「町内在住の生徒が在籍していないのに岐南町と笠松町から岐阜朝鮮初中級学校(岐阜市柳津町下佐波6)へ補助金が支給されるのはおかしい」。地元住民からの情報提供を受け調査すると指摘通り、両町は計2万円の補助金を支給していた。補助金の根拠は学園側からの要求を受け、平成元年に行われた羽島郡旧四町の協議が慣行化したようだ。
全国で唯一の「羽島郡二町教育委員会」

今回の舞台は岐阜市に隣接する羽島郡岐南町、それから競馬ファンならご存知であろう「笠松競馬場」の所在地、笠松町。以前の羽島郡は岐南町、笠松町、柳津町、川島町の4町で構成されたが、平成の大合併で川島町は2004年に各務原市に、また柳津町は2006年に岐阜市に編入した。
そして現在の羽島郡は岐南町と笠松町。本稿の記事のポイントにもなる特徴だが、両町の教育委員会が全国的でも唯一の合同組織「羽島郡二町教育委員会」によって運営されてきた。こんな経緯がある。
1969年(昭和44年)、羽島郡内の岐南町、笠松町、旧柳津町、旧川島町の会議で合同の教育委員会設置が決定した。
そして1976年(昭和51年)に羽島郡四町教育委員会が発足。その後、合併によって旧川島町、旧柳津町が脱退し、2006年(平成18年)に現在の二町教育委員会となった。
岐阜朝鮮学園の所在地は羽島郡の旧柳津町だったため、羽島郡二町教育委員会とも関係が続いたと思われる。
一方、岐阜朝鮮学園は1966年(昭和41年)に「学校法人」として認可され、2011年に創立50年を迎えた。現在の在校生は11人(昨年度)。これが「学校」と言えるのか悩ましいところである。
役所の感覚なら年にわずか2万円だろうが…
取材協力者の地元住民はこう疑問を投げかける。
「岐南町、笠松町で合計2万円は、高額とは言えません。役所の感覚なら〝年にわずか2万円〟ということでしょう。しかし実態が検証されずに継続していることがおかしいと思います」
筆者も二町教育委員会に関係書類を情報公開請求してみたところ、事前情報通り毎年2万円が支給されていたことが確認できた。公開資料を以下に掲載するが、注目してほしいのはやはり「対象人数0名」という部分だ。
地元住民の指摘した通り両町に在住する生徒がいないのに、補助金が支給されている。町内に岐阜朝鮮初中級学校の生徒が在住するならばまだ成立するが、0名というのは補助金の趣旨と合致しないのではないか。




また同校から提出された決算書も入手したので検証してみよう。収入は2022年度が2139万5818円、2023年度が1623万7477円、2024年度が1678万2338円で推移してきた。そして収入に占める寄付金の多さが朝鮮学校の性質を物語る。
支出をみると私学共済へ納付する掛け金が計上されていた。他地域だと過去には大阪朝鮮学園が2億円超の社会保険料を滞納したことも発覚したが、岐阜朝鮮学園は納付を続けているようだ。
ともかく財政的には決して良好ではない状態である。現状、全校11人の在校生は結局のところ朝鮮学園は在日朝鮮人たちのニーズを満たしていない結果だ。〝ウリハッキョ(我が学校)〟と言いつつもはや朝鮮学校は無用というのが在日社会の本音ではないだろうか。



また驚いたことは県市町村から100万円以上の補助金が支給されていること。2022年度で145万2500円、2023年度で118万7800円、2024年度で114万8650円だ。
補助金全体ならば2万円は微々たるもの。ということは他の自治体がより多く補助金を支給しているのだろう。通学者がいないのに支給する自治体は他にもあるかもしれない。
次いで例年、学園側は「補助事業完了報告書」を教育委員会に提出する。同報告書の「補助事業の目的」という項目をご覧頂きたい。

「学校の学齢児童生徒の負担軽減」との記載があるが、岐南町・笠松町いずれも町内に朝鮮学園の児童生徒は0人。ということは「負担軽減」という目的はそもそも成立していない。しかも両町の外にある学校へ公金を垂れ流すという不可解な構図だ。これでは岐南町・笠松町による朝鮮学園への寄付ではないか。
ではなぜ町内の通学者がゼロなのに二町は補助金を出し続けるのだろうか。
平成元年の郡町会の「協議」が根拠
補助金についての根拠も情報公開したところある書面を入手した。旧四町時代、1989年(平成元年)1月20日に岐阜朝鮮初中級学校からの補助金申請に際して、郡町会の協議事項である。これが根拠となって現在でも補助金が継続されているのだ。
なおこの時代、北朝鮮や朝鮮学校を取り巻く環境は現在と大きく異なる。1988年3月26日、参議院予算委員会で梶山静六国家公安委員長(当時)が「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と答弁。拉致事件の北朝鮮関与について初めて国が認めた時だ。
一般的には拉致問題などほとんど知られておらず、今のように拉致やミサイル発射を理由に朝鮮学校への補助金を停止するなど考えられなかっただろう。それ以前に「北朝鮮」と口に出すことも憚られた時代である。
いわゆる「朝高」は韓国系学校の生徒ですら恐れて、朝鮮総連の活動家もまだ勢いがあった時代だ。民族衣装を着込んだ生徒を連れた活動家が「ドン」とテーブルを叩いて行政と交渉する。そんな光景が思い浮かぶ。運動体のいわゆる〝勝ち取った〟というものである。

外部スタッフ「理事長は普段、ここにはいません」


補助金に関するいきさつを同校に取材しようと岐阜朝鮮初中級学校を訪問した。グランドで遊んでいた子供たちが始業で教室の中に入っていく。
玄関に入ってみると展示物が設置されていた。掲示板には「在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)結成70周年の祝賀メッセージ」とある。朝鮮学校の無償化を求める裁判では「学校と朝鮮総連は無関係」などと主張していた。展示物を見る限り朝鮮総連と「無関係」という説明は不自然である。
職員室をノックしてみたが教職員らしき人はいない。すると外部スタッフを名乗る女性がやってきた。
「普段、ここには理事長はいません。補助金について聞きたい? 一応、伝えてはおきますが何か問題がありますか。私たちも税金を払っているし、無償化が適用されないのはおかしいと思いますよ」
外部スタッフが応対するほど、学校職員は少ないということだろう。
また二町教育委員会にも事情を尋ねてみたが「補助金の根拠は旧四町の協議です」と繰り返すのみだ。町内の通学者がゼロなのに検証なしで支給を続けることについては「そういう意見があったことは報告させて頂きます」とした。
また、同校を訪問した際に理事長どころか教職員すらいなかった点について、同教委に説明したが――。
「昨年、教育委員会が視察に行った時は理事長さん、先生たちもおみえでした」
これには呆れた。補助金を出す行政が訪問するのだからその日ぐらいは学校側が体裁を整えるのは当然だ。
要するに平成元年の協議事項が教育委員会内で申し送り事項的に守られてきたのだろう。仮に補助金を廃止ともなれば波風が立つのは明らかだ。そのため補助金が慣行化して、自動的に支払われてきたというのが実態ではないか。
また例年、県下の自治体から総額100万円超の補助金が支給されてきたことも見逃せない。羽島郡のように何らかの協議の結果なのか、要求闘争があったのか朝鮮学校史を検証する上で深堀する価値がありそうだ。