坂戸市の厚川に古村があるという。昭和初期は入間郡大家村だったが、同時期の菊池山哉の訪問記録はない。

とりあえず、厚川の範囲を確認する。古村の場所を特定するには、様々な文献をあたる、古い地図と比較するなど様々な方法があるのだが、坂戸市と言えば同和事業を行っていたのでもっとシンプルである。

既に中小坂を訪れたことがあり、同和対策の集会所があることは分かっていた。そこから芋づる式に次の部落が特定可能である。さいたま地裁は、芋づる式に部落の場所が特定されるのはダメというようなことを言っていたが、これは行政が公式にやっていることだからよいということか。

同和対策厚川第2集会所は住所表記上は成願寺にある。厚川の区域の北の端であり、厚川の本村からは川を隔ているという、特徴的な立地である。本村とは若宮橋という沈下橋で結ばれている。小字はそのままで「川向」。

戦前の地図でも橋があるのが分かるので、厚川本村との結びつきはずっとあったようである。勝手に川べりに住み着いたのではなくて、皮革の処理などの何らかの目的があって川を隔てた場所に村を立地させたのではないか?

これが厚川第2集会所。広々とした敷地のある同和集会所である。

逆卍が描かれた小屋を尻目に古村を歩く。


墓地から宗派を推定すると時宗であろうか。ほとんどが「小林」である。



かつては農業が主で、他に竹革細工があった。

埼玉の他の古村でもしばしば見かける、園芸業者がある。


住宅が密集していなければいけないような立地ではないはずだが、細い道があり、家に囲まれた場所が古村の中心部にある。このような構造は埼玉の他の古村でも見られる。

そして、この祠。元日の翌日で誰もいなかったので人から聞くことはできなかったが、これは白山神社であると確信する。他の古村でも、このように白山神社が配置されていたのを見たことがあるからだ。





どこに在った白山社か不明だが、大家神社に白山社が合祀されているみたい。