独占されていましたので,「実質的には愛知県主催の公共事業」といっても過言ではありません。もっとも,私も,名古屋市長として実行委員会会長代行の地位にあり,名古屋市からは「負担金」として,事業費のうちの合計1億7102万4000円の支出を予定しておりましたし,不自由展の問題が発覚した際には,名古屋市の担当事務局にも,非常に多くの方々から激しい御批判をいただきましたので,社会的には,共同主催者としての政治責任があるものと承知しております。このことは,後で説明しますが,「公共団体が主催者」である場合に問題となります,いわゆる「表現の裏書き効果」(主催者である公共団体が,特定の表現が含む政治的主張を,事実上正統化してしまう効果)という問題にもかかわってきます。そこで,まずは,本件訴訟で直接問題となる,被告名古屋市の負担金支出金額の一部減額変更の当否について,その変更が相当であると私が判断した際の前提事実として,不自由展の中で,具体的に,どのような作品が展示されていたのかについて,ご説明させていただきます。以下では,時間の関係もございますので,不自由展の展示作品の中で,私が特に「公共事業として」問題があると認識した三つの作品にしぼって,その概要を説明します。

第1は,大浦信行氏作の「遠近を抱えて PartⅡ」と題する作品です。この作品は,昭和天皇の肖像写真をバーナーで執拗に燃やし,その灰を靴で踏みつけるといった由々しき映像を含む作品です。日本国憲法1条で規定されておりますとおり,天皇陛下は,「日本の象徴」であり,「日本国民統合の象徴」です。日本国民一般の社会常識的な理解として,「日本の象徴」に対する激しい憎念に満ちた攻撃・暴力・破壊をモチーフとし,人間の尊厳をも冒(おか)す内容の作品については,たとえその芸術性について,作者がいかなる弁明をしようが,また,いかなるキュレーションが施されようが,私・名古屋市長は,公共事業として相応しいものでは絶対にありえないと考えております。

実際にも,私自身,この作品をみて,心が激しく痛みましたし,この作品を見た圧倒的多数の国民の皆様も,私と同様,その忌まわしさに激しい嫌悪感・険悪感・吐き気を覚え,心が深く傷つけられたものと思われます。したがって,このような他人の心を傷つける問題作品については,その展示自体が,「ハラスメント」になるものと考えます。そして,このようなハラスメント作品の展示を公共団体主催の芸術祭・美術展で展示することなど,絶対にあってはならないことだと確信しております。もちろん,このような「日本国民の心を踏みにじるような」作品について,もし公立美術館である,愛知芸術文化センターで展示するとなれば,観覧者らから激しい抗議が殺到し,危機管理上,深刻かつ重大な問題を生ずることは必定でありますし,このことは,原告事務局において,当然に予測できたことだと思われます。ちなみに,愛知県の検証委員会の報告書では,このような甚だ強烈な「ハラスメント」に当たる作品についても,「作者の制作意図等に照らすと展示すること自体に問題のない作品だった」とした上で,「作品の製作の背景や内容の説明不足」や「展示の場所,展示方法が不適切」だったなどと,展示方法あるいはキュレーションに問題があったにとどまるなどと,問題の本質が正当に理解されず,問題の所在が,矮小化されています。

しかしながら,「ハラスメント」というのは,「表現者・発言者・行為者の意図とは関係なく」,相手の尊厳を傷つけたり,不快な思いを抱かせること自体を問題視する概念です。例えば,いくら男性が「軽い悪戯心からだった」と弁明しても,被害女性が,性的に不快な思いを抱けば,「セクシャル・ハラスメント」が成立します。ですから,作品展示を手段とした「ハラスメント」は,「作者の制作意図」とは関係なく成立する社会的な害悪でして,「作者の制作意図等に照らすと展示すること自体に問題のない作品だった」などという愛知県の検証委員会を構成委員である,学識経験者らの見解は,「ハラスメント」という概念を正しく理解していない,ということになります。

第2の問題作品は,キム・ソギョン氏及びキム・ウンソン氏作の「平和の少女像」と名付けられた等身大の人形です。この作品は,周知のとおり,韓国ソウル市内の日本大使館前に立てられている,いわゆる従軍慰安婦像のレプリカです。いわゆる従軍慰安婦問題は,周知のとおり朝日新聞の「誤報」によって,日本国及び日本国民が「国辱」を受けました。すなわち,朝日新聞において,旧日本軍により,慰安婦が「強制連行された」などという,歴史的な事実・根拠に基づかない報道が,全世界に向け,大々的に,何度もくりかえし発信されたために,あたかも,慰安婦の「強制連行」が歴史的事実であるかのごとくに誤解され,日本国民,及び韓国国民のみならず,全世界にわたって多くの人々に信じ込まれてしまいました。そして,いわゆる従軍慰安婦像は,特に韓国の方々は旧日本軍による戦争被害の象徴的存在として,反日感情をかき立てる目的で,造形され,展示され続けていることは周知の事実です。しかしながら,いわゆる従軍慰安婦に関する朝日新聞の報道は,朝日新聞自らが「誤報」であったことを認め,謝罪したことは周知の事実ですし,このようないわゆる従軍慰安婦をかたどった人形については,日本国及び日本国民を侮辱するもので,著しく不快な思いを抱く日本国民,愛知県民及び名古屋市民は,決しては少なくないものと思われます。

また,御存知の方も多いと思いますが,このいわゆる従軍慰安婦像をめぐっては,アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルス郡のグレンデール市で裁判が起きております。外務省のホームページでも紹介されておりますが,グレンデール市では市有地の公園にて,同市の許可を得ていわゆる従軍慰安婦像が設置されておりまして,これに抗議して,現地在留邦人らが原告となって,グレンデール市を被告とした訴訟が提起されました。そして,この訴訟では,日本国政府の意見書も原告側の証拠として,提出されておりまして,その意見書の中では,日本国政府の見解としても,グレンデール市に設置された,いわゆる従軍慰安婦像の碑文の中に書かれている「日本軍によって強制的に性奴隷状態(Japanese Military Sexual Slavery)にされた」とか,「20 万人」の数字が意味するところのものは,「日本政府が長期にわたって調査してきた歴史的文献を正確に描写していないと強く反対している」等と明記されています。そして,不自由展に展示されておりました,「平和の少女像」と名前のつけられた,いわゆる慰安婦像につきましても,それに附属させてある「碑文」には,「Japanese Military Sexual Slavery(日本軍の性奴隷)」という言葉が記載されていました。アメリカに在住の日本人の方々が,日本国政府とともに,不当な歴史的・政治的主張に対して裁判で闘っている状況の中で,愛知県や名古屋市が共同主催している公共事業で,このような不当な表現活動を認めてしまいますと,日本政府の見解・主張にも著しく反しますし,あたかも,愛知県や名古屋市がいわゆる従軍慰安婦像の背景にある一部韓国国民の政治的主張を後押ししているかの印象を公衆に与えることになってしまいます。現に名古屋市は,グレンデール市と同じく,アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルス郡に属するロサンゼルス市と姉妹都市提携しておりまして,友好関係にあります関係で,私自身も現地の関係者から,不自由展の慰安婦像について,「名古屋市は,何をやっているのか!」と叱られました。つまり,公共団体が,公金を使って,公共美術館で,一方的に偏った政治的メッセージを含む作品の展示を認めてしまうと,その公共団体がその作品の「展示」を後押ししたというよりも,「展示物の内容」を後押ししているかの印象を与える効果があり,国家公務員や地方公務員に強く求められる政治的中立性に反するといった違法問題も生じます。そして,このような公権力(特に国家)の表現活動において,一定の議論を正統化するような政治的効果については,アメリカでは「裏書き( endorsement )」効果とも呼ばれておりまして,私は,公共団体が主催者となって,公金を使って,「芸術活動の支援」を行う場合に,もっとも注意すべき事項の一つだと承知しております。さらに,これを裏付けることでもありますが,「不自由展・その後」が開催されるや否や,韓国のマスコミが,「平和の少女像」が「日本の公共事業」として展示される意義について,繰り返し報道しました。具体例をあげますと,「日本で完全な形の少女像を公の場で展示するのは初めてだ。日本の公共美術館で展示されること自体が大変意味のあること」(令和元年 8月 1 日 KBS WORLD Radio)「日本の公共美術館で慰安婦少女像展示」「より多くの日本人が少女像を直接見て,歴史と向かい合ってほしい」「日本政府は若い人たちに歴史問題をきちんと教えようという努力が不足している」(令和元年 8 月 2 日朝鮮日報)そして令和元年 11 月には,「表現の不自由展・その後」が韓国の主要美術賞の一つである「キム・ボクチン賞」を受賞しており,それを報じる令和元年 11 月 27日のハンギョレ新聞では「日本軍慰安婦を象徴する平和の少女像」とし,展示を再開したこと等を高く評価しています。このように,著しく政治的中立性に反する内容を,国内外に向けて,「日本の公共団体が肯定している」という,誤ったメッセージを発信してしまうことが問題なのです。

第3の問題作品は,中垣克久氏作の,「時代ときの肖像 ―絶滅危惧種 idiot JAPONICA円墳 ―」と題する作品です。「idiot JAPONICA 円墳」という名称は,「愚かな日本人の墓」という意味です。この作品は,かまくら状の造形物の天頂部に,旧日本軍の出征兵士のために寄せ書きした日の丸が貼り付けられ,その周囲に「憲法9条を守れ」という新聞記事や,靖國神社参拝の批判記事等が貼り付けられていました。そして,かまくらの底部には,アメリカ合衆国の星条旗が,お尻に敷かれるような状態で敷かれています。この作品をみた,多くの日本国民・名古屋市民は,先の戦争で戦死された方々への侮辱を含む趣旨の作品であると認識するものと考えられますし,アメリカ合衆国の方々が見れば,国旗・星条旗に対する侮辱である,といった非難を受ける可能性もあります。具体的な問題作品の紹介は,この程度にとどめますが,不自由展では,他にも,若者達が,円陣を組んで,「被爆最高」,「放射能最高」,「もうちょっと浴びたいよ」などと叫ぶ映像シーンを含むことで,東日本大震災の被災地・福島県にて,原発被害にあわれた方々の心を深く傷つける可能性の高い映像作品(「Chim↑Pom(チンポム)」作の「気合い 100 連発」)など,地方公共団体主催の公共事業の展示物として,著しく不適切な作品が展示されていたものと承知しております。そして,以上に紹介した問題作品は,いずれも,あろうことか,愛知県民の税金で設営されている,公共美術館である愛知芸術文化センターの会場を使って展示されていたのです。いうまでもないことですが,愛知芸文センターは,いわば「公共空間」であり,親子連れ,家族連れなど大勢の方々が鑑賞に来られますし,名古屋市立の小学生も,中学生も,あるいは高校生も,すべて美術に関心を持つ方々が訪れる公共施設なのです。公共事業として,名古屋市民の税金をも使って実施される展覧会の中で,前述の如く非常に問題のある不自由展の作品が展示されることについては,遺憾ながら,私には,事前には,全く知らされていませんでした。これに対し,大村・愛知県知事が如上の問題作品の存在,その反社会性,反倫理性について,どの程度把握していたのかは,私は,知りません。

しかしながら,大村・愛知県知事が自ら組織された検証委員会の報告書によれば,大村知事ご自身も,少なくとも等身大の,いわゆる従軍慰安婦の人形が展示されることまでは承知されていたことを認めております。私は,このこと自体,「地方公共団体の長」としてあるまじきことだと思っております。そもそも,このようなセンシティブな国際問題にかかわる政治的主張を含む作品は,「県民が親しみやすい祝祭的な展開を図る」とか,「多くの方々に親しまれるトリエンナーレ」という今回の国際芸術祭の理念に,根本的に反しておりますし,愛知県芸術文化センター条例に関連して規定されております「愛知県美術館ギャラリー展示室利用受付許可要領」では,「鑑賞者に著しく不快感を与えるなど,公安,衛生法規に触れるおそれのある作品」については,展示物として許可されないと伺っております。また,憲法15条2項は,「すべて公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない」と規定しており,地方公務員法36条では,地方公務員の政治的な中立性が厳格に求められております。私は,大村知事に対しては,憲法の「表現の自由」や,「事前検閲」以前の問題として,このような公務員の政治的中立性を求める法令の趣旨について,いったいどのように理解されているのか,一愛知県民として,本法廷で,大村知事御本人の口から明確に説明してもらいたい,と思っております。加えて,何故,大村知事は,実行委員会で議論しようとされなかったのか,大村知事の説明を求めます。

出征兵士を揶揄したかのような「時代ときの肖像 ―絶滅危惧種 idiot JAPONICA円墳 ―」の作者、中垣克久氏。

第3 不自由展の展開と,名古屋市長としての見解

私が,初めて不自由展の問題に気付いたのは,不自由展開催の2日目,展示会場に直接視察に出向いて,私自身の目で,展示会場内にて確認したときでした。非常に驚愕し,日本国民として,強い嫌悪感と,激しい怒りを覚えました。そして,名古屋市長として,愛知県当局にだまされたという気分になりました。当然のことですが,私の理解では,日本人の心を深いところで傷つける不自由展の作品の展示は,そのこと自体が「芸術」「美術」に名を借りた「ハラスメント」にほかならず,個人的には,「犯罪的な暴挙」だと思っております。ですから,先に紹介したような「ハラスメント」に当たる作品の展示予定について,原告実行委員会事務局から予め知らされていれば,私としては,大村・愛知県知事と協議の上で,不自由展自体を断固中止させるか,名古屋市として,国際芸術祭への参加を見合わせる方向で検討したことは申すまでもありません。不自由展のような「ハラスメント」に当たる作品や,歴史的事実に反し,一方的に著しく偏った政治的主張を含む作品を,公共施設で,公共主催で,公金を使って展示することは,憲法や地方公務員法等の諸法令が規定する公務員の政治的中立性に明らかに反しておりますし,名古屋市の補助金交付要綱が定める「政治的意図のないもの」という交付条件にも反しております。ちなみに,昭和天皇の肖像画をバーナーで燃やして,その灰を靴で踏みつけるといった映像については,芸術監督の津田大介氏が,実行委員会の関係者らにひたすら隠し,いわば「スキャンダル」を狙って展示されたものであったことを後で知りました。その証拠となる動画映像は,この裁判でも証拠として提出してあると報告を受けており,不自由展の著しく偏った政治的・反社会的性格をよく示しておりますので,この法廷の場でも,具体的に紹介させていただきたいと思います。

津田監督は,愛知県の検証委員会の報告書によりますと,「キュレーション経験のない芸術監督」で,本職は「ジャーナリストであり,アートの専門家ではなかった。」と認定されております。そして,津田監督は,あいちトリエンナーレ2019の開催前,この芸術祭の企画アドバイザーであった東浩紀(あずまひろき)氏(後に辞任。)との,ネット映像での対談で,次のとおり述べておりました。

すなわち,津田監督は,「公立美術館で撤去されたものを,『表現の不自由展』という展覧会を持ってくる体(てい)にして全部展示してやろうというそういう企画で。おそらくみんな全然気づいてないけど,これが一番やばい企画なんですよ。おそらく,政治的に。」と公言した上で,東(あずま)氏からの,「やっぱり…,天皇が燃えたりしてるんですか?」と問いかけに対し,含み笑いを浮かべました。そして,東氏からの「えーっ!? こんな令和でめでたい時に?」との反応に対しては,「令和の今だからこそ,違った意味を感じ取れるとも思うんです。」と回答し,さらに,東氏からの「人々は新しい元号ですごく前向きな気持ちになってるときに,税金でそういう…やるのはどうなんですかねえ?」との疑問提起に対して,「二代前じゃん。二代前になると人々の記憶も,二代前だし,歴史上の人物かな,みたいな。そういう捉え方もね。」などと極めて軽薄・不謹慎な態度で,ふざけた発言をしていたのです。

このことからも,不自由展全体が,非常に不真面目で軽薄な企画であったことが強く示唆されるものと思いますが,ここで是非とも確認させていただきたいことは,津田監督が,昭和天皇の肖像画をバーナーで燃やして,その灰を靴で踏みつけるといった映像作品を「主催者に黙って」,「主催者に隠して展示させる」といった意図を持っていたことは,厳然たる事実だ,ということであります。このような津田監督の行為は,「補助金詐欺に類するもの」で,その軽薄さとともに,社会的に厳しく糾弾されるべき不正だと考えますし,名古屋市の補助金交付要綱の文言によれば,「偽りその他不正な手段により補助金の交付を受けたとき」(要綱第16条(3)[乙第3号証])に当たるものと思われます。なお、不自由展の展示作品のリストについて、本市が初めて原告から情報提供を受けたのは、開幕直前の令和元年7月22日,「展示予定作品一覧」と題するリストの交付を受けたときでした。

ところが,その一覧リストには,天皇の肖像写真がバーナーで焼かれる場面を撮した図版資料が載せられていませんでしたし、その映像を含む「遠近を抱えて Part Ⅱ」もリストから外されていました。また,この作品は,「新作」でしたが,その旨の表示もありませんでした(注:下掲「展示予定作品一覧」で,赤枠で囲った「今回追加展示」欄に◎印が付されていない。)。以上のとおり,私は名古屋市長として,日本国民の社会常識に照らしても,先に紹介しました不自由展の如上の問題作品は,公共事業として極めて不適切なものであり,愛知県民・名古屋市民の税金を使って公的美術館で展示することは,それ自体が不相当であり,その展示は中止されて当然だと理解しました。もちろん,大村・

愛知県知事も,私のこのような理解に当然同調してもらえるものと信じ込んでおりました。そのように思ったからこそ,私は,即座に,大村知事に厳重抗議し,不自由展の中止を検討するよう申し入れたのです。ところが,大村知事がとった態度は,遺憾ながら,私の予想とは,180度違っておりました。すなわち,大村知事は,脅迫を含む抗議が殺到したことで,自ら独断で,不自由展を中止させておきながら.,記者会見等では,私が大村知事に対し是正措置を求めたことが,驚いたことに,実質的には憲法が禁止する「検閲」に当たり,憲法21条の保障する「表現の自由」を侵害する違憲行為だ,などと一方的・断定的に公言され,その旨をマスコミ各社に報道させました。しかしながら,そもそも大村知事が「表現の自由」をもちだすのであれば,たとえガソリンテロを想起させるような脅迫を受けても,愛知県警に出動要請し,断固とした態度で,「表現の自由」をまもるべきであって,安易に不自由展を中止するのは,明らかに矛盾しております。もとより,大村知事のような憲法解釈が誤っていることは,大村知事ご自身が,不自由展の作品が「契約違反」であることを自認されていることからも明らかです。

具体的に説明しますと,大村・愛知県知事は,自ら出演されたテレビ番組の中で,不自由展の作品が,原告実行委員会と,不自由展実行委員会との業務委託契約に違反して提供された作品であることを認めていました。この裁判でも,被告側から証拠(乙第8号証)として提出されております,「“表現の不自由展”混乱の真相」というフジテレビのテレビ番組ですが,この中で,大村知事は,不自由展での展示作品について,「口を尖らせ」,「契約反」だと訴えております。実は,大村知事は,原告代表者として,不自由展実行委員会との間で,業務委託契約を締結しておりまして,この契約書(第1条7項)では,大村知事が「出品作品の展示が不適当となったと判断したときは,出品作品の展示を中止することができるものとする」と明記されております。ですから,大村知事が,不自由展の展示作品が「契約違反」の作品だというのであれば,大村知事は,原告実行委員会の会長として,不自由展実行委員会との契約条項に基づいて,展示物から排除することが,民法上の債権(権利)として,認められておりました。

したがって,大村知事としては,ご自身が「契約違反」と認める作品については,その展示を,契約条項に基づいて中止すべきであって,「契約違反」の作品の展示を継続させることが,「憲法の表現の自由」として保障される,などという解釈は,明らかに誤っています。ところが,大村知事は,私が,共同主催者にして,名古屋市長として,不自由展の中止を求めた行為が,『典型的な事前検閲』にあたるだの,「憲法違反の疑いが濃厚だ」などと,痛烈に批判されました。「表現の自由」は,もちろん,非常に重要な憲法上の人権だと承知しております。しかしながら,日本国民,特に愛知県民・名古屋市民の多くの心を傷つけるようなハラスメント作品を,不自由展の実質的な主催者である愛知県,及び名古屋市が,愛知県民税,名古屋市税などの公金を使って,公共主催で,公立美術館にて展示させることが,地方公共団体の義務などでは絶対にありえません。先にも述べましたとおり,不自由展実行委員会との契約上でも,契約目的に反する作品展示の中止が,主催者側に民法上の権利として認められているところでありまして,憲法で保障された人権としての「表現の自由」の問題ではありえません。

私も,司法試験を何度か受けた経験があります。家業もあり,商学部出身で,働きながら,おもに夜学にて,勉強しながらの受験生活でしたが,司法試験の短答式には4回合格しております。もちろん,憲法も,司法試験の受験科目ですから,得意科目として勉強しました。ですから,私自身,「検閲」とは,どのようなものであるか,あるいは,憲法21条で保障される「表現の自由」も無制限のものではなく,「公共の福祉」の制約を受ける,表現の自由の優越的地位,二重の基準論などという基本な法理論については,当然承知しております。

自分の作品の表現の中で,政治的な「主張」をされたい方は,自費で,あるいは,私的な空間・SNS等で,自由に表現・発信すればいいことです。人々が不快に思い,嫌悪感を抱く作品について,公共機関に対し,公共主催の芸術祭で,公金を使って公立美術館で展示させよ,といった便益を要求する権限など誰にもありません。「表現の自由」は,自由権であって,社会権ではないのです。

第4 不自由展に関する根本問題を理解するために ―マスコミ報道の実情―

ところが,新聞・テレビ等,マスメディア各社は,遺憾ながら,こぞって,大村知事の誤った憲法解釈や,大村知事の,私の中止要求に関する行動について『憲法違反の疑い濃厚と思う』などという批判的な見解に何の疑問ももたず,そのまま真に受けて報道したばかりか,事実関係を著しく歪曲して報道しました。

具体的には,マスコミ各社は,冒頭で申しあげたとおり,第1に,私が最も問題視した「公金の使い途」の問題,法律的には,民意に反する公金支出を避けるべき財政民主主義の問題こそが,本件の本質的な問題であるにもかかわらず,この問題が憲法上の「表現の自由」にすり替えられてしまいました。そして,第2に,不自由展の展示作品の問題対象として,天皇陛下の肖像写真をバーナーで燃やして,その灰を靴で踏みつける映像を含む,あの忌まわしい「ハラスメント」作品については,一切報道されませんでした。すなわち,マスコミ各社は,昭和天皇の写真をバーナーで執拗に燃やす「ハラスメント」映像の存在という,不自由展の核心部分について隠蔽したか,もしくは,そのような映像が存在しないものと欺されていたのか,もっぱら「従軍慰安婦像」をかたどった少女像だけに問題対象を集中させ,この問題を憲法の「表現の自由」の問題にすりかえたわけです。特に,不自由展の問題を大きく取り上げ,不自由展をめぐる事実関係の報道を著しく歪曲させ,本質的な問題のすり替えを図った「代表格」は,遺憾ながら,不自由展の主催者側で深くかかわってきた中日新聞と朝日新聞の二社であったといわざるを得ません。そして,名古屋市長である私に対し,いわれなき中傷記事を掲載し,名古屋市民,あるいは愛知県等に重大な誤解を与えたのも,この二社であったといわざるを得ません。私は,不自由展の問題に関しては,私自身あるいは名古屋市政そのものの名誉が著しく傷つけられた,と理解しておりまして,報道各社が「不自由展の公共事業としての適格性・反社会性」の問題から目を逸らし続けるといった,従前の報道姿勢のままでは,本件裁判に関しても,「公正な報道」を期待できず,憲法が保障する「公開裁判の原則」が骨抜きにされないか,と懸念しております。そこで,本件裁判に係る論点との関係でも,名古屋市民に著しい誤解を与えたと思われる上記二社の偏向報道に対する,名古屋市としての見解について述べておくことが,本件裁判の根底にある根本問題を「裁判所に十分ご理解していただく」上でも重要であると考えますので,以下で,私の見解を申し述べます。

1.中日新聞

愛知県内で,断トツでシェア率が高く,販売部数からみても,最も広く読まれている地元紙は,周知のとおり中日新聞です。しかも,中日新聞社は,複数のテレビ局とも資本的に関係がありますので,中日新聞社は,世論に影響を及ぼす度合いも最も大きい報道機関であることは申すまでもありません。そして,中日新聞社の社長は,原告実行委員会の運営会議の委員ですから,不自由展に関しましても,主催者として深くかかわっております。実際,中日新聞社は,不自由展の開催日(8月1日)の前日(7月31日)の朝刊から「『消された』芸術・自由問う」と題して,いわゆる従軍慰安婦像をかたどった作品の写真をも一緒に載せた,不自由展の紹介記事を掲載しておりました。そして,不自由展の開催前後から,激しい抗議が殺到し,開催後わずか3日目にして,原告会長の大村知事が,その独断で不自由展中止に至るや,あたかも,私が市長として抗議して,表現の自由を侵害したかのように報道し,印象操作を行いました。

具体的に申しますと,8月5日の夕刊では,「『市長発言は違憲疑い』不自由展中止で大村知事」と題して,大村知事の定例会見の内容をとりあげ,「企画展の『平和の少女像』などの撤去を求めている名古屋市の河村たかし市長について『公権力を行使する市長の立場で表現の内容の是非に言及しており,検閲と取られても仕方ない。一連の発言は憲法違反の疑いが極めて濃厚』と批判した。」と報じております。

そして,中日新聞は,「『不自由展』中止」「社会の自由への脅迫だ」と題する令和元年8月7日の社説の中では,「河村たかし名古屋市長は,『日本国民の心を踏みにじる』として少女像などの撤去を要請」,「これは,日本ペンクラブが声明で「憲法が禁じる『検閲』にもつながる」と厳しく批判したように,明らかな政治による圧力だ。」などと報じました。このように,中日新聞は,不自由展について,一方で,天皇陛下の肖像写真をバーナーで燃やして,その灰を踏みつける作品等,明白な「ハラスメント」に当たる作品については言及を避ける一方で,地方公共団体の主催者の立場から,公共事業として著しく不適当だという民意に添った私の言動については,「憲法が禁じる『検閲』にもつながる」,「明らかな政治による圧力だ。」と一方的・断定的な報道をしました。どうして,中日新聞社は,天皇陛下に関する作品ついては報道せず,また,大村知事の方こそが,運営会議も開かずに,表現を一方的に中止した張本人であることを報じなかったのでしょうか。はっきりと申し上げて,不自由展の主催者である原告実行委員会のメンバーでもある中日新聞が,不自由展の展示作品の多く,特に「ハラスメント」映像である,天皇陛下の肖像写真を燃やす映像の存在を隠し続けてきたわけは,このような作品が,愛知県・名古屋市が主催する芸術祭で展示された作品であることをビジュアルに新聞報道すること自体が,愛知県及び名古屋市にとっては重大な汚名であること,そして,当該作品の報道自体がはばかられるレベルの悪質かつ下劣な作品であることを,中日新聞ご自身もよく自覚されていたからではないでしょうか。このような「日本人の心を踏みにじる」ような映像作品について,包み隠さず,「ビジュアルに」報道した上で,中日新聞が,これを県民税・市民税などの公金を使って保護すべきである,これが日本国憲法の「表現の自由」で保護される対象だなどという論陣をはれば,「社会の公器」である新聞社として致命的であったからではないでしょうか。

中日新聞社の社説独自の「憲法論」によれば,県民・市民に著しく不快な思いをさせてでも,公金を使って保護するのが憲法の「表現の自由」だということになりますが,はっきりと申しあげて,憲法理論として誤っております。先ほども申しあげたとおり,大村知事は,自ら「契約違反だ」と公言した作品について,その展示を認めてしまえば,大村知事ご自身がその契約に違反する事態を追認することになることを自覚の上で,それを展示させているという厳然たる事実,この「自己欺瞞に満ちた」,「自己矛盾」以外の何物でもない,本質的な問題についても,きちんと報道していただきたいものです。

2.朝日新聞

朝日新聞は,愛知県内でも二番目にシェア率が高く,また,販売部数も多い新聞社で,日本の知識人・文化人の多くを読者層に含み,戦後日本の民主主義を言論の面で支えてきた,日本社会で有数の有力な新聞メディアであることは当然のことながら承知しております。そして,朝日新聞も,本裁判で問題となっている不自由展に深くかかわっておりました。不自由展の企画者である,津田芸術監督は,なんと!伝統的に日本の言論界をリードしてきた「朝日新聞社論壇委員」に抜擢されており,現在も就任している人物ですし,朝日新聞社の名古屋本社代表は,原告実行委員会の中でも,本件事業に関し,大村会長の相談に応じるといった「参与」に抜擢されておりました。そして,不自由展が公共事業として不適切であり,大村・愛知県知事に即時中止の方向で検討するよう申し入れた私の行動について,もっとも激しく批判する論陣をはられたのは,やはり何と言っても朝日新聞でした。具体例をあげますと,朝日新聞は,「あいち企画展 中止招いた社会の病理」と題した令和元年8月6日の社説において,「政治家による露骨な介入が加わった。河村たかし市長が,『日本国民の心を踏みにじる』などと展示の中止を求め,関係者に謝罪を迫ったのだ。」,「憲法が表現の自由を保障している趣旨を理解しない行為で,到底正当化できない。」などと論陣を張り,私の制止行動を強く批判するとともに,朝日新聞の編集委員である高橋純子氏に至っては,その記事のなかで,私のことを「彼はきしめんのように薄い男だった」とまでこき下ろしました(令和元年8月21日・朝日新聞「多事奏論」)。

しかしながら,朝日新聞でも,昭和天皇の肖像写真をバーナーで執拗に燃やして,靴で踏みつける,といった反社会的・反倫理的な映像が,不自由展で,「公金を使って」展示されていたことについては,巧妙に言及が避けられていました。このような,朝日新聞の社説では,不自由展が,公共主催の芸術祭であり,愛知県民・名古屋市民の税金が使われる公共事業であるといった問題意識が欠けているものと思われます。また,そもそもいわゆる従軍慰安婦の問題につきましても,これが国際的な社会問題になった元凶は,朝日新聞社第三者委員会(座長:中込秀樹元名古屋高等裁判所長官)が明らかにしたとおり,朝日新聞社の「誤報」,すなわち,いわゆる吉田(清治)証言を盲信した朝日新聞社が,旧日本軍が「慰安婦を強制連行」したという虚偽の事実を「誤報」し続けたことではなかったでしょうか。朝日新聞が第三者委員会の報告書で「事実を伝え国民の知る権利に奉仕するという報道機関としての役割や一般読者の存在という視点を欠落させた」ものと厳しく糾弾されたことは,周知の事実です。韓国の方々が,いわゆる従軍慰安婦の強制連行が真実であると思い込み,日本政府の見解に反し,世界各地で,いわゆる従軍慰安婦像を日本大使館・日本領事館前に設置し,在外日本人を初め多くの日本人に不快な思いをさせている,という現実とその原因について,朝日新聞はどのようにお考えなのでしょうか。朝日新聞自らが原因となった国際的欺罔行為を,反省もまったくなく,表現の自由として,もう一度,トリエンナーレで繰り返すつもりだったのでしょうか。不自由展で被害にあった「真の被害者」は,一時的に展示中止に追い込まれた,不自由展の作家らではありません。私は,国際芸術祭での美術鑑賞を楽しみにして,

公共の県立美術館である愛知芸術文化センターを訪れたところ,驚くべき不愉快な作品を見せつけられた観覧者こそが「真の被害者」であり,心を傷つけられた愛知県・名古屋市の住民こそが「真の被害者」だと思います。その上,このような政治的に著しく偏った主張を含む作品の展示については,当然のことながら,そのような正当な歴史的理解を欠いた,偏った政治的主張には同調できず,そと全く正反対の思想・信条をもつ愛知県・名古屋市の住民の方々も多数みえます。このような反対意見をお持ちの愛知県民・名古屋市民の方々からみれば,― 私自身もそのような愛知県民にして名古屋市民ですが ―,自らが負担した税金を,自らが著しく不快に思った公共事業に使われた上,「公共主催」としての「公共の信用」を一方的にハイジャックされたとなれば,二重の被害を被ったということになります。裁判所におかれては,不自由展の展示物で,真に,不快な思いをしたのは誰か,不快な思いをした名古屋市民に,「ハラスメント」に当たる反社会的な作品の展示を公金で助成させることに問題はないのか,という問題意識をもって,本件裁判の審理に臨んでいただきたいと切に願うものです。

第5 結語

本裁判は,既に冒頭で申し述べましたとおり,遺憾ながら,新型コロナウイルスが未だ鎮静化しているとはいえない状況のもとで,実質的には,大村・愛知県知事の独断で提起されたものとはいえ,実質的には「愛知県VS(対)名古屋市」という不幸な対立構造をもっております。また,本件に限らず,昨今の司法・裁判をめぐるマスコミ報道の実情をみますと,自社の意見にそわない判決がくだされると,裁判所に対し敵対的・攻撃的な態度を露骨に示す報道も目につきます。

この点,公金と公立美術館を使った,「公共主催」「公共事業として」の不自由展において,観覧者にとっての「ハラスメント」となる展示物について,日本国憲法の「表現の自由」が妥当するか否か,に関する大村知事の誤った憲法理解の当否,あるいは,「検閲」概念をめぐる大村知事の明らかに誤った憲法理解の当否,公共事業としての適合性に関する問題意識の欠如等の諸問題が,本裁判の背景・原因となった問題の核心部分ですが,私としては,既に指摘しましたとおり,マスコミ各社においては,様々なバイアスがかかった論評が行われ,正確な事実を前提とした公正な議論がなされていない憾みがあるものと考えております。「公共主催」のハイジャックは,取り返しがつきません。もはや別の会場で,との反論をすることは不可能となります。そこで,最後に,本件裁判に関して,マスコミ各社において,裁判所にとっても公正かつ正確な報道がなされ,公正な裁判がなされるために不可欠な社会環境の整備・配慮がなされることを願って,「不自由展の問題の本質」を鋭く指摘されたと思われる日本の代表的な知識人のご見解,すなわち大阪大学名誉教授にして劇作家である山崎正和先生の論考,具体的には, 「あいちトリエンナーレ 表現と主張履き違え」と題する讀賣新聞に掲載された記事(2019/12/02)ですが,その中の一節を紹介して,私の意見陳述を終えたいと思います。

すなわち,「企画者」,ここで「企画者」とは津田芸術監督のことを指すものと思われますが,「企画者は『表現』と『主張』という言葉を取り違えたのではないか,…そもそも企画者は,言論人として,自己表現と自己主張の違いについて一度でも真剣に考えたことがあったのか。二つは似ているように見えるものの,本質はむしろ正反対であることに気づかなかったのだろうか。」「表現は本来的に謙虚な営みであって,最初から表現相手に対する敬意を前提にしている。人は相手の好意を得ようとして顔かたちや仕草を整えるわけだが,その相手が自分の尊敬する人でなければ努力の意味がない。身嗜(みだしなみ)は見てほしい人を選んでするものであって,現に猫を相手に身繕う人はいない。これに対して,主張は一種の自己拡張の行為であって,根本的に相手に影響を与えて変えようとする動機に基づいている。敵意からであれ好意からであれ,相手を啓蒙・教育して,自分の考えに従わせようとする。早い話が,主張なら猫を相手にしてもできるのであって,それが飼い猫の躾(しつけ)というものだろう。」「明らかに今般の『表現の不自由展』の展示品は,背後にイデオロギーを背負った宣伝手段の典型だろう。」「もし,あのいわゆる従軍慰安婦を象徴する少女像が芸術上の作品として制作され,それとして評価されていたなら,その純造形的な側面について,これまで何らかの批評があってしかるべきだろう。彫刻としての色と形,素材の選択や技法について,少なくとも企画者による評価が語られてほしいところだが,それが全くない。これでは作品は宣伝『芸術』としてすら,正当に遇されたとはいえないのではないか。」「昭和天皇の肖像を用いた作品を燃やす映像についても…,残念ながら,この企画は表現といえないばかりか,主張の展示としても適格性を欠くといわざるをえない。とくにこの催しが公的行政機関である愛知県と名古屋市が中心となって主催された点を考えると,事態は将来のために深刻に反省されなければならないだろう。」

以上で,私の意見陳述を終わります。

河村市長は裁判後の会見でも中間報告にあった

国公立・アートの専門家がアートの観点から決定した内容であれば、政治的な色彩があったとしても、公立美術館で、あるいは公金を使って行うことは認められる(キュレーションの自律性の尊重)。・これは、国公立大学の講義で、学問的な観点からである限り、政府の批判をすることに全く問題がないことと同じである

という県側の見解を疑問視していた。大学の授業の場合、曲がりなりにも異なる見解・主張が存在できる。しかしあのような一方的な展示は全く異論を挟む余地がない。逆を言えば特定の政治主張をするために「芸術」を隠れ蓑にすることを推奨するかのようだ。

新聞各紙は報じていないが河村市長はメディアのあり方についても疑問を呈した。確かに陳述書にある通り、一方的に不自由展を中止したのは大村知事だがなぜか河村市長の「検閲」「表現規制」かのような印象操作をした。しかも奇妙なことに普段、自民党を嫌悪しなおかつ反体制を訴える人々が愛知県知事という権力者でなおかつ自民党出身、自民党会派と関係が深い大村市長を評価し、支持している。本来は表現の自由とは何か? という論争をすべきだが安直な左右のロジックと右翼による表現侵害という形に仕立て上げた。

ならばあいちトリエンナーレに関わった関係者は堂々と説明、反論すべき。だが津田大介氏に至っては渡した名刺を投げつけたほど。関係者が全員、「言いっぱなし、やりっぱなし」の状況にある。

高須氏と共同で会見に立った河村市長。

これまで当サイトでは「津田大介・あいちトリエンナーレに「愛」も「知」もなかった」としてシリーズで報じてきた。しかしこの問題の本質は「左翼、ポリコレに支配されたアート界」という問題が顕在化したにすぎない。

それからもっと残念なのは本来、これだけ大きな規模と莫大な予算を投じた芸術祭だから広く作家、アーティストを集めるべきだった。しかしただ単に津田大介と一部若手クリエーターの内輪ウケだとしたら…。

美大関係者はこんな感想を漏らす。

「あいちトリエンナーレ豊田会場の展示物のレベルの低さはアート界で逆に話題になっているんですよ」

つまり本来は到底、展示レベルに達していない作家までがあいちトリエンナーレの舞台に立てたのはなぜか。今後は今、アート界に起きているトラブルを含めていわば「芸術利権」といったものを検証していく。

セミの声が大きいので申し訳ありません。
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三品純

三品純 について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

【愛知県・名古屋市】あいトリ負担金 請求訴訟で 河村市長は 何を語ったか?」への2件のフィードバック

  1. アバターうましかの一つ覚え

    美容整形の大先生がお出ましな時点で、「あ、こりゃ相手にせんとこ(;´・ω・)」ってなりました
    保守保守煩い人受けはいいんでしょうけど
    差別人権煩い人たちとのマッチポンプなのかな?

    返信
    1. アバターうましかの一つ覚え 

      大村知事や津田大介の汚いやり方に本当に腹が立ちます。

      不自由展に出展された陳列物は、とてもアートと呼べる代物ではなく、
      真面目にアートをされている方に失礼です。

      返信

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