岩手県庁 職員向け ガイドライン「苦情が出たら理解を求めろ」の 裏に 解放同盟系「IMADR」の影

カテゴリー: LGBT, 地方, 市民団体 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By Jun mishina

4月3日6月2日の両日に配信した記事、岩手県庁の『多様な性のあり方を尊重するための職員ガイドライン』が炎上中だ。昨日18日、地元の河北新報が報じた。周回遅れで“特定当事者”の声のみを取り上げた寄り添い記事なのはお馴染みのこと。問題はガイドラインの監修者が部落解放同盟系の「IMADR」関係者であることだ。

政界、マスコミ、活動家は LGBT狂騒曲! 

あるイシューの関心が高まるとそこに殺到するのが野党、マスコミ、左翼活動家の日常風景。目下のところLGBT法が注目ワードで例によって「他の問題でも見た顔」がSNS上で罵声を繰り返す。その様は月光仮面風に「ハヤテのように現れて散々荒らして去っていく」といった行動パターンだが、同法が成立した以上、また別の“映えるイシュー ”を求めていくだろう。

興味深いのはLGBT法と同時期に提出された「防衛装備品生産基盤強化法」がほぼ無風状態で成立したことだ。2015年、平和安全法制をめぐり野党や一部マスコミが「戦争法案」と通称を作り反対したのは記憶に新しい。防衛装備品生産基盤強化法についても反対派活動家が「軍需産業強化法案」「軍需工場国有化法」「武器輸出支援法」といった具合に異名を作って抗議活動を展開したが、左派層に響かなかったようだ。

「反戦」「平和」と左派にとって最大のお題目があるにも関わらずなぜ「防衛装備品生産基盤強化法」は波風が立たなかったのか。それは批判対象へマウントポジションを取りやすい“ 人権要素”がないからだ。その点、LGBT法をめぐる言説は「女性スペース」というだけでトランスヘイターというレッテルを貼りやすい。「防衛装備品生産基盤強化法」よりも「LGBT法」の方が“大きな声 ”(感情的な批判)向きでSNSと親和性がある。となると特にTwitterはマスコミ報道の草刈り場。必然的にマスコミの眼はLGBTへ。

こうしてLGBT狂騒曲は虚しく木霊する。

岩手県庁 ガイドラインを 河北新報が報じた!

こんな世相の中でとあるメディアの“ 寄り添い記事”に注目してみた。それが昨日、河北新報が報じた「性的少数者への理解深める指針に波紋、岩手県が表現変更 トイレ利用の表記巡り」である。

本誌では「岩手県・性的少数者のトイレ利用への対応 指針に波紋  表現変更」という見出しがついた。可能ならば冒頭に紹介した弊社記事もご参考に。事情を知らない人のために補足をしておこう。

性的少数者のトイレ利用について岩手県庁が職員に向けガイドラインを作成した。利用者の性自認に基づいてトイレ利用をした場合、仮に苦情があった場合に「苦情を出された方に理解を求めましょう」としていた。つまり明らかに悪意ある「自称女性」が女子トイレを利用しても「容認」ということなのか。女性が不安に思うのも当然だ。その後、「お互いに理解し配慮し合いましょう」とやんわりした表現に修正された。

河北新報記事はこの修正について作成に関わった大学教員の主張に沿いつつも、県担当者の証言として

「トイレ利用についての対応は、どう記しても批判が出てくる難しい問題」と苦悩もにじませる。

と締めくくり県への一定の配慮を見せた。

個人的に注目したのは河北新報記事が大きな特集の割に署名時記事ではないこと。

朝日新聞、毎日新聞あたりならば“ 何人たりともアタシ以外に書かせねえ”とばかり名うての活動家記者による署名記事だが、河北新報の場合は無記名。トイレ利用に不安を覚える女性からの抗議を恐れたかもしれない。朝日や毎日の全国紙記者にありがちな“世の善悪はワタシが決める ”といったマスコミ的超然主義と異なりそこはかとなく地方紙の緩さも伝わる。

加えて「SNS性暴力への不安訴えも」という見出しも特徴的だ。全国紙の場合、「温暖化も、不景気も、世の中全てネットの責任」が通常の論調である。しかし河北新報の記事についてはSNSの意見を拾いつつネット害悪論というよりはあくまで一つの「声」に留めた。

事情通氏「寄り添い“ 空回り”記事」

ここ最近、東北地方で広まるLGBT施策。東北に限ったことではないがとにかく「拙速」に見える。岩手県庁のガイドラインもエキセントリックな一部の学者・活動家の主張をそのまま取り入れたことが原因だ。

もちろん行政や活動家に疑問を持つ当事者、事情通もいる。河北新報記事に疑問を持った地元当事者も「寄り添い“ 空回り”記事(笑)」と失笑した。

確かに河北新報の記事は“置きに入った(守りに入った) ”印象が強い。県担当者について「苦悩もにじませる」としたが、著者の眼には河北側の苦悩を感じてしまった。関係人物へのコメントも慎重にまとめられた印象だ。

ガイドラインが修正されたことについて弘前大学男女共同参画推進室・山下梓助教は「マイノリティーの実情が理解されていない。県職員には少数側に立った権利保障が求められる。再考すべきだ」と反論していた。

またジェンダー論専攻の岩手大学・海妻径子副学長の見解として「踏み込んだ対応の表現にすればするほど、批判は起こる。行政として『マイノリティーの立場に立つ』と腹をくくることが必要ではないか」「不安の声に対しては、性暴力を許さないというメッセージを併せて発信することが重要だ」という意見を紹介している。

少数派、マイノリティー…。行政や人権活動家の「バズワード」が並ぶ。ではこの場合、マイノリティーや少数派は誰で、どう定義しているのか疑問だ。マイノリティーの定義が曖昧なのに「行政として立場に立つ」「マイノリティーの実情」という主張はさらに混乱するだけではないか。

そもそもガイドラインの文言だけを読めば自称女性が女子トイレに入った際も「耐えよ、許せよ」としか読めない。また何をもって「理解」「配慮」なのか説明もないし、はっきり言えばできないだろう。現に県担当者自体がガイドラインにある「理解」「配慮」の意味を説明できていなかった。

山下助教に監修の意図や「理解」の意味を聞こうと弘前大学男女共同参画推進室、また山下氏が主宰する岩手レインボー・ネットワークを通じ質問状を送ったが今のところ回答はない。

もっともこの分野の学者らが一つ一つの言葉の意味を考えて主張しているとは思えない。主張がエキセントリックなほど行政やマスコミは“ ありがたや”と奉じるだけだ。

岩手県庁のガイドラインもそうした風潮で生まれた産物にすぎない。

人権問題の学者、活動家には平伏する行政が今後、山下助教をどうなだめるのか見物だ。しかも同氏は部落解放同盟の国際活動部隊である国際NGO国際反差別運動IMADRの活動歴もある人物。その背景は単なるLGBT活動家ではないのだ。今後、岩手県庁が配慮しなければならないのはマイノリティーではなく、山下梓助教周辺になるだろう。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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