『差別とのたたかい 部落解放20年の歩み』によれば、松本市里山辺に西荒町という古村があった。戸数は52。
主に農業を行い、生活程度は悪くなかったようである。

菊池山哉はこう記している。
○古道筋、里山辺は松本市の直ぐ東である。
○白山神。
○民家30戸ばかり。
○ここに総社以上の大欅があつた。直径1丈、3尺上にて二岐に分かれ、実に立派なものであつたが、30年前売却して仕舞つた。坂城で言ふ松本長吏が、此処であるか、矢張り松本市南新町かが問題であるが、南新町は移つたかして鎌倉からの証は全くない。然るにここ荒町は大欅によつて鎌倉からのものである事は略々誤りない。夫れに浅間の伝承に大友氏は安曇の市場の守りの如く、高橋氏の厄介人であつたとの事であるから、上限は永正7年の墓石を以て真とすべきであらうか。
荒町とは新ら町の義である。国府に対して山辺村と称へたもの、山方奥が分かれて入山辺村となつたので、里の村は里山辺となり、そこに町が初まつたので新町と名付けられたものであらう。山辺の湯は今は淋れて仕舞ふたが、千年の歴史ある古湯である。


荒町全体が古村というわけではなく、荒町の中でも「西区」という地域である。


西荒町公民館を見つけた、この周辺で間違いないだろう。

松本市は、至るところにこういった史跡解説をする立札がある。この南無阿弥陀仏の石はいつ作られたのは不明で、西荒町町内会の所有ということだ。

『差別とのたたかい』によれば部落解放同盟の前身である部落解放全国委員会長野県連合会の初代常任委員の名に布野初太郎がある。確かに周辺には布野が多い。

この布野恵だるま店は明治28年創業で、養蚕の発展を願って生まれた「松本だるま」を扱っている。縁起物なので、選挙に使ってもよいだろう。

菊池山哉が記した白山神社は、この看板の近くにあるはずだが見つからない。


これは、祭りの時などに幟を立てるためのものではないか。
里山辺では「お船祭」というのがあり、各集落が船の形の神輿のようなものを曳くという。当然、それには西荒町も参加する。


しかし、白山神社が見当たらない。


それでも探していると、閉業した喫茶店の裏側の非常に分かりにくいところにそれらしきものを見つけた。

ここにも解説する立札がある。氏子は48人ということなので、大体過去の記録に一致する。

幟旗についての解説もある。


『差別とのたたかい』によれば昭和39年度・昭和40年度の同和教育関係では、指定校として里山辺小・山辺中が掲げられている


古村の墓地を見つけた。やはり、浄土真宗である。
初代部落解放全国委員会役員を出したということは、かつては部落解放運動が盛んであったのだろうが、今は研究者でなければ部落とは気付かないであろう。



