村上市の三面川沿いの部落は、滝の前、泉町、小川、下新保にある。分かったのは、この地域では「ワタリ」と言ったほうが通りがいい。一定の年齢の人にとっては、この言葉はそこそこ知られているようなのである。
今回訪れたのは、下新保だ。手がかりは、融和事業関係の資料や研究書にしばしば「小田」という名字が出てくることと、下新保でも川に近い側にあるということだ。
とりあえずは、下新保公会堂にやってきた。ここから探訪を開始する。
住宅地図だと、この辺りに小田姓が集中するが、ここではないと思った。戦前の記録だと14戸とされているが、この辺りの戸数は、小田姓だけでもそれをはるかに超えている。
新潟を訪れるのは2回目なので、新潟の部落の特徴は、少しは分かるようになってきているつもりだ。
この庚申塔のあたりで、詳しそうな人から話を聞くことができた。
確かに「ワタリ」と呼ばれる人たちはいたと昔の人から聞かされていたという。同じ地域にいながら、ワタリの人たちだけは、様々な行事を別に行っており、自治会も別だった。率直にいえば、普通の人達よりも1つ下に見られていたという。
その場所は、この大儀寺の裏手。
正確には裏手より少し離れたところなのだそうだ。
かつては小屋のような家に住み、鮎漁に使う網作りなど、農業以外の仕事で生計を立てていた。確かに昔は十数戸あったが、出ていく人が多く、今は10戸に満たないだろうということ。
最近でも空き家が増えている一方、残っている人は立派な家に住んでいるそうである。今では自治会も一緒になっている。
住宅地の中に、ご覧のような廃墟が現れた。
そして、草ぼうぼうの空き地。新潟の他の部落でもこのような光景を見たことがある。
小屋のような廃墟がある一方、立派な家もある。条件に合うのはここで間違いないだろう。
小田という名字については、やはりこの辺り全般に多い名字と認識されていて、ワタリ特有の名字があるというわけではないそうである。
ワタリという言葉については、やはりあまり大っぴらに言ってはいけない言葉というような認識だ。
ワタリの具体的な意味や、語源を知る人はいなかったが、「殿様の時代に平民より1つ下の身分の人たちをワタリと言った」ということなのである。
関西の穢多や、関東の「カーボ」については、身分が低いというよりは、「一般とは違った仕事をしてきた異質な人たち」というニュアンスで語られる事が多いが、この辺りでワタリについて聞くと、口を揃えて「下に見ていた」と語られるところが興味深かった。
宮部氏のこの動画の初めだですけど、いくら熱いからといって、日陰である道路の交通違反の左側歩行は辞めたほうが良いですよ。それも録画しながら、、車も通ってるし危ないですよ。
また、いくら空き家といはいえ、不法侵入は感心しません。了解を得たほうがよろしいかと。。。。
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お前は何様だよ
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法を守る普通の人
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