現在はいなべ市になっている旧大安町に北條という部落があった。戦前の記録では75戸、商業や農業を主としていた。今昔マップで調べると、明治期に確かに梅戸北條という村があり、現在のいなべ市大安町梅戸の神明社付近が該当している。
この部落に興味を持ったきっかけは、昨年東海地方で大きなニュースとなった桑員河川漁協組合長による恐喝事件である。同組合長が、桑名市近辺の工事に介入し、漁業権を理由に因縁をつけ、関連会社を下請けに参入させたり金銭を要求したりしていたものである。その組合長の名前として川﨑幸治という名前が報道されている。
最寄り駅は三岐鉄道梅戸井駅。そこから北へ向かい、水路の向こう側の地域だ。
近辺を歩いていると、このような立て札がいくつかある。自治会管理の土地ということである。かつての梅戸北條は「梅戸北」という呼称になっている。
敷地内の「はばたけ」という石碑。
その日付は平成14年、つまりは同和事業の最後の年だ。文字通り、その都市にはばたいたのだろう。
これが明治時代の地図にもある神明神社。
前出の川﨑幸治の所属する会社が川﨑建設であると報道されている。 川﨑建設はこの部落内にある。ただ、見る限りこの部落は基本的に同和事業を終わらせた部落である。津市相生町の場合のように、行政が日頃から特別な施策をしていたとは考えにくい。
これは軍人さんの石碑。川崎ではなく「三崎」である。
そして、印象的だったのがこの建物。崩れかかっているが、昔の商店か工場のような作りである。
よく見ると、これは太鼓店だ。貴重な建物であることは間違いないが、あとどれだけ持つだろうか。ちなみに、こちらも三崎。
これも廃墟のようだが、つるが生い茂って訳がわからないことになっている。
後ろに回ると、意外にも原型を保っていた。
さらに北に進むと、別のニコイチが見えてきた。
これはおそらく昭和50年前後のニコイチ。早くから同和事業が行われてきたことが分かる。
ただ、土地が虫食い状に空いており、片割れだけになっているニコイチも見える。おそらく建物が古くなりすぎて、退去者が出れば取り壊して更地にするか別の建物を建てているのだろう。
保育園および教育集会所の駐車場であることが書かれているが、周囲にそのような施設は見えない。おそらくは、先程のニコイチの片割れの近くに保育園と教育集会所があったが、既に取り壊されたのだろう。
この近くにも自治会管理の土地がある。
そして気になったのは、先程の駐車場の背後にある墓地にあるこの建物。これは火葬場だ。たまたま中から人が出てきたので聞いてみると、すでに火葬場としては使われていないそうだ。
実は先程の墓地は部落の墓地ではない。部落の墓地は近くにあるのだが、日が暮れかかってきており、時間切れになってしまった。
魚屋(漁協)は公共工事にからんで協力金を求めるのは当たり前。土建屋も協力金を払って当たり前の商慣習は相変わらず続いています。大阪湾は関空一期工事から魚屋が大騒ぎしてぼろ儲けしてました。最初の頃は知りませんが、今では持ちつ持たれつで上手くやっているのではないでしょうか。大騒ぎを抑えられる、抑えられるように見せる、抑えられたように見せるというのが役所・魚屋・土建屋の腐った関係のような気がします。
魚屋利権に同和が絡んできたというのはあまり聞いたことがありません。ただ、大阪湾の港湾工事に同和らしき泉州の産廃処理業者が介入してきたことはありました。魚屋は動じることなくその産廃業者を追い返していましたから頼もしく思った記憶があります。しかし、当時その産廃業者が同和関係者かどうかは最後まで確証は得られませんでした。同和だとしても棲み分けというのがあるのかも知れません。これは一関西地方の話なので、他の地域のことは分かりません。魚屋利権と同和利権が同一あるいは友好関係にあるという印象は今のところありません。
ありがとうございます。木曽三川周辺の漁協は全て同和なんて話も聞いたのですが、ちょっと眉唾です。
現在はいなべ市北勢町に店舗があるみたいです。
創業は江戸時代の文久年間 (1861年~1864年) 、歴史のあるお店ですね。
新しい店舗をストリートビューで見ると、梅戸の廃墟と同じ形をしているのが面白かったです。
あの独特の形には意味があるのでしょうね。
一女性を「特殊な市民」/いなべ市「部落差別」と市議らが批判
日沖靖いなべ市長が三日の定例記者会見で、平成七年に日沖市長運転の
軽トラックに娘がはねられ、すり傷を負ったと主張している母親(32)=いなべ市
大安町梅戸=について「普通の市民じゃない。特殊な市民です」 と発言、
同市議や市民から「部落差別の発言だ」と批判の声が出ている。
日沖市長は会見で、これまでの自らに対する取材・報道をめぐる記者との
やりとりの中で、この交通事故問題を持ち出し、母子の証言を基にして問題を
報じた昨年九月十一日付の新聞報道を「事実じゃない」などと批判。
事故を主張する母親を指して
「被害者がどういう方か、あなたはご存じですか。その被害者の背景が…」
「もっとよく調べてください」などと自説を展開し、記者が
「どういう方とは、どういうことですか」「普通の市民でしょう。変わんないよ」
と発言の真意をただすと、日沖市長は「普通の市民じゃない。特殊な市民です」
と語気を強めた。記者が「特殊な市民ってどういう意味だ」とただすと、
「人となりを理解して」「背景をもっと理解して」などと述べ、母親の「人となり」「背景」に
何か問題があるかのような発言を繰り返した。
>>明治期に確かに梅戸北條という村があり
村名は梅戸井村、梅戸北條は大字。
後半のニコイチに面してる大きい道は、地元民は基本通りません。
昔、この道を走ってる車に猫を投げつけ、愛猫を殺したとして、イチャモンをつけて来たそうです。
この地域に来る人は気をつけてください。
その手の噂は桑名市でも聞きましたが、元ネタはどこなんでしょうね
同和地区なんて全く気にせずに子供時代からいました。
地区の中に親戚もありましたし・・・