関東の部落というのは、ある意味非常に分かりやすい。かなりの高確率で白山神社があるからだ。
今回訪れた府中市の部落にも、白山神社があった。1935年の記録では9世帯、69人。当時は多磨村是政で「神尺」という名前の部落であったという。
神尺の現在の場所は府中市是政2丁目になる。この是政文化センターから探訪をはじめる。ちなみに、これは同和施設ではない。
レトロな掲示物に「スマホ」という用語があるところに味わいがある。
近隣の案内図。ここには中央自動車道が通っている。
この中央自動車道沿いの道に白山神社があった。グーグルストリートビューの過去画像を見ると、確かに2009年の時点で神社の存在が確認できるのだが。
今はこの通りで、跡形もない。
住民によれば、ここにあった白山神社は、とある神社で祈祷をして、正式に閉じたという。つまり、この部落の白山神社は消滅してしまった。
もともと神尺という部落は記録にある通り小さな部落だったのだが、その中を中央自動車道が突っ切る形となり、住民は散り散りとなった。それでも白山神社の周辺には昔から住んでいる住民の家があるが、2015年に府中スマートICが出来てからはさらに地価が上がり、家を受け継ぐ人がいないことも相まって、地域から離れる人が出てきたという。
白山神社を閉じたのは、もう維持できるほどの住民がいなくなってしまったからだ。また、白山神社は農村だった頃の農業の守護神と伝承されてきたが、今となってはその存在意義も薄れてしまった。
白山神社がかなり昔からあったことは間違いないが、具体的な由来は分からないという。
なお、近くに稲荷神社があるが、これは全く無関係だという。
白山神社の跡地の隣には墓地がある。墓石は全て「篠塚」である。
墓地の中には、中央道が墓地の一部にかかったため、改修した旨の記念碑があった。昭和41年とあるので、まさに中央道の建設工事が行われていた時期である。
中央道のガード下をくぐって反対側に出てみた。ここも部落の中だったはずだが、もちろん跡形もない。
しかし、白山神社の近くには「篠塚」という表札の家がいくつかあった。
無論、空き地、廃墟、ニコイチといったものはここにはない。白山神社とともに、部落はほぼ完全に消滅した。念のため、部落解放同盟を知らないか住民に聞いてみたが、知らないということだった。
ここは多”磨”村でしょうね。
あ、正しい漢字はそうですね。全国部落調査の方が間違いでした。ご指摘有難うございます。
国立と言えば昔からよく名が知られる谷保を探索していただきたいです!
谷保ならもう探訪してます。こちらをどうぞ。
https://jigensha.info/2016/12/05/buraku-20/
戒名からして時宗かな?
差別発言してた副住職の寺もそうだったし
https://twitter.com/oscarexpress/status/1012084389390397440
その通りです。次回の探訪記事で説明しますが、多摩地域の部落はほとんど時宗で、称名寺の檀徒です。
そろそろ四国の大物部落はどうですか?
長浜、吉川、赤岡あたり
四国といえば「歩く水平社宣言」の人のムラも興味ありますね。魚が美味しいのではないでしょうか。
UWZM市川内ですかね。
長浜も教科書無償化運動の発祥地ですし四国は色々ありますね。
川内は一度行ってみたいです。ハイブリッドニコイチを見たいのと、あとは釣りしたいですね。
https://goo.gl/maps/xuhdUJ7Lhqq
どういう事情でこんな奇怪なものができたんですか。
たぶん、自分の家という感覚で建て増ししたのだと思いますが…
行きたいですが、リクエストが多くていつになるか分かりません
是政3丁目にあった一般社団法人の名称ですが、これは単なる「地区」という意味なのでしょうか?
https://www.houjin.info/detail/1012405002511/
単に集落という意味だと思います。
こんばんは!
探訪いつも楽しみにしています。
突然ですが、御代田町の取材はする予定ないですか?
隣の軽井沢に転居を考えた時にやたら御代田を勧められて
興味を持って調べたのがきっかけです。
もう探訪してます
https://jigensha.info/2016/07/27/maseguchi/
元是政住民です。(親戚はまだ沢山住んでおります)
死んだ親父がいわゆる新平民と言っておったのを思い出します。
地元の方の話は参考になります。やはり新平民との伝承があったのですね。
ピンバック: 部落探訪(78) 東京都多摩市連光寺“船ヶ台” - 示現舎