東京都世田谷区にも部落がある。場所は東京都世田谷区喜多見5丁目。小田急喜多見駅または成城学園前駅が最寄り駅だが、いずれの駅からもかなり離れている。1935年の記録では22世帯、210名の部落であるが、1815年には穢多13軒との記録があるという。
都道11号線の三叉路に「下宿」バス停がある。この付近が、昔から下宿と言われた部落の端になる。
付近にはラーメン屋や食事処があり、都心を離れた東京の普通の風景。
しかし、このタクシー置き場がある角から部落内に入ると、少し風景が変わってくる。
端的に言ってしまえば、「どくだみ荘」のような古い安アパートがいくつかある。
部落内は舗装されていない、細い道がある。都内にもまだこのような場所が残っているのだ。
ここは稲荷神社。住民に聞いてみると、昔は白山神社だっという。ただ、稲荷神社になったのがいつ頃かはよく覚えていないということだ。
境内の木の多くが保存木となっている。社殿は新しくはないが、境内は清掃されており、住民に大切にされていることが分かる。
境内をパノラマ撮影した。このライブ感を楽しんで頂きたい。
神社の裏手には畑があり、細くはないが舗装されていない道路がある。
三品によれば、住民に解放同盟について聞いてみると、解放同盟なのかどうかは分からないが、40年くらい前に部落に関係する団体が組織の結成を持ちかけてきたことがあったという。ただ、それっきりでここに解放解放運動団体が組織されることはなかった。
宮本という表札の家が目立つ。
ここにも細い道、そして舗装されていない路地が。
井戸もあった。埋められることなく、残されたものの、結局は使われていないようだ。
安アパートだけでなく、新しく綺麗なアパートもある。稲荷神社が白山神社だったことは、住民にはよく知られているようだが、部落ということはもはや意識されていないように感じた。
ここも称名寺の檀家?
実は連光寺の前にこちらを探訪したので、それを調べるという視点が抜けていました。
今後部落探訪では宗派を重視して探訪します。
【1244542】 投稿者: ぽり (ID:zyS6m1suzTk) 投稿日時:09年 03月 31日 17:41
喜多見という場所は周囲に比べて土地が低く、水害にあいやすいとか、
もともと部落民のすむところだったとか、土地探しをしている時に
不動産業者に耳打ちされました。
本当のところはよくわからないのですが、周辺に比べぐっと
地価が低いのは事実と思います。
https://www.inter-edu.com/forum/read.php?1103,1170900,page=2
洪水ハザードマップを見ると、喜多見五丁目はモロですね。
http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/104/141/557/d00005603_d/fil/PDF1.pdf
不動産屋も知っている人は知っているんですね。
ただ、喜多見五丁目がモロかどうかは微妙です。
ハザードマップを見ると多摩川の段丘崖の下が危険で、五丁目よりも危険な場所がたくさんあるように見えます。
喜多見は昔、結婚したばかりの姉が移り住んでいたのですが道が入り組んでいてタクシーが入るのを拒否する区域でした。が、タクシー運転手が「あまり入っちゃいけない区域」と母親に言っていました。その後一ヶ月待たずして、姉は引っ越しましたが、なんで引っ越したのか今度訊いておきます。三十年前ですが、部落と認識してなのかどうなのか。
神社脇農地耕作者が小島姓で神社裏から二子玉川方面バス停に抜ける途中に小島宅がありました。小机城二の丸跡で本田豊曰く地区とされる一軒家も小島姓です。関係はないと思いますが。
長らく世田谷に住んでましたが、同和だの聞いたことがないです
過去に見たことある資料では烏山のどこかにもそういった指定地域があるようです