学術・研究:部落探訪(184) 東京都東村山市 久米川町4丁目 諏訪町1丁目

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東京都東村山市は故・志村けんの故郷として知られるが、そこにも部落があったことはあまり知られていない。東村山駅から北へ1キロくらいの場所に、現在の西武鉄道の線路をまたぐ形で、中ノ通という43戸の部落があった。

久米川町4丁目にある、この立派な白山神社から探訪を開始した。

社殿の中には御神体の鏡がある。

そして神社の傍らにあるのは…

牛頭天王像。これは東村山市の有形民俗文化財に指定されている。

石碑に刻まれた氏子の名前を見ると、小田井・東原・北久保・栗原といった名字があることが分かる。

神社の傍らには墓地がある。さきほどの名字に加えて木下という名字が見られる。

多摩の部落はことごとく時宗であるというが、墓を見る限りは少なくとも現在は時宗ではないように見えるがどうだろう?

白山神社の横の真新しい建物は、社務所を兼ねた自治会館だろう。

この周辺は道の付き方が独特である。西武鉄道に沿って街道がある。そこから線路に向かって何本も道があるが、線路で塞がれて袋小路になっている。

だだ、そのような場所にある家が、必ずしも古くからの住民の家のようではないようだ。高度成長期初期に、多くの移住者がいたと考えられる。

広い野球場がある。昔の地図を見ると、この辺りには田畑が多くあり、家が密集していたようには見えない。都市型・労働型の部落ではなく、農村型部落であったようだ。

今では田畑だったところに新しい民家や集合住宅、工場が建てられ、ほとんど都市化している。

これは社会福祉センター。ただ、同和対策とは無関係であると考えられる。無論、人権とか同和といったポスターはない。

歴史館があったが、残念ながら休館中だった。

大きな集合住宅もあるが…

昔を偲ばせる風景もある。この古い住宅は古くからの住民のものだ。

畑も少しだが残っており、墓地にあったのと同じ名字の塗装店がある。

これは久米川町5丁目にある當間たいま稲荷神社。氏子の名前は文字通り當間が多い。

同じ名字の石材店がある。

稲荷神社と白山神社の氏子は明らかに異なり、稲荷神社の氏子と思われる名字の家は豪邸が多いように感じられた。

ただ、2つの神社の氏子の住んでいる場所はかなり重なっているように見える。古くから既に融和していたのだろうか。

線路の反対側の諏訪町にも行ってみた。これは町名の由来となった諏訪神社。

こちらも線路沿いに家々があるが、古くからの地主が多いように感じられる。

どことなく昭和のノスタルジアを感じさせる風景も。

そして、踏切の近くにあるこの店。

食堂と焼き鳥屋が一緒になっている。

このモツ煮定食は650円だが食べごたえがあった。食堂は近くの工場の労働者と思われる、作業服の人で賑わっていた。

そして、白山神社から南に800メートルほど行くと、東村山市に来たら外せない名所がある。

この3本のケヤキは「志村けんの木」として知られる。

志村けんさんが「東村山音頭」で東村山市の名前を全国に広めたことを記念して植樹されたものだそうだ。

献花やお供え物は禁止されているので、記念に写真を撮るだけにしておこう。

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