1月26日、大阪地裁で大阪府と大阪市が大阪朝鮮学園に補助金を交付しなかったことについて、大阪朝鮮学園が市と府を訴えた裁判の判決があった。
当日は朝鮮学園の教職員や生徒が多数判決の傍聴に訪れており、傍聴券は抽選となった。残念ながら筆者は外れてしまった。
裁判所の門前で朝鮮学園側の弁護士が勝訴・敗訴を報告すると言うので、多くの報道陣が待ち構えていた。そして、しばらくして掲げられたのは写真の通り「不当判決」の文字。つまり、朝鮮学園側の敗訴ということである。
「棄却」なのか「却下」なのかと聞いてみると、「棄却」ということで、朝鮮学園側の完膚無きまでの敗訴だった。詳細は各メディアが報じているとおりである。
ただ、昨今の情勢からのこの結果は予想されていたことで、敗訴が報告された瞬間、朝鮮学園側に悲痛な雰囲気はなかった。
朝鮮高校の生徒が、裁判の結果よりも、あっけらかんとして「不当判決って、判決が出てからその場で書いたのかな」「そんなわけないだろ」「そう言えば、裏に何か書いてあったね」と雑談していたのが印象的だった。自分の子供の頃に置き換えてみれば想像できるが、所詮は大人の間の争いである。
中之島の公会堂で判決の報告会が開かれるということなので、行ってみた。弁護士が到着するまでの間、今回の判決について傍聴者の感想が語られていた。その内容を聞く限り、ことごとく行政側の主張が認められ、さらに朝鮮学校と北朝鮮の関係についても踏み込んだ内容で、予想以上の大敗であったことがうかがえた。
しかし、しばらくすると「宮部さんですか?」と2人に声をかけられた。1人はコリアNGOセンターの理事を名乗り、もう1人は名乗らなかった。
「どういう目的でここに来られたんですか?」
と聞かれたので、以前から朝鮮学園の補助金の取材をしており、この問題については是々非々で見ている旨を答えたが、要は示現舎のサイトが気に入らないということらしい。
「あなたのサイトは上から目線で、マジョリティの立場から書かれていると感じる」
と言うので、「あれ、私はマジョリティだったんですか。どういう根拠でそう思われましたか?」と逆に問うと、「もしマイノリティなら、その立場を明らかにした上で情報を発信したらどうか」という返事。会話が噛み合わないのである。
どうも彼らの世界観では、人間にはマジョリティのグループとマイノリティのグループがあり、マイノリティは虐げられる立場で、マジョリティとマイノリティには思考の違いがあるようだ。
「部落だって3団体に分かれているし、在日コリアンだって建国学園や金剛学園もあるんだし、アイヌだって砂澤さんみたいな人もいるし、そういう考えこそ偏見ではないですか?」
と言い返したが聞き入れられず。2人は「自分たちは主催者とは関係ない」と言いつつも、結局、筆者は会場から追い出されることになった。
この件は、種を明かせば次の通りとのことである。
今日の昼、解放同盟の友人から連絡が。「大阪補助金裁判」に関する判決が出る大阪地方裁判所に、鳥取ループが来ているみたいだから注意してほしいと。体調が悪かったこともあって、傍聴に行けてなかったからびっくりした。裁判所に来ていると思う知人に、片っ端から電話した。悔しかったし、怖かった。
— 李信恵 이(리)신혜 (@rinda0818) 2017年1月26日
筆者は李信恵氏とは何の接点もないので一体何が悔しいのか怖いのか分からないが、何の根拠もない噂や印象で他人を排除することこそ、まさに差別であり排外主義ではなかろうか。
これがほんとの「連帯する市民たち」だね!
この李なにがしといい、ご注進の好きな清見久夫氏といい、鳥取ループを怖がる人って、
当事者じゃない人ばっかりですよね。
そのくせ、よく知ろうともしないんだもんな。人間はマジョリティとマイノリティの二分法らしいから、
是々非々なんて複雑すぎてわかんないんだろうな。
追い出したのは、朝鮮学園や朝鮮総連とも関係ない人らなので、その通り、当事者ではありません。
連帯と言っても、セクショナリズムだと思います。あくまで気の合う仲間内の連帯。
少しでも考え方の違う人を内部から排除して、ますます先鋭化していると感じます。
結局は正論を投げられて反論できないという失態を来場者に見られたくないということでしょうね。
客観的に意見を交わすことが出来ず感情のみで自分たちの意見を通そうとしてる人たちのとって鳥取ループさんは恐怖の対象なのかも知れません。
単に裁判の結果の報告を聞きたかっただけで、私は何も発言するつもりはなかったんですけどね。
もし朝鮮学園が裁判に勝っていたら追い出されなかったと思います。
裁判に負けたことを私が嘲笑しに来たと勝手に思ったのではないですか。
そういう面白い会話は、今度から録音してyoutubeで公開してください。
面白い会話に限って、録音し忘れていることが多いのです。すみません。
多数派と少数派に分けたがる人って、それを理論支柱に据えざるを得ないくらい理論構成が貧弱ということか。
そもそも、絶対的少数派と絶対的多数派なるものは存在しない。多数派と少数派の区別は相対的なのにね。反権力と権力の側に分ける論法もしかり。
ベッタベタな朝田理論で、それが一部の在日コリアンの活動家にも浸透しているんだなと感じました。
理論というよりは、単に言いがかりの手段に過ぎないのですが、未だに強力な論法なんでしょうね。
なんだかんだ言って、反差別運動の現場では「被差別者」の肩書は強いですよ。灘本昌久さんが
「部落解放運動をやる上では、部落出身であるというお墨付きは非常に有効でして、運動の中では非常に発言権を認められることになった」
「私が今まで、部落解放運動の中で自由に発言し、部落解放同盟に対してはっきり批判的なことを言っても、それほど重大事には至らなかったが、それは「部落民」の看板があったことにもおおいに助けられていたと思う。これが一般の人で同じような発言をしていたら、たちどころに「差別発言」として、問題視され、糾弾されていたに違いない。部落外からのまっとうな批判に対して、 部落解放運動が「差別者」のレッテルを貼って、口を封じ、職を奪ったり社会的に抹殺した例は枚挙にいとまがないほどである」
と言っている通りです。砂澤陣さんだって、アイヌ出身でなければ単なるレイシスト扱いだったことでしょう。
この際、解放同盟を相手にする場合は、みんな本籍を適当な部落に移して、部落民を名乗ればよいのではないでしょうかね。
部落民かどうかで人格を判断するような人に対抗するには、一番有効な手段のように思います。
宮部さんの本籍地は下味野でしょうから、宮部さんも宮武外骨に倣い「我は穢多なり」と叫んで活動すべきではないでしょうか。一ツ橋小学校事件や狭山同盟休校における解放同盟の論理によると、部落民による身元暴きは正当な行為とのことですから、宮部さんが部落民宣言をすると「『全國部落調査』の公表はアウティングである」との主張は成り立たなくなってしまうわけですよ。
裁判で私の戸籍謄本を提出しているので、私の場合はその辺りの判断は解放同盟か裁判所にやってもらおうと思います。とことん追求しますよ。
「部落の人は怖い」と言っただけで糾弾対象になるのに、ループさんに対して怖いと感じて、それをツイッターで世界に発信している事に何も矛盾を感じないのでしょうか?この女性は。
あまりそういった知識はないと思います。在日ですし。
色々な事柄アを見るにつけ童話と朝鮮人の親和性が異常に高く感じるのですが、これはどうしてなんでしょうか?
勉強不足ですみません。。。
実際は親和性はあまりないと思います。むしろ対立していたと言われていますし。
一部の人が、「同じ被差別民」という独自の理論で連携しているだけです。
それも本当に一部の人で、大体お決まりのメンバーですよ。
そうなんですね 勉強になります
ありがとうございました