『大宮見沼よみさんぽ第22号』によれば、「さいたま市には,隣保館が1か所,五反田会館のような同和教育集会所が2か所あります」という。
また、『東日本の部落史III』によれば「現さいたま市には、三橋三丁目(大宮区)・鹿室(岩槻区)・南中丸(見沼区)などの被差別部落がある」という。

その同和集会所というのがこれだ。

集会所の近くには和泉三社があるが、古村はこの神社と道路を挟んだ反対側である。



白山神社に行く前に、集会所でトイレを済ませた。確かに人権関係の掲示物があるが、地域活動やイベントなどに活用されている様子だ。職員も常駐している。


古村には造園業者の敷地のようなものや、豪邸もある。


そしてこれが白山社。


敷地には遊具がある、「白山神社こども広場」になっている。

境内には各地をお参りした記念碑がある。

これは富士塚だろう。ミニ富士山である。

白山神社は大きくはないが、今も大切にされていることが分かる。



記録によれば、明治初年の白山神社の氏子数は25戸、昭和初期には32戸。かつては慈恩寺村だった。

1924年7月19日に大宮町氷川公園遊園地ホテルで青年水平社夏季大会が行われ、副議長に桑原直喜氏を挙げたとある。慈恩寺からの出席者が多かったという。


かつては履物製造などをしていたという。
今は周辺を囲むように新しい家が建っている。

古村の中心部は畑か、あるいは空き地のようになっている。

ここも少しずつ開発が進んでいるが、さいたま市の他の古村に比べれば緩やかだ。