学術・研究:部落探訪(229) 岐阜県 岐阜市 黒野

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

岐阜県の部落と言えば養老の三神が有名だが、黒野もまた歴史ある部落である。昭和初期には戸数103の部落があったと記録されている。

特筆すべきは、戦前に軍隊内の部落差別を昭和天皇に直訴するという、北原二等卒直訴事件を起こし、戦後には同和対策審議会答申の作成にも関わった北原泰作の出身地であるということだ。

黒野城跡前バス停前の薬師堂。

黒野と言えば黒野城址だが、ここは部落ではない。

西へと進み、商店街を北上する。

すると、竹藪が見える。この竹藪は、昔はもっと南の方、光順寺の辺りまで伸びており、それが部落と一般地区の境界になっていたという。おそらく、明治中期くらいまでのことである。

その竹藪があった場所は今は住宅地になっている。

竹藪の西側が部落。地名で言えば黒野、古市場、下鵜飼のそれぞれ一部が該当するか。

この黒野小学校、黒野児童館から南だ。

しかし、ここが部落であるとは風景を見るだけでは絶対に分からないであろう。

黒野にはもともと3つの名字があり、北岡、北原、北牧だった。この秋葉神社の石柱には北岡、そして北原という名字が見える。北原泰作の母親の旧姓が北岡。やはりここが北原泰作の出身地なのである。

しかし、昭和初期に改姓運動があり、ほとんどの住民は別の名字に変えたという。

この辺りがほぼ部落の中心だが、栄町とある。

ここが黒野会館、隣保館である。ほぼ公民館のように使われている。今回は閉まっていたが、前に訪れたときには、中に北原泰作の著書が揃っており、鍵のかかったロッカーの中になにやら貴重そうなものが見えた。

やはり隣保館には人権ポスターがある。

さらに部落内を探索。数は少ないがニコイチがあるというので行ってみた。

一角にわずか4軒だけのニコイチ住宅がある。もっと多数あったのがここだけ残ったのかと思ったが、昔からこの4軒だけのようだ。今は空き家になっているが、表札に「北原」とあったので、確かに地元住民のものだ。

グーグルストリートビューより
グーグルストリートビューより

なお、黒野には他に2軒の耐火住宅と…

グーグルストリートビューより

3軒のサンコイチがある。

そして、毛皮工場が残っている。もとは3軒の革細工職人から部落が始まったとされ、黒野の主要な産業の1つに皮革があることは戦前の記録にもある。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(229) 岐阜県 岐阜市 黒野」への5件のフィードバック

  1. 竹藪

    おそらく竹藪の話は『日本の路地を旅する』とかに出てきていたかと思い
    ますが、おそらくは黒野城に伴う土塁の痕跡でしょうね。
    1枚目の写真は東西方向に伸びていて、左端からは鍵型に折れて北に伸びて
    います。西木戸口あたりを固める土塁でしょう。2枚目は道路を挟んだ南側
    ですが、東西方向に低く短い土塁の痕跡が見られます。この辺りは城地と
    して端にあたるので、そもそも土塁が城の外とを区切っており、部落がどう
    のと言うより、城と一般地区を隔てています。地元の伝承として牽強付会
    られているのでしょう。

    返信
  2. 「本の紹介『日本の路地を旅する』より」抜粋

    岐阜では、北原泰作の甥であるN山さんを訪れる。ここでは、ほとんどが靴職人か
    皮なめしを生業としていた。N山さんの家ではコウモリ傘のすげかえと犬肉の行商
    をしていた。犬肉は「野獣肉」として販売していた。
    草履作りのO田さんの紹介で、三味線の皮張り職人のN野さんを訪ねる。「猫皮は
    中国で、犬はタイからの輸入だ」そうだ。N野さんの仕事は猫皮のなめしまでで、
    その後は三味線を組み立てる職人のもとへ送る。差別は「皮なめしは犬とか猫皮
    だから一番きついな。部落の中でも一番きつい」という。

    返信
  3. 957cayenne

    実際の黒野という住所よりは東側ですが、県道沿いに「やっぱりラーメン黒野」というお店があり、そこのもつ鍋と土手飯は超絶品です!是非お試しあれ。

    返信
  4. 鵜飼洋志

    初めまして宮部さん。自分も岐阜県養老や三神の辺りの部落で検索していてこの記事に辿り着きました。この記事の写真の中でニコイチ住宅とサンコイチ住宅の写真を見ていて、自分の今から30年前位大昔に住んでいた宮城県仙台市太白区富沢駅前の辺りにあったサンコイチのアパートを思い出しました。そこに住んでいた吉田大輔君という私の小学校時代のクラスメイトがいて、その子とは自分は普通に接していましたが、いま考えると部落出身の子だったのかなと考えます。その子は耳が丸く窄まって潰れた感じで、失礼を承知で言うと余り頭が良くない子だったと思います。自分や知り合いは内心この子の事を馬鹿にした心持ちで接していました。この子が現在どうなっているのか知る由もないですが、
    今から30数年前は土地の区画整理事業や地番変更もされる前で、宮部さんが解説したり訪問した場所が写真でドンピシャな「ザ・部落」な場所が全国各地に点々とあったんですよね。それを考えると、口先では幾らでも「イジメや差別のない街を作りましょう」みたいな事を市や県の広報が啓発してみても、人々の心の中までは永遠に変えられないんだな、という理解でいます。

    返信

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