津田大介・あいちトリエンナーレに「愛」も「知」もなかった②

カテゴリー: あいちトリエンナーレ, 政治 | タグ: , , | 投稿日: | 投稿者:
By Jun mishina

日韓関係、内閣改造、福島原発の処理水受け入れ…トピックスになる話題が日々、生まれ消費されていく。なにしろメディアも活動家もネット住民も移り気だ。そこをいくとこの夏、最大級の騒動となった「あいちトリエンナーレ」ももれなく関心が薄れつつある。中止が相次ぎあいトリ会場は秋風どころか木枯しが吹くかのよう。しかし「表現の不自由展」実行委員会と支援者たちの夏は終わらない。その怒りと情熱は太陽のように燃えたぎっている。

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大村知事「とんがったことをしてくれ」

9月17日、文京区民センターで「あいちトリエンナーレ2019出展作家表現の不自由展・その後 <壁を橋に>プロジェクト今こそ集会」が開催された。騒動勃発後、東京と名古屋で支援者集会やデモが開催されたが、この日は事情が異なる。今回は表現の不自由展・その後実行委員会のメンバー、アライ=ヒロユキ、岩崎貞明、岡本有佳、小倉利丸、永田浩三各氏、担当弁護士が揃って登壇。委員全員で公の場に登場したのは初めてのことだ。会場には200人の支援者や関係者が駆けつけた。

表現の不自由展・その後実行委員会、そして弁護団が揃って登壇した。

これまで報道、SNS上、または津田大介芸術監督のWEB記事「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告」などで中止に至る情報や経緯はある程度、周知されてきた。しかしそれでも不可解な点が多すぎる。本来ならば愛知県・大村知事、津田監督、そして委員が同席の上で説明すべきだが、委員だけが“蚊帳の外 ”状態だ。

また同日は愛知県内で第二回目の「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」会議が開催されていた。委員の一人、小倉氏は同会議を傍聴していたため集会後半に合流。検証委会議では再開についての言及はなく、津田監督の独断が強かったこと、また平和の少女像などは安全な展示方法があったなどの意見が出たという。なお小倉氏によれば会議の傍聴席にはアンチの方が多かったそうだ。

SNS上の左派著名人の投稿を見ると大村知事、津田監督双方を応援する声も強い。しかし津田監督については大村知事、愛知県からも“梯子を外された ”状態。 複雑な相関図を呈している。

不自由展委員たちは知事・監督に対して強い不信感があり、双方の溝は深い。ただどちらが正しいか否かというよりも、どちらが筋が通った説明をしているのかと言えば明らかに委員たちだ。津田監督の説明はあまりに二転三転したし、大村知事は知らぬ存ぜぬという態度がありありと伺える。

さて開催ー中止に至るプロセスについて岡本氏から説明があった。同氏によるとあいトリ開催前、大村・津田両氏からはこんな力強い言葉があったという。

「金は出すけど口は出さない。とんがったことをしてくれ」(大村)
「もし検閲や規制があったら一緒に闘う」 (津田)

この約束が果たされることはなかった。この発言について知事と監督は説明すべきだ。

ここで愛知県庁HP「あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について」という知事の見解とも対比させておこう。責任問題についてはこう主張している。

トリエンナーレは、実行委員会において、関係者での協議を経て事業計画や予算等をその都度議決しながら進められてきたもので、愛知県や実行委員会会長である私の一存で決まったものではありません。なお、本件展示の中止については、来場者の安全確保等の観点から実行委員会会長である私と芸術監督が相談して決めましたが、上記のとおり緊急避難的な対応としてやむを得ないものと考えています。

岡本氏の説明が事実ならばという前提だが、かたや“とんがったこと ”を認めておいて、騒動になれば私の一存ではない、という。これはおかしい。しかも「金は出すけど、口は出さない」とまるで芸術家のパトロンになったお大尽様のように振る舞う。ところが騒動になったら、役人根性丸出しの弁明に終始している。

もしこのあいちトリエンナーレに抗議が起きず、一連の問題作品も大事なく展示された場合、メディア、文化人、海外からも評価が高まったことだろう。そんな時は寛容なリベラル知事としてスポットライトを浴びたに違いない。もちろん津田監督も「リベラルの旗手」という地位を得たことだろう。しかし津田監督に「闘う」という覚悟も気概もなかったことはあいトリの現状が物語っている。たかがツイッター上の批判投稿にすらブロックを繰り返す彼が現実的、物理的な攻撃に対して対応できたとは到底、思えない。

そして「あいトレ炎上」との報に接した時の津田監督について岡本氏はこう明かした。

「驚くべき言葉を言われてびっくりした。津田さんは、これだけの騒ぎになってトレンドになって全国ニュースに流れている。議論を喚起する(不自由展の)目的はある程度達した、として私たちに伝えた。私たちは表現者と鑑賞者の交流を作ることを目指してきました。話題になったから目的を達したと言われた時はメモをとる手も震えるほどショックだった。そして津田さんがフェイスブックで“ みんな表現の自由の話をしている。こんなことは初めてだ。映画の中にいるみたい ”と言ったこともショックでした」

もともと津田監督は展示について「湧き上がる反感などを可視化したい」という目的を掲げていた。そして社会の議論を喚起するのが狙いとのことだ。ここで一考。 湧き上がる反感などを可視化とはどういう意味か。要は津田監督が忌み嫌うところの「ネット右翼」が反発する、怒りの投稿をするというのが可視化ということだろう。情の時代というコンセプトを打ち出す割に実に挑発的な手法だ。

露骨な表現を使いたくないが彼の本音を推察すると「こんなにネトウヨが湧いて出てきたぞ」「しかし愛知県・名古屋市という体制側も味方だぞ、ザマー」とこういうことがやりたかったとしか思えないのだ。これまで保守派の作家、著名人の刊行物が置かれた紀伊国屋に対して不買の呼びかけ、飲食店経営者が靖国神社機関紙のインタビューに応じただけで「もう食べない」と言う。こんな短絡的な発言を繰り返してきた。

津田監督の行動パターンからして、とても議論を喚起などと高尚な思いがあったとは思えない。いずれ過去の言動についても問うてみたいものだ。

とは言え狙い通り、可視化したものの、想定を超えた反発の上、後ろ盾のはずの大村知事が“ オラ、知らね”という態度。こうなってしまうと後は爆弾の押し付け合いだ。

先の岡本氏の説明では津田氏は「検閲や規制があれば闘う」ということだった。しかし先述した津田氏の「お詫びと報告」にはこうある。

僕から不自由展実行委に平和の少女像については様々な懸念が予想されるため、実現が難しくなるだろうと伝えていました。しかし

平和の少女像は2015年の「表現の不自由展」でも展示された作品であり、展示の根幹に関わるという理由で「少女像を展示できないのならば、その状況こそが検閲であり、この企画はやる意味がない」と断固拒否されました

これ自体、紛れもない「検閲と規制」だろう。展示会の大ボスからは「とんがったことをやれ」、そして現場リーダーからは「検閲と規制と一緒に闘う」との話も空手形だった。その後、事前協議もなく展示中止を決定。また実行委員会のメンバーは8月3日の大村知事の記者会見も知らされず、また津田監督の会見にも入れてもらえず、8月12日の海外作家との公開討論会も知らされることはなかったという有様だ。不自由展の公開フォーラムにも招聘されることなく、再開するための協議も実現できていない。もはやこの実行委員会は愛知県、知事、津田、いずれからも“ お荷物”状態にすぎない。そういう意味では委員会メンバーに対して同情を禁じ得ない。だが実行委員、特に岡本氏に対しても疑問がある。

岡本氏「個別の問題はコメントしない」

個別の問題には答えないという岡本氏。それでは知事や津田監督の態度と変わらない。

そもそも論だが、なぜあいちトリエンナーレはここまで騒動になったのだろう。やはり先述した通り、「津田大介」という存在があまりに大きい。

それに加えて展示物の一つが平和の少女像だから波紋を呼ぶのは当たり前のことだ。製作者のキム・ウンソン氏、キム・ソギョン氏夫妻は「平和のシンボル」ということを強調するがそれは詭弁だ。明らかに従軍慰安婦像をモチーフにした作品である。岡本有佳・金富子責任編集『〈平和の少女像〉はなぜ座り続けるのか』(世織書房)が刊行されている通り、岡本氏は少女像に強い思いを寄せている。早い話、少女像展示の黒幕的な存在だ。そして右派の怒りは岡本氏に向かっていると委員たちも認識していた。

しかしそんな岡本氏も津田監督と同様に過去の言動について疑問がある。現代美術家の会田誠氏は自身のツイッター上で、こんな内情を明かした。

あいトレの展示物に「性表現」が入ってない点については芸術家たちからも異論があった。

表現の自由を守れ! こう訴えている岡本氏が会田氏に対しては逆に規制側、表現の自由の侵害側に回っているのだ。自身の意に沿わない表現は許さないという人が「表現の自由」と主張してもまるで説得力がない。この会田氏の疑問は彼女に伝わっているものだろうか。

本集会は事前にペーパーが配布され、 質問がある場合はこれに書き込んで最後の質疑応答タイムで委員が答えるという流れだ。そこでこの会田氏の投稿について岡本氏に聞いてみたが、「個別の問題にはコメントしない」ということだった。ご自分の問題は“スルー ”で済ませるのはあまりにムシがいい。そこで終了後、直接本人に問うたが「さっきもいった通り、個別の問題にはコメントしません」と取り付く島もない。会田氏の名を出した時点で不快感を露わにしていた。こういう態度は自分たちが批判した津田監督や大村知事と何ら変わらない。彼女ら委員は今後、表現の不自由展再開を求める<壁を橋に>プロジェクトを始めるため協力やカンパを呼びかけていた。しかし他人の権利に冷淡だった者が果たして本当に表現を守ることができるのか。生暖かい眼で行く末を見せてもらおう。

出品作家から大浦信行氏が怒りの抗議文を提出した。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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津田大介・あいちトリエンナーレに「愛」も「知」もなかった②」への2件のフィードバック

  1. A

    ハーモニーホールかどこかを借りて「全国部落調査」などを陳列する「表現の不自由展」。実際にやったら面白いのではないでしょうか。

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    1. 三品純 投稿作成者

      となるとうちだけではなくて、北方ジャーナル、新潮45あたりも出したらボリュームが出ます。場所は案外、川崎とかいいかもしれんです。編集長と相談してみます。

      返信