1935年の記録では、現在の南伊豆町石井に13戸の部落があったという。職業は農業と草履作りと狩猟。
菊池山哉は『長吏と特殊部落』で、下田と松崎を結ぶ街道中で南中村の北の果て。9戸で全て農家。地名は石井洞。付近に賀茂神社がある。長岡洞に地勢が似るが街道が縦断していると記録している。
とりあえず、ここではないかと思う場所を訪れてみた。「洞」というのは谷のどん詰りのこと。石井自体が谷のどん詰りのような場所にあるので、そこに行ってみたわけである。
茅葺の屋根のトタンで覆った、廃屋がある。
この辺りが石井洞かと思ったが、地図をよく見ると、さらに谷が分かれてどん詰まりになっている場所がある。
人に会ったので、菊池山哉が書いている賀茂神社について聞いてみたのだが、川を渡ったところに神社はあるが、それが賀茂神社かどうかは分からないという。
そこで、これはもう単刀直入に「差別された村を探している」と言ったら、関東や静岡でカワタを意味する「カーボー」という言葉が飛び出したのである。
「カーボーという人たちが住んでる、今はそういうこと言わないけどな」
この交差点から山側に進むと、カーボーがいたという「洞」があるそうだ。そして、そこにも名前は分からないが神社があるという。
途中で道が分かれている。とりあえず右に進んでみた。
道の舗装が途切れており、茂みになっていたの引き返した。
確かに、かつては動物の処理をしていたという。谷なので水も得やすいだろうし、周囲から隔てられた場所なので、作業がやりやすそうだ。
分かれ道を別の方向に進んでみた。
急斜面になっている道を少し登って見下ろしたところ。
地図に書かれているので分かってはいたが、墓地が現れた。
名字の傾向からすると、あきらかに部落の墓地ではない。後で調べて分かったが、戒名に「上座」という文字がある。これは静岡県特有の戒名の付け方であり、おそらく曹洞宗であろう。
どうしても神社の場所が分からないので、思い切ってピンポンしてみた。住民によれば、どうも先程の分かれ道の先の茂みを進んだところにあるようだ。そこで、再び引き返した。
茂みを進むと、途中に古い墓石を見つけた。よく見ると「妙法」の文字が見える。これは日蓮宗信徒のものであろう。静岡県の部落と言えば、鉄壁に日蓮宗であることが分かっている。やはり、ここが菊池山哉の記録にある部落であると確信した。
そして、ついに神社を発見した。何神社であるか確認する。
見ての通り。これは稲荷神社である。
静岡県の部落の多くは、関東の部落と同じく白山神社を祀っていたが、日蓮宗の信徒になる際に、三十番神や八幡神等に氏神を変えたと言われる。菊池山哉は、伊豆の部落の氏神は八幡神と稲荷神で、部落に限って言えば白山神社は1つもないと書いている。
残念ながら、住民も詳しい歴史は分からないということであるが、白山神社であった可能性はある。
東伊豆町ではなく、南伊豆町ではないですか?
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すみません、間違えていたので訂正しました。
古い墓石に多かった苗字は何ですか?
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各県神社庁に行けば神社の合祀記録などあるようですよ
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栗須さんが既に行ってるね。
https://twitter.com/kurisu_1882/status/1557700597502992384?t=pM7Cu_FLlYsV2xcPTQUgnA&s=19
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私も気付いて驚きました
何者なんでしょう、あの人
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