伊賀市老川には戦前の記録では22戸の部落がある。山間部にあり、家が建てられる場所は限られており、世帯数が大幅に増えたとは考えられない。しかし、ここには隣保館と教育集会所がセットで存在する。
通常、隣保館は50世帯以上、教育集会所は30世帯以上の部落に作られるが、老川はその条件を満たしておらず、周囲にも他に大きな部落は見られない。
…とすると、そのからくりは何なのか気になるので、現地を訪れた。
ここが教育集会所。
隣に「老川下出集議所」と書かれた建物がある。その作りからすると、同時に作られたのだろう。そして、この場所は老川の中でも「下出」という地区であることが分かる。
教育集会所の中には解放新聞がある。伊賀では大体どこでもこんな感じだ。
地域住民によれば、ここは「上出」「中出」「下出」の3つの集落があり、下出が部落に該当する。そして、現在では20世帯にも満たないという。
下出には、確かに同和対策の形跡が見える。これは「城山改良住宅」。このような山間部に改良住宅を建てる必要があるのか疑問が多いが、山間部の改良住宅は滋賀県の同和地区でも目にしたことがある。
教育集会所の周辺は空き家が多い。
川の対岸にも空き家が目立つ。
一方で中出に該当する上流の方に行くと、大きな家が多くなってくる。
しかし、茅葺だった屋根を改修した民家が残っており、昭和の頃は本当に山村という風景だったと思われる。
隣保館である青山文化センターは明らかに中出に該当する場所にあり、部落内ではない。
突然現れた赤レンガの立派な建物。市役所の支所かと思ってしまった。
詳細を聞いてみようと思ったら追い出されてしまった。しかし、分かったのは「混住地区」という名目で下出だけでなく老川区全体を対象として隣保館が設置されたらしいということだ。いや、隣保館の規模からすると旧青山町全体を対象としたのではないかと思える。
確かに、ごく小さな部落があるだけでも、周囲も含めて同和地区指定してしまえば、大規模な「混住地区」となる。物は言い様だ。
最後に墓地を訪れてみた。
質素な建物だが、これは火葬場なのだそうだ。
山の斜面に作られた立派な墓地。全部で60区画ある。
1984年に作られたことを示す石碑があった。
梅高神社に行き忘れたのですね。
神社に行き忘れたということは、また来てねということと捉え、再取材されたら良いのではないでしょうか。
また違うものが見えてくると思います。
また三重に行くことあれば立ち寄るつもりです