大阪の同和地区は、本来の地名から変えられている場合が多いが、住吉地区はかなり昔から住吉町だったようである。明治期の地図にも住吉と記載されている。
1935年の世帯数223で小さな区域に住宅が密集していた。1900年には住吉駅が出来、かなり早くから都市化していたようである。住吉駅は後に住吉東駅に改称、現在の南海電鉄住吉東駅となった。
ここがその住吉東駅前の商店街。店は改良住宅の1階に入っている。同和地区の改良住宅店舗が駅前商店街になっているのは珍しのではないか。大阪では改良住宅店舗はシャッター街のようになっているところが多いが、さすがにここは立地がよいからかいくつかの店舗が営業していた。
しかし、他の商店街に比べればやや殺風景で閑散としている感は否めない。
あちこちに老人や障害者向けの福祉施設がある。これは大阪市内の他の同和地区にも共通することで、同和事業終了後の雇用の受け皿として増えていったものと考えられる。
総合福祉センターも民間運営である。
あちこちに同和対策で建てられた団地があるが、多くが地区外の用地に建てられた。
この地区では1969年に「天野事件」があった。地元市議会議員の天野要が自身が委員長を務める民生委員推薦地区準備委員会の席上で委員から「生活保護者に国の貴重な税金を使ってもらいたくない」といった発言があったのを黙認したことについて、部落解放同盟が差別として糾弾したのである。
しかし、天野要は間違いなく先祖代々住吉地区の住民。そういった意味では部落民と言える。そして、以前から天野要が率いる町内会と解放同盟は同和事業(1969年の特措法制定以前から同和事業は行われていた)の予算の分配を巡って対立していた。
経緯を見ると、差別事件というよりは、単に部落内での内紛のように見える。
青少年会館の横の空き地。ここに解放会館があった。
その周囲は持ち家や民間のビルがある。本来は高級住宅地の帝塚山に隣接しており、駅も近く、むしろ恵まれた立地である。
空き家が多いが、ストリートビューで経過を見ると、徐々に取り壊されており、土地や建売住宅として売り出されている。
このように、「好評分譲中」とののぼり旗が。この土地の住所表記は間違いなく帝塚山東なので、帝塚山の住宅地と言っても全く嘘ではない。そういった意味では値段によってはかなりお買い得なのでは。
駐車場の料金も安い。ちなみに、筆者は宿泊費用を浮かせるために、同和地区のコインパーキングで車中泊することがよくある。
この青少年会館の中には体育館があり、光熱費を節約するためか中は薄暗いが、かろうじて使われている。
なお、トップ画像の不気味なレリーフは部落差別を表現したものであり、この建物の裏手にある。ぜひ見に行くとよいだろう。
この地区に隣接する一般地区(帝塚山ではない方)は小さなアパートや文化住宅、
粗末な住宅が密集していて、同和地区との逆格差をとてもよく表している。
金のかかってる建物ですね。
どういった会社が設計して、どういった会社が施工して、どういった会社が下請けに入って、売り上げの一部がどこへ流れているか。。。
落札価格の0.8%でしたっけ。
行政に圧力をかけている団体と、建物を建てている業者がつながっていると言う不思議な関係。
このモニュメントにも大阪市はいくら払ったのか。
商店街。。。
土曜日の昼間です。
市営住宅の中の公園に自販機。
大阪市に場所代を支払っているのかと言う疑問。
土地差別によりが他より地価が安いとの話
「田舎ではそもそも土地が売れない」云々を持ち出すのはおかしいのではないですか?
田舎では云々がどうあれ、その土地が周りに比べて安いのは(私は確かめてませんが)事実であり、その理由は部落だからでしょう
自分でおかしいとは思いませんか?
いえ、おかしくないです。価格がどうであれ売れるのと売れないのとでは雲泥の差です。
それに、土地にブランドがあるのは周知のことです。六麓荘町の土地が高くて西成の土地が安いのは差別でしょうか。
結局どうして欲しいのかということです。
住吉の方に「差別だというなら、不動産屋に高く買って欲しいんですか?」と聞いたら否定してました。
地価が安いのは悪いことばかりではありません。固定資産税も安く済むし。
土地の値段を持ち出して差別だ差別だと言うことで誰が得して、どう差別解消につながるんでしょうかね。
売れる売れないについて差の有無、違いの有無について言ってるのではありません
売れる土地、売れない土地、高い土地、安い土地があって違いがあるのは当然です。
そういう話ではなく、「その場所が近隣の周囲の土地に比べて安い評価なのは差別されている結果生じていることだ」と言いたいのだと察します。
「高く買って欲しいんですか?」と尋ねるのも少しずれている感じがしますね。
その人は別に土地を売りたいと思っている訳ではないので。
「普通に近隣の土地と同じような価格で売買されていれば何も気にならないけど…」という話です。
「この辺の土地が安く売買されてることを見ると差別の結果生じていることだと分かりますよね?」という主旨で言ってるんだと思いますよ。
何も「土地の値段を持ち出して差別だ差別だ」と言いたくて言ってる訳でもないと思います。
何も無ければ何も言わなくて済むんですから。
得するしないではなく、現状こうなんですよと地価を例に出して鳥取ループさんに伝えようとしたのでしょう。
せっかく熱心にフィールドワークをされておられるのですから、考え方の違いはともかくとして、真摯な姿勢で耳を傾けられては如何でしょうか。
何も存在しない差別を捏造しようとしている方々ばかりではないのですから。
曲げて曲げて解釈しているように感じます。
だからどうだって言うのでしょうか。「差別の結果」だという証拠はどこにありますか?
仮にそうだとしても、安く買うのは差別だから、高く買えと不動産屋に迫ったら、まさにエセ同和ですよね。
奥田均なんてどう思います? 京都の同和地区のど真ん中に住んで子供が生まれたら、50年後には部落民になるとか、とんでもないことを言ってます。
感情で水掛け論をしても仕方がないのです。
理由がどうであれ、地価が安くて気軽に住める場所であることが、そんなに悪いことですかね?
私のような田舎者からすれば、現に買い手がつく土地の価格がどうのこうのというのは、浮世離れした話ですよ。
差別というなら、大阪の同和地区より鳥取県の方がよっぽど差別されています。県全体が。
差別の証拠だと断定する証拠はありません。
そう推察できるということです。
やはり発想の飛躍を感じますね。
>>仮にそうだとしても、安く買うのは差別だから、高く買えと不動産屋に迫ったら、まさにエセ同和ですよね。
誰もそんなことは求めていません。
安く買うのは差別だと誰も考えていません。
現状、おそらく差別が要因で安く売買されているという現状を述べているだけです。
強制的に高く買わせれば差別が無くなったとか誰も考えるわけがないではありませんか。
>>理由がどうであれ、地価が安くて気軽に住める場所であることが、そんなに悪いことですかね?
今回の場所はは近隣よりも地価が安い場所ということになっていますが、地価の如何に関わらず差別があるという状況は良くないと思います。
土地が容易に売買できないような田舎と比べることに意味はないと思います。
「土地が近隣より安く売買されているから差別されている」ではなく「差別されているから土地が近隣より安く売買されている(と考えられる)」ということなのです。
意味が伝わるでしょうか。
奥田さん云々のことは前後の発言等知りませんが、それも「京都の同和地区のど真ん中に住んで子供が生まれたら、50年後には部落民になるとか、とんでもないことを言ってます」を読んで察するに奥田さんの仰る主旨と鳥取ループさんの解釈に隔たりがあるように思います(鳥取ループさんが誤解をされているのではないかと)。
話が広がり過ぎるのでこの件は措きます。
>>差別というなら、大阪の同和地区より鳥取県の方がよっぽど差別されています。県全体が。
仰っている主旨が分かりません。
鳥取県全体で土地が売買できないほど低く評価されている訳ではないでしょうし。
リプの仕方を誤りました。
もう一方を削除しといてもらえませんか。
>差別の証拠だと断定する証拠はありません。
>そう推察できるということです。
それであれば、まさに「あなたの感想ですよね」としか言えません。水掛け論です。
差別だったとして、具体的に何をすればよいのですかね?
教育啓発が必要だと言って、差別だ差別だと言っていれば、余計に悪い風評を撒き散らすだけだと思いますが。
私は土地価格の問題は何も言わずに市場に任せるのがベストだと思っています。
仮に土地差別なるものがあるのなら、行政や解放同盟よりも、同和地区の土地を狙って買いまくっている富士工務店がよほど差別解消に貢献してます。
奥田均の講演はこれです
https://www.youtube.com/watch?v=TvxypADStbc
>>差別だったとして、具体的に何をすればよいのですかね?
差別を綺麗さっぱり全て無くす方法が無いのはこの問題をずっと扱っている鳥取ループさんも感じていることではないでしょうか。
私も”差別だ差別だ”と殊更喧伝することは望ましいことだとは考えていません。
ただ先の住吉の方(?)のように会話の中で尋ねられたりすればそう返事するのは自然なことかと思います。
「何も解決する方策がないなら何も言うなよ」と冷たいことを言わないで差し上げて欲しいと願います(私はその方と無関係ではありますが)。
解決する方法のない社会的な問題、個人的な問題はいくらでもあります。
その住吉の方とて土地の売買価格がおかしいから何らかの補填をせよと願ってはいないでしょう。
「じゃあどうしろと言うんだ」という様な姿勢にはいささか乱暴なように思います。
これまで解同が自らの利益の為に様々な不当な要求をして来たことから
「さてはこいつ。何か利益を得ようと企んでいるんだな…」
という先入観をお持ちなのではないですか?
ふざけたHNですね。不謹慎過ぎて本文読まれないですよ。
何を言ってるんでしょう。差別なんてないですよ。
解放同盟が嫌われているのと、頭のおかしい陰謀論者がいるだけです。
差別はなくはないですけどね。
残念ながらゼロにはならないでしょう。
>>解放同盟が嫌われているのと、頭のおかしい陰謀論者がいるだけです。
それも一方で事実ではありますが。
そういう人もいるでしょう。
差別はないという前提(思い込み)でフィールドワークしてたんじゃあ時間を無駄にしてますね。
同和行政や解同の活動に問題があることとは切り離して考えないと。
てかそういう活動をしてたら差別事案に他の方よりも触れそうな気がするのに…(本当に差別が無いと思ってたとしたら先入観が凄く強いのか何なのか)。
部落の近く(部落外)も回った方が良いかもしれません。
もしかして鳥取ループさんとは差別の定義が違うんでしょうか。
鳥取県なら差別する場面に接しそうに思うのですが。
近畿地方に住んでいる身としては考えられません。
朝田理論に洗脳されて不都合なことは何でも差別だと思うからそうなるのです。
洗脳からとかれてください。
朝田理論の洗脳から人々を解放するのは歓迎です。しかし、対抗する理論は矛盾がないように構築しないと「鳥取ループは別の方向に人を洗脳しようとしているだけである」と言われてしまうだけではないでしょうか。
朝田理論を骨抜きにしようという発想は面白いし、ロジックの穴を塞ぐのは鳥取ループさんの得意分野であろうと思いますから、今後の理論の発展に期待します。
もしかして鳥取ループさんとは差別の定義が違うんでしょうか。
鳥取県なら差別する場面に接しそうに思うのですが。
近畿地方に住んでいる身としては考えられません。
また間違った…。
すみません。
返信は5つまでなので新たにします。
朝田さんが何者か存じませんが
「〇〇(被差別部落)の子とは一緒になるなよ(部落の子とは付き合うな」
や
「部落のもんとは関わらん方がええで」
と言われて来ましたし洗脳というのは何を指して言っているんだか。
なお現在は部落の多くの方と関わりがあります。
質問①”本当の意味での部落差別”って何を指してるんですか?
ざっと私が今、考えたのは「その場所に住んでいる、又はその場所に関係していることを以て不当な扱いを受けること」と思ってます。もし違うのであれば宮部さんなりの定義を教えて下さい。
質問②
関東はもちろん、部落差別が激しいと言われる奈良でも事業も運動も行わずに完全解放されている部落が存在するからです。
そういう場所があるというのは分かりますが、それがどうして他の所でも”ない”と断じることに繋がるんですか?(宮部さんのお話は、「差別の有無」と「事業、運動の必要性」の話とをごちゃまぜになっているのでは)
質問③
ブログの方でも書きましたが私は”○○のもんとは関わるな”などと言われた経験が何度かあります。だいぶ前(十数年前)からありますし、最近でもあります。これは差別ではないと捉えるんですか?私が嘘を付いてるとでも思ってるんですか?(解同ならまだしも、私に一体何の得があるのか…)質問④解同の活動を見て「部落差別を本当に無くしたいのか?」と疑いたくなる気持ちは分かります。しかしそれと、現実に差別が存在するか否かは別のことじゃないですか?
解同のせいで差別が無くならないと考えているのだとしたら、それは差別が存在することを認めることに繋がるはずなのではないかと。解同のせいで残り続けている差別を「本当の意味での部落差別ではない」と考えているのでしょうか。真意が読めません。
質問①
本来、部落差別は場所とは関係なく、血統によるものです。場所によるという考え方は戦後の同和事業で作られたものです。
場所による差別は実は差別ではなくて、現憲法下の政府の制度の問題です。
質問②
本当の意味での部落差別があると断じることができる部落を見つけられないからです。
質問③
まず、「○○のもんとは関わるな」と言われることは、部落に関係なくあります。
そのため部落だからそう言われるのか、日頃の素行が悪いのが原因なのか、それとも他の原因があるのか判断できません。
自分は解同と関係ないから差別だという論も成り立たないと思います。
実際、野洲でパナホームが糾弾された件では、「差別」の被害者は解放同盟とは関係ないし何も知らないのに、解放同盟が出てきていました。
であれば、村ごと「○○のもんとは関わるな」と言われてしまうのは理解できます。
これは部落差別ではなくて、えせ同和を行っている解放同盟と、それを助長している行政の問題です。
質問①②への回答について
差別の形態が変わったと考えることもできます。いずれにせよ差別があることに問題があるのであってもし形態が変わったことで部落差別ではないのであれば、仮に新部落差別とでも名付けて扱えば良いのではないですか。なぜそう頑なに存在しないと言いたがるのか分かりません(「本来の~」のくだりについても言いたいことはありますが今は控えます)。
”現憲法下の”と敢えて関することには何か意味があるんですか?
質問③への回答について
特定の誰かについて言っている訳ではなく、地名だけを述べて言っています。また部落以外を対象にして「○○のもんと関わるな」と言われたことはありません。日頃の素行が他の集落と比べて悪いと感じたこともありません。「あそこはこれやから」と四本指を立てられることもあります。部落であること以外に原因を見付けようとすることに無理があります。これでも部落差別ではないと言うのですか?
血統云々などと言いますがそこに住んでる、住んでたということによって現に差別を受ける理由になっている事実があるんです。
>>これは部落差別ではなくて、えせ同和を行っている解放同盟と、それを助長している行政の問題です。
これによって部落差別が無くならないんだという主張なら分かります。
鳥取ループさんのいう”助長している行政の問題”は部落差別が無くならない原因の説明であって部落差別ではないという主張には繋がらないのではないですか?
私は虎姫の桜町の住民から、宮部町の方がガラ悪いって言われたことがあります。
草津市では西一の住民から新田の住民とは関わりたくないって言われてますし。
また、日頃の素行がどうであれ「解放同盟が組織されている」「同和行政の対象となっている」
というだけで避けられるのです。現に、それが原因で言いがかりを付けられる例が絶えないのだから。
それを「部落差別」と呼ぶべきではないです。部落差別とは、あくまで近世の身分制度に起因するものを言うべきです。
その理由の1つは、差別という言葉を濫用することの弊害が大きすぎるからです。
逆に、新しい現象を差別と呼ばずに、別の言葉で呼んだからと言って弊害はないし、その方がよほど問題を正確に把握できるでしょう。
「場所によるという考え方は戦後の同和事業で作られたものです」
この発言の根拠は何でしょうか。出典があれば教えてください。
『講座差別と人権』第1巻27ページには「課役をのがれて散所に流入してくる没落百姓などもあり、散所は次第に膨張していった」とあります。この記述からすると、血統のうえで賤民ではない人が部落に流入し、被差別民に同化する現象は封建時代にも存在していたと見るべきでしょう。
「場所によるという考え方は戦後の同和事業で作られたもの」と考えるのは、それより前は制度として行政文書に明記されたものが見当たらないからです。属地主義は同和対策事業特別措置法に明記されています。
第一条 この法律は、すベての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念にのつとり、歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が阻害されている地域(以下「対象地域」という。)について国及び地方公共団体が協力して行なう同和対策事業の目標を明らかにするとともに、この目標を達成するために必要な特別の措置を講ずることにより、対象地域における経済力の培養、住民の生活の安定及び福祉の向上等に寄与することを目的とする。
ちなみに、アイヌ対策について法務省の役人から聞いた話ですが、あれも制度としては建前は属地主義でやっています。血統主義を露骨にやると憲法に抵触する恐れがあるので、苦肉の策として属地主義という制度が出てきたのではないかと思います。
私の誤解でなければ、鳥取ループさんの真意は朝田理論の脱構築でしょう。朝田善之助の通った道をそのままたどり、そのやり口を理解し、その詭計を逆手に取り、朝田理論を解体してしまう戦略。その意図は面白いと私は思います。ただ、今の所まだ洗練されていないなと思うだけです。
朝田善之助は解放同盟の昔の指導者で、なんでもかんでも部落差別にこじつける詭弁のテンプレートを確立した人。鳥取ループさんは万事その逆を行く論法の確立を目指しているのでしょう。ただ今のところ、あまり成功しているように見えません。
そもそも鳥取ループさんは全国連の公開質問状に
https://jigensha.info/2019/03/01/zenkokuren/
「一部の部落が蛇蝎のごとく嫌われ、差別されていることは紛れもない事実である」「私は部落差別についてはむしろ深刻にとらえている」と、答えています。「差別なんてないですよ」という主張とは両立しないでしょう。
強いてこじつけると「すべての地区が差別されているわけではないのだから部落差別ではない」という論じ方もできるでしょう。
しかし、その論法で行くと
「大統領になった黒人もいる。つまり黒人差別は存在しない」
「一流企業に入った団塊ジュニアもいる。つまり氷河期世代は存在しない」
「孫正義のような大金持ちもいる。つまり在日差別は存在しない」
などということになり、こういった考え方が多くの共感を呼ぶとは思えません。
では、具体的に部落差別を受けている部落ってどこですか?
鳥取ループさん自らが「一部の部落が蛇蝎のごとく嫌われ、差別されている」とおっしゃっている、その地区のことです。もっとも、どの地区名を挙げても「そこが差別されているとしても、部落だからという理由によるものではない。貧困など別の理由がある」と主張することはできますね。なぜ差別されているのか、因果関係を厳密に証明するのは確かに難しいでしょう。
その意味で、オールロマンス事件における伝説的な「地図を広げた交渉」は巧妙な戦略でした。まず京都市の役人を集め、市内の地図を用いて低位な実態のある地域に印を付けさせ、それから「ほら、印が部落に集中している」と示す。これだと「部落差別とは無関係だ」という反論が成り立ちにくくなります。
私は部落を探訪していて考えが変わりました。
解放同盟が組織されたり同和行政をやっている部落は全般的に嫌われています。
しかし、それは穢多村だったから嫌われているのではなくて、解放同盟と同和行政絡みの村だから嫌われるのです。
「部落の血が入るのが嫌」みたいな事を言う人とも何人か話したことがありますが、あれはいわゆる「スピチュアル系」か陰謀論者みたいな方々ですよ。宗教にはまって手かざししてくるような類の人に教育・啓発とかやっても仕方がありません。
そのように丁寧に説明されると或る程度わかりますが、十分な説明を省いて「部落差別はない」と言うだけだと、単なる「部落差別の実態を認めようとしない差別者の開き直り」というカテゴリに安直に放り込まれてしまうのではないでしょうか。そうなるとつまらないし勿体ないです。
誤解を解くためにも「なぜ部落差別はないと言えるのか」という話を、いつか動画のテーマにされるといいのではないかと思います。
解放同盟からの反論を予想すると「それは因果関係が逆であり、もともと部落への差別意識が強い地区だから解放同盟の需要があった」「迷信深い人々は無視できないほど多いものであり、解放同盟はそれと闘っている」といったところでしょうか。
特に「穢多村だったから嫌われているのではなくて、解放同盟と同和行政絡みの村だから嫌われる」という主張を立証するには、解放同盟が介入する前はその地区が嫌われていなかったと見るべき根拠を出す必要があると思います。
鳥取ループさんの判断基準で考えるならどう差別が起きていたとしても”近世の身分制度に起因するもの”が原因とはならないでしょうね。
現実に起きている差別は同じものであっても”この差別は原因が近世の~”であるか、解同云々かは明確に区別がそもそも出来ないからです。
考え方の違いといえばそれまでですが、解同や事業のあり方が良くなかったために部落差別が残っていると私は考えます。
また解同の活動や事業が無かったとしても部落差別は残っていただろうと想像します。
今存在する差別が全て解同や事業のせいとは思えません。
自分が優位でありたいとか、見下したいといった人間の暗い本能に起因していると考えるからです。
「自分が優位でありたいとか、見下したいといった人間の暗い本能に起因している」というのはよく言われますが、間違いだと思います。
部落などという殆どの人にとっては訳がわからないものに対して優位になったり見下したりしても意味がありません。
むしろ、「優位でありたい」と思っているのは一部の解放同盟員ではないでしょうか。
自分は被差別者であると言って、絶対的な被害者の立場になって「道徳的優位」に立って非難を免れる、歪んだ考えがあるように思います。
そして、実際に自称被差別者の悪行を見逃してもよいと思っている人たちがいるから、森山栄治のようなモンスターが生まれたのだと思います。
特に京都で濃厚な地域カースト意識、これも「殆どの人にとっては訳がわからないもの」ですが、どう見ても解放同盟のせいで生じたものではないでしょう。強いて言えば天皇制の歴史に根ざすものです。
http://blog.esuteru.com/archives/20009196.html
こういうマンガや井上章一の『京都ぎらい』などを読むと、京都は部落外でも奇妙な土地カースト意識に支配された風土であることが見て取れます。水平社が京都で誕生したのも、そのような事情と関係があるでしょう。
水平社や解放同盟は、そういった差別意識と闘っているうちに自らも逆方向の差別意識(部落排外主義)の塊になったのではないでしょうか。ニーチェが「怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」と警告した、あの現象です。暴力団対策課の刑事が暴力団員そっくりなのも同じ理由です。
>>部落などという殆どの人にとっては訳がわからないものに対して優位になったり見下したりしても意味がありません。
意味があるかないかでいえば意味はあります。意味は”その人にとって得”だという意味ではあります。安心が得られるからです。訳が分かる(具体性があるか)か否かは関係ありません。
そのため例え部落差別がなくなっても差別自体はなくならないと考えます。
解同の存在による弊害を主張されるのは分かりますが、それが現在ある部落差別(またはそれから派生した新部落差別とでも言いましょうか)の全てが解同のせいにするのはムリがあります。
解同がなかったら現在の差別(部落差別及び新部落差別のようなもの)が全て霧消していたと思うのですか?
解同がなければ全て霧消していたと思います。
例えば、昔は「狐憑き」というものがありましたが、どこが狐憑きの家なのか今は分からないですし、今さら蒸し返しても気にする人はいないと思います。
解同がそこまでの影響を与えたとは思えませんねぇ。
仮定に基づく議論で定量的な検証はできませんから水掛け論になりますが、水平社や解放同盟がほとんど(あるいは全く)活動しなかった神奈川県や多摩南部で部落差別事象ががほとんど(あるいは全く)見られないのは事実です。
(解釈1)伝統的に部落差別意識がほとんど(あるいは全く)存在しない地域だから水平社や解放同盟に需要がなかった
(解釈2)水平社や解放同盟がほとんど(あるいは全く)活動しなかった地域だから部落差別意識がほとんど(あるいは全く)存在しない
鶏が先か卵が先か、価値中立的に研究してみる価値があります。
ここは多分、住吉大社の「清め」がルーツではないかな?
奈良などでも大きな寺社の周りに、必ずと言っていいほど同和地域があります。
東大寺などは、東大寺奴婢別帳にあるように「奴婢」を抱えていましたから。
住吉大社も同じだと思われます。
はじめまして。数十年前にこの地区のいわゆるとなり町住吉町が住吉という町名に変わったときに子ども時代をすごしました。被差別地域は南住吉というところで住吉(住吉町)ではないですよ?その地域から線路向かいの帝塚山東に大きなマンモス団地が立ちました。そちらへたくさんの人が移転されました。
小学校では常に石川にいちゃんを中心とした差別をテーマとした内容が授業に盛り込まれていました。被差別地域の友達は小学校二年から毎週のように学校公欠で大人とデモ行進にいったり学校の前でビラ配りをしていました。「英雄」でした。私はお金持ちでもない平民でしたが今思うとやりすぎな教育でした。狭山差別や原爆の歌、狭山事件が刑事の捏造で万年筆がこれこれこうで、石川にいちゃんは糖尿病なのに広辞苑で勉強していまはかしこくなって、、、、という話は全校生徒が洗脳かのように頭に入っていました。
なので外に出た時にそういう話をしらない人が大半だったのでカルチャーショックでしたし、マインドコントロールのようなものが取れるのにとても時間がかかりました。
当時は部落解放会館がありここで体育館と言われている建物と同じ赤レンガでした。中には入ったことはありません。周囲はひったくりが多いと看板にあったので近寄る機会はまずありませんでしたが、その地域の友達のところにいったとき周囲はみな親戚なのか同じ苗字ばかりで屋根の低いお家でした。(平屋?)
みなさんの話の内容から完全にずれているのでしょうが、当時のリアルな状況をお伝えしました。
このようなサイトがあることを私なりに感謝いたします。
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すいません。投稿直後に最後の投稿が古いのに気が付き検索して知りましたが裁判になっていたのですね。その記事を読んでなんだかああいう教育を受けていたのに、、と恥ずかしくなりました。
私は解放同盟の人やその地域の人でも鳥取さんでもない立場の人間ですが地名を出したのは軽率でした。すいません。
うまく言えないのですが私もずっと苦しんできました。私と同じような立場の人とお話をして心のケアをしたいという思いで描いてしまいました。
地域について、最近はネットが封印していたことを突然公開した状態にしますよね。それが被差別地域の人からすると怖いと思います。ですが昔と違って勝手に役所で戸籍を調べることができなくなっていますから、個人的な思いですが、できれば差別されない地域へ引っ越してほしいです。
人間は弱肉強食の中で生きています。自分より背が低い、太っている、剥げている。。比べて優劣を決めたがるのは動物の本能なんだと思います。
なので地域差別をするすべての人にひどい悪意があるわけではないことを知ってほしいと思います。
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いえ、裁判なんて気にしなくてよいのです
部落特定は正義です
これからもぜひ本サイトを御覧ください
コメントも歓迎です
鳥取さんは子ども時代にしった部落地域者の公開について受けたカルチャーショックのようなものを通じ、自分自身を訪ね、トラウマ?ケアをされているように思われます。
賛否どちらもありませんが、
私自身においては同和教育推進校(でしたが)に行かないほうがよかったと今にして思います。
いろんな教育を受けても、いい年になっても何も生かされませんでした。むしろ特別視をするきっかけになったように思います。
本当に難しい話です。
私が子供のころは1970年代なのでちょうど差別に対して我慢→怒りとして炎上していた特別な時期だったのでしょう。
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自分が被差別地域出身者と言わないにせよ、そこで培ったハングリー精神を絶やさない生き方をしてほしいです。
#a5fb95eb8979198eb855713d0009f3ab