曲輪クエスト(30)浜松市中区花川町(後編)

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By 宮部 龍彦

前編で賑わいでいた場所は、「ばらの都苑」である。鉄工所と茶畑を営んでいる男性が、バラが好きだった亡き妻の供養のために始めたバラ園ということなのだが、一般に無料で開放され、さらに無料で静岡茶も振る舞われていた。

筆者は訪れるまで存在を知らなかったのだが、全国でも珍しいバラ園であるため、ちょっとした観光名所になっているようだ。

園内にはバラの香りが漂う。「トイレの芳香剤の香り!」「それは芳香剤の方が香りを真似ているんでしょ」と来場者がボケ・ツッコミをする場面も。バラ園の中には、バラだけではなく桃園もあり、金魚が泳ぐ池や鶏小屋もある。5月は丁度バラが満開で、比較的高齢の女性のグループが多いが、カップルや親子連れでも賑わっていた。

改めて周辺を散策すると、畑と工場のような施設が多い。自営業者、特にスクラップ業者が多いのは、伊勢原市上粕屋川崎市麻生区早野と共通している。昭和38年の実態調査では自営業、とく農林業の比率が高いが、今でもそのような傾向があるようだ。

地区内は広々としていて、家屋が密集しているということはない。また、逆に人工的な感じもあまりない。

自民党の城内実きうちみのる衆議院議員のポスターがあちこちに見られる。

花川町交差点近くにある酒店。

静岡県で部落と言ってもピンとこないが、「北星会館」という、全国隣保館連絡協議会にも加入している立派な隣保館がある。

他の隣保館と同じく、法務省人権擁護局関連の冊子やポスターがある。しかし「ヘイトスピーチを許さない」のポスターは見られず、北朝鮮の拉致問題やいじめ問題のポスターが目立つ。また、筆者が他の隣保館では目にしたことのない、社会を明るくする運動のポスターがあった。

隣保館の図書室と言えば、同和関係の本が揃っているものだが、ここは普通の本ばかりだ。

…と思ったら、片隅にひっそりと申し訳程度にあった。

報告書には部落の地方改善、融和事業促進の功労者として北村電三郎の名前が挙げられている。小学校にはその胸像があるという。

住民によれば、報告書にある吉野小学校とは現在の花川小学校のことで、幸い胸像は敷地外からも見える場所にあるということだ。

周りに木があって見えにくいが、胸像を見つけることができた。

胸像の横に、電三郎の功績を記した、比較的新しい石碑がある。さすがに融和や同和といったことは書かれていないが、「風俗改善同盟会の設立」という部分から地方改善事業への貢献が伺える。

電三郎の師である平田直純、尋常小学校の校長であった青山市郎も村の教育への功績者として讃えられている。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(30)浜松市中区花川町(後編)」への16件のフィードバック

  1. 池袋Q

    菊池山哉が行った豊成神社の一本杉には行かないの?
    根拠と言う今昔マップでも豊成神社は一本杉二枚皮で頑迷に否定する荻丘以外の一本杉は原野やん鳥取ループ?w

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      浜松の他の部落も巡ろうと思ったのですが、時間がありませんでした。
      別の機会にチャレンジします。

      返信
  2. 通行人

    解放同盟色の弱い地域って、ごくごく普通ですね。
    解放同盟が、いかに差別解消を妨げていることか。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      解放同盟よりは、行政の扱いがその地域に大きく影響しますね。
      花川町は普通の集落に見えて、行政の手がちょくちょく入っている感じがしました。

      返信
  3. うんじゃらげ

    静岡県内だと解放同盟は袋井市岡崎ローカルの運動団体になっているように見えます。福井県の解放同盟が大飯郡高浜町西三松ローカルの運動団体になっているのと似ています。

    解放同盟色の弱い地域というと、あとは東北地方、北陸地方、山梨県ぐらいですか。解放同盟がない山梨県にもこのような風景の地区があります。

    https://goo.gl/maps/k1sDd1JkbpE2

    返信
  4. 通行人

    大変残念なお知らせがありました。大阪府版部落地名総監のTwitterアカウントが凍結されてしまいました。このサイトも大丈夫ですかね?同和による言論弾圧のすさまじさ、陰湿さ、おそるべし。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      ツイッターでのアカウントの凍結などよくあることです。
      また復活するかも。

      返信
      1. 通行人

        でも、「このアカウントは永久凍結されています」と表示されるよ。終わったようです。

        そこで、趣向を変えて、「解放同盟支部所在地bot」や、「改良住宅設置条例bot」「隣保館bot」などというのはどうですかね?

        解放同盟のHPを見ると、各県連本部の住所、電話番号は掲載されているし、改良住宅設置条例は、各地自体の条例検索ですぐにわかる。隣保館も、電話帳ですぐに調べることができる。

        こんな情報まで、差別だから消せというのは、これこそ言論弾圧だし、昭和10年代の開戦前夜の雰囲気だ。

        返信
  5. タカ

    花川、その周辺(特に西区側)に、関心を持っている者です。
    多分、吉野は歴史が長い地域であると思っていた。
    差別的な意味で、部落と言われる根拠が不明だった。

    その周辺(特に西区側)の方が、おかしい、閉鎖的と思う事が多々有る。
    ある地域では、顔を見れば、地元民かどうか判断できる。 特有な方言が有る。
    そのような地域によって、意図的に部落差別が、作られたのではと思っている。

    和合町に皇室領だった場所が有り、神社の祭神 天照大御神、町名が 和 を持って
    合 わせるという意味で和合町と付けたのであれば、西山、伊佐地、湖東方面は、
    別文化地域であると言えるのではないだろうか。

    後、気になるのが、朝鮮人に関してです。
    朝鮮学校が、存在したようで、そして、浜松事件なども発生したようですね。
    まさか、顔を見れば、地元民の判断が出来る地域に、朝鮮人が入り込んでいるのかと思う程、
    閉鎖的、モラルが低い。 ここまで来ると、深読みし過ぎだが、そのぐらいに奇怪。

    話を広げ過ぎていますが、吉野は差別される言われは無いのに、差別が作り出されたと思う。
    私は、吉野小学校の生徒と同じ中学でした。

    返信
  6. パティ

    酒を飲みながら何となく地元の検索をしていてここを見つけました。
    団塊ジュニアで吉野小の卒業生ですが、吉野が部落だという認識は皆無でした。
    小学校の授業でそれ系の話も無かったですし、小学校裏の団地や少し東方の雇用促進住宅に住んでいた同級生も居ましたがイジメは勿論、同級生で部落云々て言葉自体聞いたことがありません。
    先人の努力なのか、教師や大人が気を使って触れなかっただけなのか分かりませんが、私の小中高時代に吉野が部落だと気にしている子供は皆無でした。

    ただ、私の母親(旧吉野町の生まれ育ち)は異様にこの地域が部落だということを気にしていました。
    私は学習院大学を受験して絶対受かったと思う手応えでしたが何故か落ちたのでその話を母親にしたら開口一番、「ここ(部落)だから落とされたんだよ」と言いました。
    その件の真相は分かりませんが他の東京の有名私大に進学することになると母親は「ここ(住民票)の記録を変えたい」という理由でソッコーで私の住民票を引っ越し先に移し、私の郵便局の通帳もそこの最寄局で作りました。
    詳しく聞いたことはありませんが母親のこの地域の忌避具合を見るに、母親世代は吉野が部落だというのを痛感する状態だったのかもしれません。

    私は今、大阪に住んでいますがここに来て初めて部落問題を知りました。
    ここの部落意識は異常です。
    客観的に部落差別など無いのに未だに部落云々言ってる奴は自分がダメなのを地域(部落)のせいにしているか、部落利権で美味しい思いをしているかどちらかだと思います。
    大阪の部落意識に比べたら吉野なんて無いに等しいです。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      コメントありがとうございます。学習院大学の話、学習院大学だと確かにありそうですね。
      同和地区指定はされていたので、調べれば簡単に部落と分かる状態であったと思います。

      返信
  7. たまごやき

    私の母はこの地域の父と結婚していました。
    東京から来た母を父の親族を含め、地域の人も「よそ者」とよく言っていました。
    それは子供である私たちにも同様でした。
    「よそ者」の意味も分からない子供の私達は、母が悪い事をしたのか?
    東京や他の地域に住む人は悪い人なのか?とよく分からない疑問を抱きました。

    父は母を守ることはせず、離婚に至りました。
    大人になった私たちは部落という地域があると知り、
    母をはじめ、その子供の私たちも差別をされていたと知りました。
    二度と近寄りたくない程の強いトラウマで、母も兄弟も未だに心に傷を残してるのが分かります。
    ですから子供の頃の話をすることはありません。

    部落について私は詳しくは知りません。
    ですので他の地域でどのような事があるかも分かりませんし、怖くて調べる事もないと思いますが、
    今回偶然このサイトを見つけて、
    やっぱりおかしいと思う地元の人がいたのか。
    と安堵する気持ちが生まれコメントをしてしまいました。

    あの異常な地域では、「よそ者」の私たちに声をかけることすら危険だったのかもしれませんね。
    そして「よそ者」だったからこそ見えていた景色もあると思えるようになりました。

    ありがとうございます。

    返信