部落探訪(51)特別編
大阪府大阪市浪速区
浪速東・浪速西・大国町(中編)

By 鳥取ループ

昭和50年の同和地区精密調査報告書には「栄小学校の場合は、647名の児童全員が地区関係」との記述がある。つまり、栄小学校の児童は100%同和関係者ということになる。

無論、全員が「渡辺村の穢多の子孫」などということはあり得ず、確認するすべもないはずで、それでもなおそう言い切れるということは、同和関係者の認定を「属地主義」で行っていたということになる。

こちらが現在の栄小学校。かつての浪速青少年会館の建物を使っている。前回、栄小学校は現在のリバティおおさかの場所にあったことを書いたが、ここに直接移ってきたわけではない。その経緯は次回訪れる場所で見学する。

栄小学校の近くに葬儀場がある。実はここには三島住宅という同和住宅があり、浪速東から塩草に少しだけ同和地区がはみ出していた。しかし、住宅は取り壊され、民間に売却され今の状態になった。

典礼会館の近くに古い建物があるが、ここは完全に同和地区の外である。

栄小学校の裏手にあるこの建物の一部は「太鼓集団 怒」の倉庫になっているとか。

栄小学校の敷地に食い込むようにネッツトヨタのお店が。事情通によれば、昔はマツダとトヨタがあり、マツダは立ち退いたものの、トヨタはなぜか残ったということである。

このフェンスで囲われた土地も、青少年会館だった土地。大阪市が売却を計画するにあたって土壌検査をしたところ、基準値以上の鉛やヒ素が検出されたため、このような状態になっている。しかし、青少年会館だった頃は普通に子供が遊んでいたはずで、何を今さらという気がする。

大阪は他の大都市と同じように戦災で大きな打撃を受けた。上の動画の2:53辺りで、今宮駅が見える。左側が芦原橋駅周辺、西側が大国町なのだが、すっかり焼け野原になっている。青少年会館の場所には工場らしき建物があり、土壌汚染の原因はこれだろう。

戦災で焼けた地に外部から人だけではなく工場も移ってきたが、皮革は地場産業であり続けた。1972年の調査では浪速地区の製造業の半分は皮革産業だったという。

大国町の太鼓店。このお店には行政や解放同盟関係からの発注はあまりなかったという。理由は写真から推して知るべし。

大国町は部落外だったが、戦後浪速部落から多くの人が移ってきた。そのため、行政によって同和地区指定された。言ってみれば、戦後に新しく作られた部落である。部落というものが、必ずしも近世以前に作られたものではないことが分かる。

見たところ普通の街で、同和地区とは分からない。

この空きビルは何かと思ったら、前回紹介した「スワンなにわ」が出ていったあとだった。あちこちを転々としているらしい。

こちらは民間の「だいこく温泉」。「しばらくの間休業します」とあるが永久に休業しているように見える。

公営住宅があり、こういったところは同和地区らしい。

今年の冬は芦原橋駅前の旧同和事業用地の跡地で、ハッピードリームサーカスの公演がある。地元では優待券が配られていたとか。

こちらは、太鼓以外の皮革の店。皮革関係の店や事業所は、今宮駅の西側よりも大国町の方がむしろ多いように感じられる。

なぜか同和関係の施設をやたらと強調した案内図。浪速人権文化センター(旧浪速同和地区開放会館)、大阪人権センター(旧部落解放センター)も既に存在しないというのに。

信和不動産の看板が掲げられたこの土地、ここは以前「大阪皮革産業会館(アルフィック大阪)」だった。

大阪市が財団法人大阪皮革産業会館に土地を無償貸与し、財団が皮革業者に会館の部屋を又貸ししていたのだが、2010年に公益性がなくなったとして財団に立ち退きを要求。それでも財団が居座り続けたために大阪市が提訴したが、財団が立ち退く見返りに大阪市が約5000万円を財団に支払うことで和解した。そして、その土地が民間に売却されたわけである。

(次回に続く)

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