学術・研究:部落探訪(296)埼玉県 鶴ヶ島市 上広谷

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

小堤、下広谷、中小坂、そして今回の上広谷と狭い範囲に4つの部落が存在する。このことも興味深いが、ここには3つの市の境がある。小堤と下広谷は川越市、中子坂は坂戸市、そして上広谷は鶴ヶ島市に属する。

上広谷には鶴ヶ島市唯一の部落があり、昭和初期の戸数は21と記録されている。

菊池山哉の『長吏と特殊部落』では次のとおり記録されている。

この曲輪を、精進場と言ふ。下広谷の曲輪にも、精進場と言ふ池があつた。之は罪人を処断する時に、最後の念仏を唱へさせ、また血穢其他浄むる地で、多く刑場を有する曲輪に、其名が残る。

国土地理院の地図を見ると、「北精進」「南精進」の小字がある。この地名が精進場に由来するとしたら、やはり処刑場と関係があったようだ。

目印は、東武鉄道のこの踏切。踏切周辺に部落があった。すぐ近くに鶴ヶ島駅があり、都市化しているが、場所としては鶴ヶ島市の東の端である。

菊池山哉の記録では、鳥居のない白山神社があるとされる。今でも、鳥居のない小さな神社がある。神社の名前が書かれていないが、これが白山神社で間違いないだろう。

簡素な神社だが、荒れてはおらず、今でも清掃等がされている。

地図では、踏切の南西に墓地の記号があるので、そちらへ歩いてみた。

途中で気になったのがこの看板。中小阪の部落の石材屋である。近隣の部落同士で交流があるというのはしばしば見られる現象だが、これは墓地の近くの石材屋が、たまたま中小坂にあったということではないかと思う。

そして、ここが墓地。一目でこれが部落の墓地だと確信した。宗派は時宗である。

もともと墓地は別の場所にあったようで、移転記念碑がある。名字を見ると、殆どは木口か芳野である。この名字はさきほどの踏切の周囲に分布している。

伝統的な宗教に加え、宗教色のない墓や、新宗教と考えられる墓が混じっているのも、旧入間郡の他の部落と共通している。

今度は踏切の反対側に行ってみた。

自治会館があるが、もちろん、同和だの部落だの人権だのといった掲示物は見当たらない。ここは未指定地区で間違いないだろう。

木口、芳野という家がどうなっているか住宅地図と照合してみると、それほど大きくない戸建ての家があり、隣が集合住宅になっているといるものが多い。

菊池山哉の記録では農家だったとされ、過去の航空写真でも比較的土地の広い農家が見えるので、都市化するにつれて余った土地に集合住宅を建てたのであろう。

既に融和し、完全解放された部落である。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(296)埼玉県 鶴ヶ島市 上広谷」への2件のフィードバック

  1. 匿名

    いつも拝読させていただいております。
    埼玉県の場合、関東では珍しく関西地方(特に奈良)
    と近似した地名や前方後円墳などの古墳群が存在
    したりし、所謂、近世賎民系とは別種の被差別部落が
    散在している印象がありますが、近頃、不動産人気
    急上昇中の東京都と隣接した「和光市」はどうなので
    しょうか?同和問題などとは無縁なサラリーマン家庭が
    有楽町線、副都心線、東武東上線の複数線が利用できる
    街として、どう考えても実質価値以上の高値の物件を
    多額の住宅ローンを借り入れて購入しているようですが、所用で何度か和光市に立ち寄った時、違和感を感じました。是非レポートを期待致しております。

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