全国の選りすぐりの部落を探訪するこのシリーズ。2回めは一人旅はもちろん、ファミリーからカップルまで楽しめる部落を紹介する。
今回訪れたのは長野市の郊外にある大室部落である。
なぜここが部落と言えるのか。根拠となる文献が部落解放同盟長野県連合会による「差別とのたたかい 部落解放運動20年の歩み」(1967年)である。この文献には「埴科郡 松代町 大室(西組)」という名前で登場し、当時で22戸と小さな部落である。
また、1933年の「全國部落調査」によれば、戸数は16戸、主業は農業、副業は藁工・日傭労働、生活程度は下とされていた。
信州の農村部落
しかし、そのような文献を漁るまでもなく、この地には非常に分かりやすいランドマークがある。それが、写真の「長野市大室人権同和教育集会所」である。その横には「昭和60年度同和地区農業振興事業大室農機具保管施設」という農機具小屋がある。このことから、この地に同和対策として集会所が設置され、同和予算により農業振興事業が行われたことが分かる。
理由はよく分からないが、信州北部にはこのような直接的な名前の同和関係施設が多い。
その反面、当の地区住民はそこが同和地区であることをあまり意識していないようである。実は筆者は川中島近辺の女性から「自分の住んでいる場所は同和地区かも知れない」という相談を受けたことがあり、調べてみたら家のある集落内に同和教育集会所があったということがあった。
大室地区を歩いてみると、関西の同和地区とはかなり様相が違うことが分かる。
まず、教育集会所の写真を見て分かる通り、この種の施設にありがちな人権だの同和だの狭山事件だのと書かれたポスターが貼られていない。
地区内を歩いても、同和地区にありがちな「身元調査お断り」のポスターやステッカーのようなものは一切見つからない。あるのは公明党のポスターや、レトロな広告看板くらいだ。
集落の真ん中に高井大室神社がある。神社には庚申塔があり、道祖神もあった。いずれも信州の神社にはありふれたものである。
大室集落の大きさは明らかに22戸を超えている。ということは、おそらく教育集会所の周辺だけが「西組」と呼ばれる同和地区なのであって、神社の辺りは同和地区ではなさそうだ。
大室は「若穂」と呼ばれる地域にほどちかく、長野県民にとっては「信州若穂と言えば被差別部落」というのが知る人ぞ知る常識になっているようだ。確かに長野市の東端と、須坂市の西端にまたがる地域には部落が多い。しかし、歴史的に被差別部落かどうか、行政に同和地区として指定されていたかという意味では、全域が被差別部落というわけではない。
教育集会所の周辺にはリサイクル業者が目立つ。
実は筆者は10年近く前にもこの地を訪れたことがある。当時は崩れそうな家が何軒かあったように思う。しかし、今回訪れた時はそのような家はなくなっていた。
集落の周囲には畑が広がっており、長野県らしくりんごの木があった。
集落の西側には「大室団地」という長野県住宅公社による新興住宅地がある。綺麗な住宅が立ち並んでいるが、空き地も目立つ。
古墳と温泉
この地の見どころは、何と言っても「大室古墳群」という大規模な古墳群である。
この古墳群は4~5世紀に作られたと言われ、数多くの古墳が居並ぶ姿は圧巻である。
もとは盛り土がされていたのだが、長い間に土が削れて、石室がむき出しになっているものが多い。
古墳群は谷地にあり、ほとんどが茂みの中にある。谷であるゆえに、大雨が降ると土石流が発生することがあり、そのために流されてしまった古墳や、土砂に埋まってしまっている古墳も数多くあると考えられる。そのため、実際に古墳がいくつあるのか正確な数は分からないが、何百という単位であることは間違いない。
麓から谷沿いに頂上まで林道が続いており、茂みの中のあちこちに石積みが見え、それらは全て古墳か古墳の一部である。ハイキングにはうってつけだし、冬場の閑散期ならジムニーかハスラーで林道を登ることも出来そうだ。
古墳館という展示施設もあるのだが、残念ながら真冬のこの時期は休館中だった。しかし、古墳群の中にはマラソンをする人や、S660に乗って走り回っている人がいた。また、犬の散歩をしている人もいた。
そして、もう1つの見所が高台にある温泉だ。この温泉は地元の造園業者が掘り当てたものだという。
部落内のこじんまりとした温泉かと思ったらそうではなく、各地からやってくる客でかなりの盛況ぶりである。
入浴料は大人500円。
源泉は約41度で、かけ流しの本物の温泉である。室内風呂、露天風呂、足湯、サウナがある。温泉には食塩と塩化カルシウムが豊富に含まれており、口に入ると塩辛く、そして苦い。温泉の周囲には硫黄の匂いも漂う。なかなかしっかりとした温泉である。
温泉には座敷の食堂があり、中で料理を注文してもよいし、外からの持ち込み自由である。土方やトラック運転手と思われる人が雑魚寝しているのが見受けられ、働く人にはうってつけの休憩場所である。また、地元産の野菜が売られている。
温泉のふもとには、太陽光発電施設が見える。
温泉の駐車場から部落を見渡すことができる。駐車場は崖の上にありフェンスがないので、アクセルとブレーキを踏み間違えたら真っ逆さまなので、要注意。
散策場所があり、疲れを癒やす温泉があり、さらに新興住宅地があることから住むにもよいこの部落だが、長野電鉄屋代線が2012年に廃線になり、部落内にあった大室駅も廃駅になってしまった。そのため、主なアクセス手段は現在ではバスか自家用車のみで、それだけが欠点である。
全日本同和会飯塚支部長の飯塚ホワイトハウスや、「日本同和会」全国連合会長の鉱害城はまだ残っているんでしょうか。後者は、糸田町の井登建設というのがどうもそれらしく、ストリートビューで見ようとしたのですが、場所がよくわかりませんでした。
http://ja.yourpedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B2%A1%E7%A6%8F%E5%88%A9
http://33.media.tumblr.com/289bad7139f1b146ed4a94f6c4c37167/tumblr_inline_momftbCWqd1qz4rgp.jpg
飯塚ホワイトハウスは飯塚市川津95-296にある建物のようです。残念ながらストリートビューでは見えないので現地で確認するしかありません。
鉱害城の場所は謎ですね…
ツイッターの書き込みを読んで引っかかったことがあったので書き込む。
「全国部落調査の書籍化を考えています。」
とのことですが、管理人ならもちろん知っていると思うが、昔、
昭和52年1月13~15日
解同北九州市協1000人、部落地名総監購入企業19社を集めて市役所で3日間泊まり込んで述べ50時間糾弾。企業側3人救急車で運ばれる。うち、Mセメントの幹部、2月14日社宅で自殺。「責任をとって」といわれる。
という出来事がありました。管理人は無事で済んでも、買った人はどうなるか?
少なくとも、購入者を絶対特定できないことが担保されなければ、そんな本は、私なら怖くて買えません。
どういう方法で販売しようとしているのか、どんな販売ルートを想定しているのか知らないが、ネット通販で売るにしても、解放同盟系のクラッカーが、セキュリティの甘い販売者のサーバーから購入者のカード情報など盗み出すという事態も想定されます。書店で売る場合は、解放同盟の手先が店頭で待ち伏せという古典的な方法も考えられる。
購入者を守る方法がないと、そんな本は、恐ろしくて買えません。そもそも、買い手がつくかどうか・・・・。
普通にアマゾンで売ります。よほどの事がない限り、誰が買ったかはアマゾンしか分かりません。
元祖部落地名総鑑は高価なので部数が限られていましたが、全国部落調査は大量生産します。
みんなで買えば怖くない。
通行人さん、いつもご助言をありがとうございます。
同和団体の悪行が、こんにちは、さようなら、程度の挨拶になっているみたいですね。
私はネットで怖い目にあった事がないのですが、
前に樋渡元市長に絡んでいたグループがいて、あれはすごいと思いましたね。
私だったらtwitterやめるかも。
沖縄の山城博治とか、ああいう人に絡まれたら、逃げ道がなさそうです。
利益をつかむまで言葉攻め、というやり方ですね。
私20年関西に住んでいて一度も怖い目にあった事はないし、
基本市長とか公務員しか狙わないでしょう。
民間人のわずかな貯金よりも公金の方が効率がいいですから。
継続性があるし。
わずかな貯金のために逮捕されたら損する事はわかっていますよ。
京都では学校法人もねらっていたみたいですね。
>理由はよく分からないが、信州北部にはこのような直接的な名前の同和関係施設が多い。
こうゆう同和を特別視しない状態が本来あるべき姿だと思います。
西日本とかでよくある例としては、同和関係の例規で、教育集会所の位置を削除したり
ネットで見れない状態にするなど行政サイドは、どこが部落なのか隠すことに熱心なケースが見受けられます。
ですが隠したところで地元の人からはバレバレですし、じゃあ、せめて
他の都道府県の人には、どこが部落なのか分からないようにしてしまおう!ということなんでしょうが
ですが、このインターネット万能の時代に部落の位置情報を隠し続けるのはもう不可能です。
不可能なことに努力しても時間とエネルギーの無駄です。
ですので、この記事の地区のように大っぴらにして、
ここは以前、歴史的社会的な事情があったかもしれないがもう今はない。
という社会的風潮にもっていくのがベストだと思います。
まさにこの地区は部落が解放されているという印象を受けました。
それと、同和関係者に言いたいのは、自らが地区の位置情報を公表するべきです。
中には未指定地区は隠しておきたいという人もいるかもしれませんが、それも無理です。
というか、もうバレています。
あと、部落の位置が完全にバレているのにそれを隠そうとしている姿勢がいちばん間抜けです。
みんなそう思っていますよ。
全くです。部落解放同盟住吉支部の住田一郎氏なんかは被差別部落を開示すべきと言ってますね。
しかしそれなら、住吉隣保事業推進協会に置いてある全國部落調査を私より先にネットに公開するべきでした。
他にも所蔵してある部落台帳や全国部落所在地調などの部落資料を公開すべきです。少なくとも著作権保護期間を過ぎているものに関しては。
一般地区と比較して被差別部落の中に有意に多い苗字を抽出して統計を作ったら、全国の被差別部落の人的な流れを可視化できて有益ではないかと思うのですが。鳥取ループさんの技術なら、プログラムを組んで自動的に抽出できるのではないでしょうか。おそらく前代未聞の研究でしょう。
それは考えています。全国部落調査の現在地特定が終わればやってみようと思います。
手順としては、ネットの電話帳を活用して、各地区別に存在する全国的な希少姓の上位3つを抽出します。
それらを部落姓の可能性が高いとみなして、全国にどのように分布しているか可視化すると興味深い結果が出るかも知れません。
4年も前の記事ですがコメントさせてください。地元の者です。
今は県内に私立中もできて選択肢は若干あるにしろ、松代は6つの小学校の生徒が1つの中学に集まる環境で、そのうち2小学校の校区に部落があります。片方は30年前時点で生徒は数十人でしたが超立派な音楽室ができたり、生徒が激減した今も部落だから学校は無くなりません←教職の知人情報。美空ひばりも本当はこの部落地域出身で、長野に公演に来たがらなかったのは有名。この地域典型の名字です。
おっしゃる通り、長野の部落は解放されてます。名字で一発(松代は4種+α)でわかるし皆誰がそうかわかっていますが、それにより差別したり区別することは日常ではありません。それは変な団体活動したり利権を持ってたりしないし、関西のようにその地区がガラが悪いことも基本はない。違いがないのです。確かに肉屋は皆そうですが、八百屋魚屋の並列でしかないというか、、、。20年前はまだ先生が持ち回りで2地区片方ずつ一週おきで勉強を教えに行く?講演に行く?みたいなのはありましたので、違いを感じたのはそれくらいでしょうか。だから関西に住んだときは本当にびっくりしました。関西の部落は部落と一目見てわかる。京都もスウジンはまだ明るさがあるけど、例えば最寄りバス停降りてから哲学の道行く途中とか、観光客も外国人も沢山通るのにアレか、、、と建物や特有の銭湯だけじゃなくなんというか子供も親も髪の色や身なりや目つきも違い怖さがあり、これこそ部落のステレオタイプだわ、と最初は衝撃的でした。
話戻り、長野にはあけぼのという同和教科書がありましたが、あんな抽象的な教科書のその効果より小規模点在型で利権や運動に大きく関わらなかったから解放ができたのだと思います。記事にもある廃線した屋代から須坂を結んだ長野電鉄河東線は川に沿ってたので結果的に部落を結ぶ路線となり、部落線とも呼ばれていました。
大室は部落の典型的な構造というか、部落に入っていく道が限られている構造ながら、団地の効果もあり、普通の住宅街ですね。部落といってもそれが普通だったので、むしろ西日本の同和地区の様子とか、最近の関電や森友隣の関西生コンとかの特に調べなくてもそれ同和でしょ、とすぐ察しつくような同和利権問題が未だにあるのが信じられません。
地元の方のコメントありがとうございます。
長野県は北信、中信、南信、東信で解放度運動や同和行政に違いがあったようです。
特に中信は寝た子を起こすなの傾向が強く、松本市教育委員会は狭山同盟休校を断固として阻止しました。
あとは全国連が一定の力を持っていて、大室から一山越えて須坂市に入ると、全国連の拠点があります。
私も実態はまだよく分かりませんが、全国連が生協を運営しているようです。
また、意外と若い人も部落問題や、具体的な部落の場所を知っている印象があります。
とは言っても、差別が続いているというよりは、姥捨山の話みたいに昔からの伝説として語り継がれているようなイメージです。
部落解放同盟須坂市協議会
こんにちは。長野県の北信地域の者です。
私は65歳なのですが、中学時代に同和教育の指定校でした。
信州は兵庫県に次いで全国で2番目に被差別部落の多い県なのですが、
特徴は、各集落に数軒~数十件の小規模な被差別部落が点在している事です。
ですから、北信の殆どの集落には被差別部落があると言っても良いと思います。
私の中学生時代には同和教育は徹底してて、
被差別部落の歴史から教えられ、
橋の無い河とかの映画も鑑賞しましたし、
美術の時間は差別反対のポスターを全員が描いたりしてました。
同和教育以前は間違いなく差別はありました。
同じ集落でも『向こう村』と呼んでましたね。
姓については、色々ですが、
集落と姓を言えば、地元では殆どの人が分かります。
親は隠してたりして、敢えて教えたりはしませんでしたが・・・
何故分るかと言うと、同和教育の一環として、出生宣言と言う物が有ったからです。
授業中に『私は被差別部落の出身者で、こういう差別を受けました』と被差別部落出身者は涙ながらに告白する訳です。
其れを同和教育の最後の方でやる訳です。
それまで、差別は悪い事だと延々と教わってきて、
被差別部落についての知識を知った上で、
今までは普通の友達だと思ってた同級生が、
『私は被差別部落の出身です』と告白する訳です。
薄々は感づいてはいても、直接クラスの皆のいる所での涙の告白はやはりショックを受ける物です。
そして、同じ日本人なのに何故?と思う訳です。
臭い物には蓋をしろ
では無く、同じ人間なのに差別してはいけないと言う事を徹底的に教え込む同和教育を、
特に被差別部落の多い校区の学校を指定して行った訳です。
ですから、今では北信の地元では、あからさまに差別する事は無くなったんだと思います。
同級生の中には被差別部落の出身者と結婚した人もいますからね。
被差別部落出身者は隠す必要も無いし、
正々堂々としていれば良いと思いますよ。
都会に出て成功した人も多いし、芸能芸能人や有名人にも在日や被差別部落出身者は多い訳ですからね。具体的には書けませんが・・・かなりの有名人や有名な歌〇伎役者の奥さんになったけど亡くなってしまった可愛い女性とかね。
地元から他の県外に出てからだと分かり難いのですが、元のお墓が残っててね・・・どんなにお金を出しても良いから、善光寺にお墓を移せと歌〇役者が騒いだりするから、逆に分かってしまったりね💦そんな事で騒がずに普通に其のお墓を立派に直せば良いだけだと思うんです。
自分の知ってる某男性タレントは出身地と姓も出てますが、ネットでは資産家の息子さんとあちらこちらに出てますが、何故そんな事を描くのだろうかとは逆に疑問に思っちゃったりします。
確かに、自分より年上の被差別部落出身者には就職難や差別に抵抗して反社会勢力になった人も多いんですが其れも当時は理解出来なくも有りません。
地元ではそれなりに理解しているし、他所は分かりませんが地元では差別はもう殆ど無い訳ですからね。
一緒にお茶や酒は飲むし、飯も一緒に食べるし、結婚もするし、
隠すから逆に分かった時には、何故隠すのと言われちゃうし。
正々堂々としていて問題無いと思いますね。
それは長野市や須坂のあたりのことでしょうか?
その辺りでも部落民宣言をしていたというのは驚きました。
>>この古墳群は4~5世紀に作られたと言われ
大室古墳群は5~8世紀です。4世紀だと古墳時代が始まったばかりで、一部の
権力者が前方後円墳を築き始めたばかり。時代が下がるにつれて被葬者の範囲が
広がり、円墳を主とする群集墳が形成されました。
>>もとは盛り土がされていたのだが
この古墳群の最大の特徴は、土だけで墳丘を造る一般的なものと異なり積石塚が
多い事。渡来系氏族の墓と言われています。大室は古代には官営の牧が設置されて
いました。
>>大室地区を歩いてみると、関西の同和地区とはかなり様相が違うことが分かる。
最近の部落探訪と違ってこの頃は未だ動画を撮っていませんが、写真だけで見ると
肝心な被差別部落の箇所は全然回っていない様ですね。教育集会所や農機具小屋は
農地に設置されているだけで。
すみません、当時はまだ未熟でした
6枚目の写真、某商店の裏にある長野電鉄屋代線跡地。肝心な逆方向の写真を提供。
探訪してきたんですね!
ありがとうございます。
長文失礼します。
昔からあったものなのかは分かりませんが、
6校の小学校に入ると大体の小学校が六年生くらいになるとそこの施設に招かれて、人権について、部落問題について、etc…と教えてもらうそうです。
そして中学校に入れば、道徳の時間はその年によってですが部落差別問題を取り上げるんだそう。
過去を過去のままにしないという姿勢が見えますね…。
(地元がそこの友人の話なので本当かどうかは定かではありませんが(-_-))
大室でもそんなことがあったとは驚きです
施設とは、同和集会所ですよね
横からごめんなさい。
私は6校のうち部落がない地域の小学校でしたので、施設に行くことはなかったです。しかし部落の人を招いての講演は中学であったと思います。感想文書かされ当時は純粋な気持ちで典型的ないい子感想を書いたら、親から大人になり色々見聞き経験すればまた考え方が変わるよ、と言われた思い出(本当に変わりました)。
大室や金井の寺尾小学区の部落より、西条小学区の部落の方が差別をやめよう教育活動に熱心だった(加藤ますいさんという熱心な方がいてあちこちに講演にまわっていた)ので、講演は西条の方の講演でした。もちろん学区内に部落のある2校は当然施設に行っての学習はあると思います。
あと、上田周辺の部落も中々興味深い環境です。
特徴的なのは新しいバイパスができて一気に便利and反面車で通る人に広く知られることとなる、半過という地域。長野方面から新しい道(千曲川西側)を通り上田に行こうとすると、その地域を沿うのですが、通称「半日村」。午後3時くらいに通ると、車の左に見える景色と川挟んで右に見える景色と、きっぱり明るさが違います。本当に顕著で衝撃的です。
日照以外は古墳があるのと(古墳自体部落に多い要素ですが)、特定の名字ばかりというくらいで、これまた長野らしく特別貧しいわけでもガラが悪いわけでもないので、地理的特徴のみ特徴的な地域という感じです。
ネット検索にも同和地区とは出て来ず、県内でも上田や坂城の人以外にはそれほど知名度はない地区です。
松代にも半日村と呼ばれた地域がありますが、そこは部落ではありません。
↑すみません、左右が逆です。
正月の快晴の午後に久しぶりに通ってみて、あらためて衝撃的な日向と日陰でした。
長野方面から上田に向かい、右が半日村、千曲川と日向側が左手になります。
近くに道の駅「上田 道と川の駅」があります
上田市生田半過が部落ではなく、生田茂沢が部落です。半過の中心から約800m南の依田川の傍。
>上田市生田半過が部落ではなく、生田茂沢が部落です。
失礼、半過は小泉だったな。近くの部落だと南条・上田原・上塩尻・網掛。
半過は被差別部落ではありません。確かに山の上に立地する変な所によく集落があるなとは思いますが。長野の部落は集落の入り口とか街道沿いに存在します。
また古墳を被差別部落に結び付けているのは、守戸を想定されていると思いますが、まずあり得ません。いちおう奈良の洞部落や名古屋の断夫山古墳近くの部落は守戸由来とも言われてますが。そもそも守戸は大王墓クラスの話であり、都から遠い地方の古墳時代後期の群集墳にそんなものはありません。
上田出身と塩田出身と坂城出身の友人(その友人どうしは友人関係にないバラバラの友人)からそれぞれ聞きました。上田の高校に行った私の兄弟も知っていました。(それらを聞いたときに、広くて勿論その地域全てではないと個人的には解釈ましたが。)。その部落の名字もあり、同和関連の資料でも散見される東信の部落にある名字です。ちなみに北信ではそれは部落と関係ない名字です。
未指定とか指定とかはわかりませんが、少なくとも地元の人は部落として認識しています。上田の友人は両親とも昔から上田の方らしいですが、その両親から教わったようです。
古墳の件は全てではないにしろ、古墳の近くに部落がある(あった)ケースは大阪や奈良に限らず多いです。ちなみに私は大学進学で上京してから20年以上、部落に興味があり色々調べて趣味の旅のついでに日本中を回ってみています(鳥取ループさんレベルの知識知見は勿論ありませんし、自己満足の域で調べて行って見てみるだけでまとめたりしてるわけでもありません)。今では事前知識なくても歩くだけで、「あ、この地域は、、、」とわかる感じですかね。