曲輪クエスト(126) 大阪府八尾市安中町8丁目

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By 宮部 龍彦

大阪市八尾市安中町の同和地区は、もとは「東八尾座」という部落であり、1935年の記録では115世帯、1958年の記録では61世帯と記録されている。この部落の範囲についてはよく分からないことが多い。

ここが安中老人福祉センター。

そしてこれが人権福祉センター。隣保館である。これらの施設がある安中8丁目が部落と言われており、実際、ここは旧八尾座部落に該当する。

同和対策の団地は一部は9丁目や隣の南本町にはみ出してはいるものの、実は部落の範囲は広くはない。また戦前よりも戦後の方が世帯数が少ないのは、人が減ったのではなく、世帯数の数え方が違っているためと考えられる。

過去の航空写真を見ると、明らかに戦前から都市化が進行し続けており、世帯数が減ることは考えにくいからである。

これが部落の寺である安楽寺。宗派は浄土真宗本願寺派。

実は安楽寺のすぐ近くに 正願寺 という寺があった。こちらは浄土真宗大谷派で全く別の寺だったが、数年前に更地にされ、この公園の奥の駐車場になっている。そして、その土地は現在安楽寺の所有になっているという。

ここも安中町8丁目で、旧八尾座の中なのだが、植松村の枝郷である八尾座はさらに「西八尾座」と「東八尾座」に分かれていたとされる。正願寺は西八尾座の寺で、その周辺は八尾座の中でも部落でなかったと考えられるがどうだろう。

実際、正願寺があった辺りの集落には同和施設がなく、持ち家や民間の集合住宅が立ち並んでいる。同和施設が建ってるのは、かつての東八尾座集落内か、あるいはもともと田畑だった場所である。

安中という地名は本来は部落とは無関係なのだが、同和地区の呼称として安中が使われたために、八尾市民の間では安中=同和と認識されるようになった。そのため、今でも名前に安中を冠する保育所や小学校が、同和地区の学校と思われて避けられる傾向があるという。

しかし、説明してきたとおり、同和地区は安中のごく一部である。また、大阪の他の同和地区とも共通する通り、同和事業が行われた時代「同和関係者」とされた人々のほとんどは近世の「被差別民」とは無関係と考えられる。地元住民によれば、東八尾座の部落産業とされたにかわ製造業者は裕福で、戦後になってからは部落外に出ていってしまったそうである。

また、ここは橋下徹元大阪市長とゆかりのある部落としても知られる。橋下氏は「私は安中地区に住んでいました」と語っていたとされるが、それはリップサービスのようなもので、実際は橋下氏の叔父が住んでおり、そこに橋下氏が滞在することがあっただけで、地元では橋下氏が安中出身者とは認識されていない。

この市営墓地に橋下氏の叔父の墓がある。地元住民によれば、かつての大阪市長選挙で橋下氏の出自が話題になっていた時、何を勘違いしたのか墓を荒らす者いて、ちょっとした騒ぎになったという。

やはり浄土真宗の墓も多いが、日蓮宗の墓もある。「新井」という墓石に書かれた俗名は「朴」。こういったところに大阪らしさがある。

こちらは青少年会館。

こちらは高美南小学校。名前から西側にある安中小学校が部落の小学校と誤解されるが、どちらかと言えばこちらの方が校区内に同和地区がある小学校である。かつて安中小学校に子供が通っていたという方によれば、安中小学校も高美南小学校も昔は荒れていたという。そういった意味では、校区に同和地区があるかどうかは学校の荒れ具合とはあまり関係なかったのかも知れない。なお、ここでも他の地域と共通して見られる現象として、子供が大人しくなったので今では学校が荒れているということはないそうだ。

また、10年ほど前は校舎の壁が黒ずんでいて殺風景だったが、今は綺麗に塗り直されている。

付近の住民によれば、ここが橋下徹氏ゆかりの団地だそうだ。確かに、過去の電話帳を調べると、ここに橋下氏の叔父の住所がある。

実は、電話帳には橋下氏の住所が2つあり、ここにもう1つの住所があるのだが、住民に聞いてみても「そんな事興味ないから分からへん」ということだった。

なお、この「サイゴン」というお店、名前からわかる通るベトナム人の店である。八尾市にはベトナム戦争から逃れてきたベトナム人が多く、そのような場所もまた市民から部落認定されているようである。

この墓地は安中小学校の近くで地名は安中だが歴史的には完全に部落外で、様々な宗派の墓石が入り混じっている。

ただ、とある八尾市民によれば「にんげん」という教科書を使った学校での部落問題の学習では、安中が同和地区だと教わったので、安中という地名の場所は全部同和地区だと思っていたという。実は部落というのは誤解と偏見に基づいた、非常にしょうもない理由でそのように認識されてきたもので、今も部落は作られ続けているのかも知れない。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(126) 大阪府八尾市安中町8丁目」への14件のフィードバック

  1. 匿名

    >実は部落というのは誤解と偏見に基づいた、非常にしょうもない理由でそのように認識されてきたもので、今も部落は作られ続けているのかも知れない

    親が部落出身なら子も部落民! 
    解放同盟のコネで講演に呼んでもらい、タダで旅行を楽しんだ上、高額のギャラをゲット!
    これぞBURAKU HERITAGE! 子らに受け継ぎたい、この楽しみ。

    返信
  2. ポンザレス花井

    国道1号線沿いに2つの家が合体してできているのを不思議に思って調べたら、部落で、示現舎さんのページを見つけました。愛知県豊川市旧小坂井町の宿町というところにあって地元すぎてびっくりしました。文化センターがそろそろなくなるらしいので、来てみてはどうでしょうか?

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      ストリートビューで見たところ宿町の周辺にはニコイチが見えませんが具体的にどのあたりでしょうか?探訪候補に入れておきます。

      返信
  3. 成田

    東大阪の稲田のあたりに未指定の部落があるときいたのですが、ご存知ですか?

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  4. 大阪だと、泉州地区にも未指定の噂がある地域が凄く多くあります。
    私の友人の祖母もその地域に住んでいますが、普通に仕事をしていて裕福ですし、結構豪邸に住んでいます。自力で頑張っている地域をもっと採りあげてくれると、差別解消につながると思っています。
    差別解消の為に、今後もフェアで、真実を伝えていって欲しいと応援しております。

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  5. 音野

    もとの被差別部落は八尾座村の中の東八尾座と呼ばれる地区ですね。
    今の南本町の一部です。ただ地元の人のでも南本町よりかは、安中全体=部落といった意識ですね。
    もう一つのお寺は正願寺という真宗大谷派のお寺で、西八尾座にありました。天保期にはだれも住んでいない道場だったらしいです。そこは部落ではないです。
    八尾座の由来は、八尾城から由来とする説と、神人といった商業活動をする人達がいたことを由来とする説があります。
    ちなみに大和路線の踏切を超えたところに相生町といった地区があります。
    地元でも知っている人は殆どいないと思いますが、元は晒と呼ばれた夙の村で、近世には農耕民化が進みますが、おそらく葬送などの仕事にも携わっていた人たちが住んでいたと思われる地区があります。

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      ありがとうございます。正願寺は私の思ったとおりで納得しました。

      返信
  6. のろちゃん

    ポンザレス花井さん、それはきっと新町畑です。
    向かいに永田鉄工株式会社がある、国1沿いですね。
    部落は宿町ではなく、茶屋と新町だと思われます。
    国1沿いだけでなく、旧道辺りにも点々とニコイチや香ばしい家がありますよ。
    太鼓屋、肉屋、焼肉屋もあります。
    ぜひ探訪にいらしてください(*´︶`*)

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  7. りな

    映画、悪名にて八尾の朝吉っつあんって、ここから来ていたなら嬉しいことですね。

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  8. たけみまり

    当然ご承知かと思いますが、部落イコール集落なので、書くなら被差別部落、
    エタ村、旧同和指定地区と書くべきでしょう。
    にんげんは副読本で教科書ではありません。
    リップサービスと言えば、橋下氏は丸尾某も持ち上げていましたね。

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  9. 大阪府人権啓発委員会

    大阪市住吉区苅田10丁目近辺においでの際はお声がけ頂ければ近隣もご案内いたします。阿倍野区の旧猿山新田や近接する住吉区や東住吉区や堺市もなにかと話題豊富ですよ。

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      出来れば、夙村よりも穢多村、指定同和地区を探訪いたしたいと思います。

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