今回は、久しぶりに温泉がある部落にやってきた。かつての極楽寺村の部落で、1934年の世帯数は13とされる。同和地区指定はされていない。
ただ、最寄り駅は江ノ島電鉄の極楽寺駅ではなく、稲村ヶ崎駅である。
とりあえず、まず温泉に入る。料金は1500円と安くはない。ただ、レストランも併設されていて、客は多い。ここは湘南海岸で人気の観光地でもある。この日は天気がよく、風が強かったので、海岸はウィンドサーフィンをする人で賑わっていた。
温泉に入ると、駐車場が2時間無料になるそうだ(この辺りの駐車料金は1時間300円)。そこで、温泉に入ってから部落を探訪することにした。
温泉は関東にありがちな茶色い湯。源泉温度は20度くらいなので、温泉というよりも冷鉱泉ということになるだろう。率直なところ湯は大したことないのだが、この温泉の見どころは景色。浴場から相模湾に沈む夕日が見える。日没時刻を確認して、晴れた日の夕方に行くと良い。
温泉の周囲の道路には砂鉄が積もっている。それもそのはず、ここは昔は砂鉄の採取場所で、それを原料に刀や槍が作られていたという。
部落には古い家、新しい家、大きな家と入り混じっており、既に融和していることが伺える。
この先に古くからの墓地があるのだが、立入禁止になっていた。既に探訪している人が多いということか?
仕方ないので、外から見える範囲でズームで撮影した。「由井」という名前の墓石が見える。近くに「由比ヶ浜」があるので、地名由来の姓だろう。
由井という表札の家がいくつかある。
さらに奥へと進む。なぜか高級外車を所有しているか、あるいは自動車関係の仕事をしていると思われる家が多い。
鎌倉らしく、歴史的な風土も残る地域のようだ。
部落の一番奥に白山神社がある。実は、この部落は神権連機関紙「人権のとも」2007年11月15日に「鎌倉のA地区」として紹介されている。その記事に、白山神社について次の記述がある。
神社はタブの木、松、杉の木等で守られているようでした。神社の扉の前にカップ酒(二〇〇七年四月製造)が三つ供えられていました。
さて、社殿に近づいていくと…
ワンカップ大関が3つ供えられていた! 製造年月は2018年2月とある。10年経った今でも、相変わらずこの神社の神様はカップ酒が好きなようである。もう1つの空のカップは賽銭入れのようだ。
白山神社から温泉に戻る途中、住民に会ったので部落の由来について聞いてみた。よく分からないが、ここは昔戦場だったらしい、掘ったら骨が出てきたことがあると教えてくれた。
墓の近くにあるこの駐車場。ちょうどこの車の下の辺りから人骨が出てきたそうだ。
これは十一人塚。確かにここは戦場で、自刃した11人が埋葬されたという。鎌倉時代末期のことだ。
多数人骨が発見されたのは、昭和34年のことだという。
ここは自治会館。当然、部落とか同和といった掲示物はない。
いつも拝見してますが、本当に指定されていない地区の方が融和してますね。トタンで臭突のある家が残っていても、周りに新興住宅があれば、ニコイチと違い「古い家があるな」程度になっているのでしょうね
そうですね。やっぱり同和事業は害悪だったとしか思えなくなってきています。
「高級住宅地になった部落」の代表格ですね。
大磯、湯河原、伊東、熱海など「高級別荘地になった部落」も興味があります。特に大磯と湯河原は極楽寺と違って旧指定地区ですから、どのように融和しているか探ってみたら意味がありそうです。
ぜひ探ってみます。とりあえず、『人権のとも』に出てきた部落の制覇を目指しています。
湯河原も新崎川の西側まで新興住宅が並ぶようになってきてたので
早めに探訪しておいた方が良いかもしれませんね。
駅近くの湯河原町図書館で吉浜稲荷神社の氏子を確認して、
最上寺の墓地を見学すると判りやすいかも。
あと、季節ではありませんが下記のみかんは割と好きです。
https://twitter.com/fujinakamikan
サーファーだったらここに住みたいですよね。だれしも。
部落とか、どーーだっていい。それが本音です。
ここはまさに完全解放された地区といえるでしょう。
正確にはサーファーで賑わっていたのは由比ヶ浜です。いずれにしても自転車で行けるくらいの距離ですけどね。
下記の書籍で、稲村ケ崎の白山について紹介されてます。
・書名:鎌倉(中巻)
・著者:小澤彰
・発行:内村芳五郎(郷土文学研究会)
・昭和54年10月20日発行
この本を書く30年ほど前に、著者が地元の古老から聞かされたという話は、
大まかに纏めると以下の通りです。
代々極楽寺の寺侍(寺役人)を勤めてきた岩沢家が稲村ケ崎の白山を勧進。
その後、時代が経て極楽寺持ちとなり、真言修験の霊場となったが、
今は極楽寺一丁目の鎖守となっている。
又、昔は極楽寺に三軒ほどあったという岩沢家の出自については、
伴忍性が大和国から従者として連れて来た者という説と、
忍性が常陸下総から連れてきた、千葉平氏出自の岩沢であるという説。
の二つを紹介してます。
鎖守という言葉を初めて見ましたが、鎮守のことですか。
鎌倉市今泉にも「白山神社」があるのですが、こちらの探訪・調査もしていただけないでしょうか。
基本は部落の白山神社がターゲットなのですが、そこも部落なのでしょうか?
部落は部落でも小集落という意味の部落ですね。
同和系であった可能性があったのは鎌倉時代1259年頃まで。
極楽寺が建立するまでは死体捨て場と認識。
および江戸幕府初期に由井の本家が斬首されているからこのポイント。
普通に農作物が取れない枯れた谷間の小集落でしょう。
とにかく平地がなく農業ができない。農業が成立しないから人が住みようがないというのが真相ですね。
稲村ガ崎は岩だなですから漁業もできない。少しお隣の長谷は猟師町ですたね。
人が住みようがない土地です。
貴重なお話ありがとうございます。
由井という名字はここ以外では白山神社のある藤沢、横須賀の馬堀にも多く分布しており、関連が気になっています。
由井という苗字は鎌倉時代に遡ると聞いています。
鎌倉幕府の関連。
ちなみにあの辺りは古戦場(稲村ガ崎古戦場公園)ですから遺骨が沢山でています。
当時、なめり川(古戦場公園近傍の川)が斬首場にされたと聞いています。
昭和の御世になめり川を調査し大量の首なしの遺骨が出てきたということです。
まあ鎌倉幕府滅亡時の戦乱でしょう。
由井は国内では3箇所あります。
静岡の由井、こちらは由井小雪の由井です。
仄聞ですが長野にもあるとのことです。
https://name-power.net/fn/%E7%94%B1%E4%BA%95.html
>①由比の異形。静岡県中部(旧:駿河国)に戦国時代にあった。
>長野県南佐久郡川上村御所平では草分けと伝える。
>善隣。神奈川県鎌倉市稲村ガ崎で江戸時代に皮革業者の管理者にあった。
こちらでは江戸時代、皮革とのことから明らかに部落となりますね。
余談ですが墓地は不思議と菊水紋が多いです。
幼児の頃あの墓地で遊んでいて菊水が多く首をひねっていた。
貴重なお話ありがとうございます
ウェブサイトの日本姓氏語源辞典から引用してループ氏に知らせてもねぇ。
そのサイトを運営しているのが、示現舎=ループ氏なんだが…
由井清人さん 貴重な歴史の情報ありがとうございます。江戸初期に由井家の本家が斬首、とおっしゃっていますが一体何があったのですか?
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キリシタンだったという記録があるようです。
この古村がですか?
由井正雪の乱かと
徳川家光・家綱の頃のお話
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