今回から香川県編を開始する。以前から四国に来て欲しいというリクエストが多く、四国4県のどれにするか迷ったが、未探訪で、興味深い部落の多い香川県を選んだ。
最初に訪れたのは三豊市にある東岡という部落である。住所で言えば豊中町上高野。戦前は46戸、商業が主な産業と記録されている。
さすがに神奈川県から自動車で香川県は遠かった。8時間くらいかかる。1回の給油で来られるギリギリの距離なので、これ以上遠くなると、さすがに飛行機を使いたい。
三豊市は香川県でも西の方にあるのだが、あえてここを選んだのは、来年が関東大震災100周年になるので、そのことに縁があるこの地をどうしても訪れたかったのだ。
この集会所は「福岡集会所」。近くには福岡団地があるし、ここでは福岡という名称が使われている。しかし、昔の地図には確かに東岡と記載されている。名前が変わったということだろう。
今や探訪する度に見かけないことの方が稀な太陽光発電所。その所在地表記も豊中町上高野字福岡になっていた。
集会所の横にあるのが猿田彦神社。
関東大震災から5日後の1923年9月6日、ここから遠く離れた千葉県東葛飾郡福田村三ツ堀(現在の野田市三ツ堀)を通りがかった15名の薬の行商団が地元住民に暴行され、妊婦や幼児を含む9人が死亡した。これが福田村事件である。その行商団が出発したのがこの部落である。
事件を報じた東京日日新聞では、被害者として民生、西山、藤澤という名字が出てくる。しかし、神社の石碑に刻まれた名字は谷生、西川、藤原、藤川等。
民生なる名字は日本姓氏語源辞典になく、全く架空の名字であろう。そして他の名字も神社の石碑には見当たらない。だが、新聞に記載された名字は実在の名字と似通っている。これは東京日日新聞が誤記したのではなく、何らかの理由で意図的に被害者名を微妙に違った名前にしたと考えるのが自然だろう。
石碑には浜田という名字も多いが、差別から逃れるために、多数の家が谷生から浜田に改姓したという記録がある。当時の新聞に実名が記載されたなかったのは、そういった背景があったのかも知れない。
しかし、今を生きる我々にとっては、そのような過去はもはや歴史上の出来事であろう。過去の教訓としてのみ、記憶に留めるべきである。
少し歩いたところに墓地を見つけた。浄土真宗である。
その墓地の裏手にある廃墟…というより、これは家事で焼けた後に放置された家のようだ。
曲輪クエストシリーズに期待されていることなので、近辺の廃墟の写真をいくつか撮影しておいたが、ここは特に廃墟が多いというわけでもない。
家の作りを見ると、どことなく商家っぽく見えた。大正時代のことなので、鉄道があったはずだし、さすがに全て歩きということはなかったと思うが、今よりも旅行は大変だったはずだ。
関東大震災当時、朝鮮人が略奪や放火をしたという流言飛語が飛び交い、自警団が朝鮮人を殺傷する事件が相次いでいた。福田村事件で行商団が襲われたのは、千葉で讃岐弁が通じず、朝鮮人と間違われたからであろうと言われる。
人は知らないことを最も恐れる。何事も隠すことをせず、見て、体験して、知ることが重要であろう。
部落の中にはニコイチがいくつかある。これらは昭和50年代に建てられたものだ。ニコイチ住宅は、その形を見れば作られた時期がおおよそ分かるものだが、香川県ではそれは難しいと感じた。とにかく形が特徴的なのである。
香川県の同和住宅には必ず太陽熱温水器があるという前評判だったが、確かにその通りだ。
崖の下にも太陽熱温水器付きのニコイチがある。これは屋根があるので、もっと新しい時代のものだということだけは分かる。おそらく平成に入ってから建設されたものだろう。
長屋形式の公営住宅にも太陽熱温水器がある。そして、臭突があるので、ここは下水が通ってないようである。
掲示物に部落だ同和だ人権だといったものはない。
散策していると、気になるものを見つけた。
墓地のようなものがあるが、いずれの墓も小さい。水子の墓ではないかと思うがどうだろう?
一応、ここは指定同和地区なので、隣保館がある。しかし、それは少し離れたところにある。
これが上高野文化センター。見ての通り人権文化のセンターである。
同和関係の施設はこの辺りに集中している。
動画では「タニフ」と発音されていますが「タニショウ」が正しいのではないでしょうか? 人によっては「タニオ」と読ませているようですが。
タニショウだよな。
何がタニフなんだよw意味わかんね?
新聞の民生も単なる聞き間違えが誤記だろ。
西山も藤澤も香川県の被差別地区に居る。
香川県までドライブとは凄い、信じられない!宮部氏のgutsに脱帽!
お疲れさまでした。
一昨年のバイクお遍路の際に、
この近くにある早朝しか営業していない「上杉食品」という有名なうどん屋に立ち寄ったので、
記事を読んでて懐かしかったです。
今回の部落訪問は早朝とのことなので、ついでに立ち寄れてたらよかったのですが。
動画を見ていて疑問に思ったのは、
同和住宅にはソーラーシステムを設置されるという優遇っぷりに、
地元民から「差別だ!」という声は上がらないのでしょうか?
さすがに設置業者も同和企業ってことはないと思いますが。
地元が香川の与北町に近いところです。
昭和24年生まれの父に、部落について聞いたところ、差別の話はあまり聞かないが、太陽熱温水器つきの家で光熱費が抑えられる上に、安い賃料で住めるから逆差別だと言われていた、ということでした。
名無しの示現舎ファンさんのご推察通りで、思わずコメント致しました。
「水子の墓」か、とある小さな墓石は、恐らく埋め墓ではないでしょうか。三豊市一帯は両墓制が残っています。
宮部はワケわからん決め付けが多い。
頭がおかしいな。
丸っこい僧侶の墓のようなのが見えたし水子の墓らば戒名を見たらわかるよな。
どうやら漢字は不得意のようだ。
苗字でいうと80年後の慰霊祭に遺族で来たのは西方、藤澤、大前。
西方、大前は当地の人だが藤澤姓はやはり三木町鹿伏の太鼓屋を営むくらいの頭筋のようだ。
行商に同行させて世間を知ってもらおうと思ったか。
彼のプライドの高さからの口論が発端で虐殺されたか。
当時の上高野部落は2軒を除き全て行商していたようだ。
再着目されたきっかけの薬行商のリーダーの合田亀助の姓は観音寺市に多い。
塩田高丸とか柳生とか、訳のわからない輩が湧いてきましたね
確かに資料や調査している人が合田亀助と言っていますが、何故か慰霊碑に記載されているのは谷生亀助29歳。
実際には養子入りしていたのかな?
合田姓だが猿田彦神社周辺には居ないが上高野に四件くらい分散して住んでいる。
観音寺市の同和地区の浄土真宗の僧侶の姓が合田。
観音寺市の被差別部落の明正大権現の寄進者の名前に谷生姓が有る。
観音寺市の面白いのは白山神社。
寄進者に同和地区の住居民の姓がずらり。
しかしその姓は商店街にも多いからかなりの自力更生に成功した被差別部落だろう。
宮部次郎さんの次男坊はこの記事に刺激され香川県に行ったのか?
https://www.asahi.com/articles/ASQ2R011QQ2BPTLC01M.html?iref=sp_rensai_short_1444_article_1
反対意見はいいけど、もう少し品のある書き方でお願いしたい。
それにここに書くことか? というのも多い。
私としてはそういうのはいつも見てて不愉快なので削除はありがたいですよ。
あなたの、愉快、不愉快ですか。
では、これは私感が入るのでなんとでもなりませんか?
どなたかの
「宮部はワケわからん決めつけが多い、頭がおかしいな。」
は何故、削除しなかったなか疑問ですが、、この程度は許容範囲???
取り敢えず、丁寧な言葉で投稿すれば良いと言う事と理解します。
匿名の方で無く
宮部さんのご返答をお待ちしております。
お前が常に下手になってから書けの上から目線の頭がおかしい奴か。
何様のつもりだ?
日本語でお願いします
韓国人が無理して見なくてもいいからよ。
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