『差別とのたたかい 部落解放運動20年の歩み』によれば、旧東筑摩郡島立村、現在の松本市島立町区に古村がある。戸数は9軒。
昭和初期の記録では、9戸57人と記録されている。近隣には島内村町区、和田村和田町、新村北新など、松本平の小さな古村が点在しており、島立町区もその一つである。

現地名としての町区は今も残っている。島立は松本市街地の西側、旧島立村にあたり、国道158号や合同庁舎通り沿いには郊外型店舗や事業所が多い。一方で、幹線道路の裏側には住宅地と田畑が混在している。町区は島立の西端にある俗地名として挙げられている。

菊池山哉は、古村の家はいずれも「青山」であると記している。
○この村は松本市の西側である。松本から野麥峠を經て、飛騨の高山へ行く道路にある。島立村の最西端であるから飛騨から高山街道を松本へ入る人を、番して居ったものであらうか。
○白山神。松の大木があったが、昭和六年の大雪に倒れた。今其松の瘤が社殿内に〆を張って保存して居る。昔しから鳥居はない。祭日は舊九月の初のお九日である。
○半農、密集、八戸ばかり、何れも青山姓である。
○傳説はない。

現在地には、駐車場として使われている便利な空き地がある。少し歩いたところに酒蔵があり、そこを宣伝する幟がちゃっかりと立てられていた。

広い道路は野麦街道なのだが、過去の航空写真ではこの通り、クランク状に曲がっている。後に国道158号線が整備されて道路が直線化された時にその場所が空き地として残った。

空き地にはこんな案内が。町区は、かつては町村。しかも高札場があったということだ。役人村であったことが分かる。

古村の戸数は過去も今もあまり変わっていないように見える。極端に貧しいということもなかったようである。おそらく未指定ではないだろうか。



墓地を見つけた。


確かに全て青山である。法名があることから、浄土真宗であろう。


やはり関心は白山神社があるかどうか、そして菊池山哉が記した松の瘤があれば嬉しい。ゼンリン住宅地図には神社らしき記号があるのでそこへと向かった。




確かに神社がある。神社名は書かれていないが、近くの人に聞いてみると「しらやまさま」と呼んでいるそうだ。紛うことなき白山神社である。

そして、社殿の中にあるこれこそが松の瘤ではないか?近くの人もこれが何なのかはよく分からなかったそうで、菊池山哉の記述を見せると、大変に興味を持っていた。


確かに伝説のようなものはないが、空き地のあの立札があるので、役人村だったということはよく認識されていた。



