学術・研究:部落探訪(194) 三重県津市高洲町

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By 啓発センター

津市高洲町の1930年代の地図を見ると、池と沼地と田んぼと少しの家があるだけだ。それが1950年代になると、伊勢湾台風の被災者向けの住宅が作られた。そして1980年代には、同和事業によるニコイチの市営住宅群ができた。

無論、1930年代に作られた全国部落調査には掲載されていない。戦後間もない頃には不法占拠のような形で様々な住民が住み着いていたという。つまり、ここは本来部落ではない。

相生町から海岸に向かって歩くと、ニコイチ住宅群が見えてくる。

航空写真で見ると、ニコイチは200軒くらいある。

団地形式の住宅もあるので、これを合わせたら300軒程度だろう。そして、国勢調査の結果によれば高洲町全体で約400世帯である。

相生町・愛宕町の戦前の世帯数が700世帯程度だったのだが、現在は400世帯程度になっている。減った分が高洲町に移住したとすると大体計算が合う。ただ、移住先は大井町もあるので、全体の世帯数は減っているかも知れない。

ニコイチに共産党の看板が。この辺りは、元来は共産党が強い地域だったようだ。

今でこそ市営住宅は一般公募されているが、一昔前は入居するには解放同盟の支部長の承認が必要で、入居者は10万円を支部長に支払っていたという。

しかし、今でもこの地域には利権が存在する。詳細は「【深層レポート】三重県津市の闇 相生町自治会長問題(2)」をお読みいただきたい。

ここは教育集会所。これは同和施設であり、ここが紛れもなく同和地区であることが分かる。

しかし、ここはもとは中河原の一部であった。これは「中河原海岸水難事故」の慰霊のために建てられた「海の守りの女神像」。

堤防を越えると砂浜がある。

ここはもともと部落でない場所を戦後に同和地区指定したという意味で、いわゆる「エセ同和地区」であると言える。

昔から部落だった場所から人が移動したのだからいいじゃないかと反論されるかも知れないが、同和対策事業は法律上属地主義だったはずで、今でも部落は属地的な概念で捉えられている。「部落民が移動した先も部落だ」といったルールはどこにも存在しない。

江戸時代にどこかの藩主が新田開発のために穢多を移住させて新たな部落を作った…という話ではなく、間違いなく現憲法下の政府のもとで行われたことである。これを当たり前だと思うのなら感覚が麻痺している。

これは保育園。

そしてこれは、高洲会館。これは同和対策とは別の集会所だ。津波タワーに登ってみたかったがやはり施錠されていた。

この「塔世寮」という建物、何かと思って調べたら警察の官舎だったようだ。現在はもう使われていない。

そして気になったのがこの「日本同和助成会本部」という建物。「日本」とつく割には全国規模の団体には見えないし、何を助成するのか不明である。しかも、防御力が高そうな外観をしている。

試しに看板の電話番号にかけてみたが、「現在使われていません」というアナウンスが流れるのみだった。

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学術・研究:部落探訪(194) 三重県津市高洲町」への2件のフィードバック

  1. サイモン

    いつも楽しく読ませて戴いています。
    数ヶ月前から地区wikiが見られなくなってしまっているのですが、
    何か閉鎖等された形でしょうか?
    よろしくお願い致します。

    返信

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