学術・研究:部落探訪(183) 鳥取県東伯郡琴浦町下伊勢

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琴浦町下伊勢は1923年の真宗大谷派の穢寺調査資料では76軒と記録されているが、1897年の新平民に関する調査には記載がない。1935年には104世帯と記録されている。

この地区の隣保館は東伯文化センター。2004年までここは東伯町だった。

敷地内撮影禁止とあるので、敷地外から撮影。文化センターの庭には遊具があり、子供の遊び場にもなっているようだ。

同じ町内の出上と違って、ここは地区改良事業は行われなかった。もともと出上より環境がよかったようである。

文化センターから南に少し歩いたところに墓地がある。宗派はやはり浄土真宗。山田、谷田という名字が多い。珍しい名字では加登脇がある。

出上のものよりは小さいが、ここにも阿弥陀堂がある。また、よく見ると地区には1区から4区の4つの自治会があることが分かる。

部落内は建設業者、造園業者、製造業等が目立つ。琴浦町やその周辺の部落は全般的に立地が悪いということはない。歴史的には、農村が多い中で、農業以外を主業とした村は異質な存在であり部落と見なされてきたのではないかと思うがどうだろう?

さきほどの墓地から家を1軒隔てたところに、もう1つ墓地がある。

さきほどの墓地より少し規模が小さく、名字の傾向が明らかに違う。そして注目すべきは宗教だ。

軍人の墓は上が尖っているが、ここはそうでなくても尖っている墓が多い。多くの墓石は仏教ではなく神道のものである。

後で聞いたところでは、これは下伊勢の「一般地区」の墓地で、ある時村の有力者が黒住教に入信したことから、多くの村人がそれに倣って黒住教の信徒になったという。

出上と同じく、下伊勢も全体が部落というわけではなく、東側の一角は一般地区ということになるのだが、見た目ではその境目は分からない。

ここは一般地区の墓地の隣だが、「かどわき」とあるので、一応部落内ということになるのだろうか。しかし、家の敷地内には大きな木があるので、昔からそれなりに土地があったと推定される。

この辺りは部落内ということになるのだろうが、いわゆる「同和御殿」が多かった旧赤崎町と比べれば、ごく違和感のない見た目である。

いくつか廃墟がある。

ここは下伊勢西区公民館。「昭和60年10月わかとり国体開催記念」とある。第40回国民体育大会のことである。

一番よく朽ちていたのがこの空き家。

この錆びて崩れて草に覆われている軽自動車はホンダのアクティだろう。

この神社の境内には下伊勢東公民館がある。ここは一般地区に該当する。

学校や社会教育で部落と言えば差別ということが強調され過ぎたために誤解されがちだが、同じ行政区画内の部落と一般地区が対立しているという話はほとんど聞かない。

筆者が知っているのは鳥取市の吉岡温泉くらいだが、あれは部落差別というより山林の入会権をめぐる対立で、昔ほど山林の資源が重要でなくなった現在ではあまり意味のない話になっている。

学術・研究:部落探訪(183) 鳥取県東伯郡琴浦町下伊勢」への3件のフィードバック

  1. アバター空蝉は笑う

    コメント欄にて失礼致します。
    鳥取の件では無く大変恐縮なのですが、和歌山市の平井子ども会・平井&鳴神児童館 補助金不正受給問題について、市民オンブズマンわかやまがPDFで公開されていたのでこの場をお借りしてご報告させて頂きます。
    http://www.naxnet.or.jp/~wa_obz/News/past_news.html
    和歌山の同和・部落問題も根が深いと存じますが、鳥取や他都道府県の問題も調査できますよう、コロナが終息すること願っております。

    返信
  2. アバターYutap

    かつて同和地区とされていたところは住宅が密集していることが多かったと聞いたことがありますが、古地図で[//////]のように射線が実線で囲われている地図記号(総描建物)のところがそうだった可能性が高いということですか?

    返信
    1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

      必ずしもそうではないと思います。部落にも都市型と農村型があり、また住宅密集地は被差別部落とは無関係なところもたくさんあります。
      住宅の密集は差別とは別問題だと思います。

      返信

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